中・高・大と映画に明け暮れた日々。
あの頃、作り手ではなかった自分が
なぜそこまで映画に夢中になれたのか?
作り手になった今、その視点から
忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に
改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイ・ミーツ・プサン』にて監督デビュー。最新作『百円の恋』では、第27回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門作品賞をはじめ、国内外で数々の映画賞を受賞。

第2回『サウンド・オブ・ミュージック』
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イラスト●死後くん
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作品概要:第二次世界大戦前夜。オーストリアのザルツブルクが舞台。 修道院で修行中のマリアは歌が大好きだった。ある日、マリアは院長の勧めで、退役海軍大佐のトラップ家の7人の子供の家庭教師となるのだが…。
製作年 1965年
製作国 アメリカ
上映時間 174分
アスペクト比 シネマスコープ
監督 ロバート・ワイズ
脚本 アーネスト・レーマン
編集 ウィリアム・H・レイノルズ
出演 ジュリー・アンドリュース
   クリストファー・プラマー
   エリノア・パーカー他
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御年80歳にして見せてくれた
エンターテイナー精神に感服

 今年(2015年当時)は映画『サウンド・オブ・ミュージック』の公開から50年。久しぶりにテレビで見たアカデミー賞のステージでは、映画と同じキーで歌うことに挑み、猛特訓したレディ・ガガがメドレーを歌い上げ、見事に達成していた。直後、ジュリー・アンドリュース本人が登場して音楽賞のプレゼンテーターを笑顔で務めたのには、たまげた。エンターテインメントとはこういうことを言うのだなと感心した。
 ジュリー・アンドリュースは今年の10月で80歳になる。公開50周年記念日本語吹き替え版DVD&ブルーレイが新たに発売され、歌舞伎町のコマ劇場跡地にできたTOHOシネマズ新宿でもオープニング上映された。マリア役には平原綾香がキャスティングされている。この人は以前何かのデレビドラマで見て「自然な演技をする方だなあ」と感心した覚えがある。

 

尼崎の親戚の家で初めて観た
『サウンド・オブ・ミュージック』

 僕はこの映画を10歳の時に初めて観た。尼崎の叔父の家で父、母、弟、叔母とテレビの日曜洋画劇場で観た。この日1976年10月10日は当時無名だった21歳の具志堅用高が最軽量ライトフライ級とは思えないパンチを「リトルフォアマン」と呼ばれたホセ・グスマンに浴びせ、壮絶なKOで世界チャンピオンとなった。僕は山梨学院大学の体育館で行われたこの胸の好くタイトルマッチのテレビ中継を家族親戚と見た後、淀川長治の名調子の解説に導かれ、『サウンド・オブ・ミュージック』を家族親戚と見たのだ。
 今現在に至るまで何度も見返している映画だが、オープニングのザルツブルクの山々の空撮から主人公マリアへとカメラが近づいていく登場場面には毎度ため息が出てしまう。ヘリコプターの影や風などを計算に入れた凄い撮影。それに音楽が絡んでいるから尚更だ。
 タイトルクレジットのザルツブルクのショットがどれも秀逸で魅せられてしまう。クレジットの最後に「オーストリア1930年代最後の黄金日々」と表示されて、この映画が始まる。優れた映画はいつもオープニングが素晴らしいのだ。

 

初めて知った
名曲「エーデルワイス」

 「エーデルワイス」という名曲もこの時に知った。曲のイントロを聞くだけで涙ぐんでしまう。クリストファー・プラマー演ずるトラップ大佐がドイツに併合されて消えゆく祖国オーストリアを白い高貴な花に想いを愛でて歌う場面は、この映画のクライマックスで、10歳の僕の一番のお気に入りとなった。
 数年後、テレビの洋画劇場の『サイレント・パートナー』で僕はエリオット・グールドを追い回す銀行強盗ヘンリーのクリストファー・プラマーと久しぶりに出くわした。あまりの恐ろしさに、あのトラップ大佐がどうしてしまったのかと戦慄した。
 最近、念願かなって『サイレント・パートナー』がようやくDVD化されたので見直してみたが、やはり恐ろしく、トラウマが甦ってしまった。このカナダの名優は今年の12月で86歳。今だ主演も務める現役である。

 

10歳の僕が観た
忘れえない場面

  10歳の僕にとって忘れえない場面がもうひとつある。スイスへ亡命するためにトラップファミリーがザルツブルク祝祭劇場のコンサート優勝授賞式から抜け出し、修道院に逃げ込み、墓場に潜む。ナチス突撃隊員となった元電通配達員のロルフ君に見つかってしまう。
 彼は長女リーズルの恋人だ。大佐とリーズルは彼に嘆願するが、銃を構えたロルフ君は一瞬躊躇するも上官に通報してしまう。当時の僕は戦争映画やコンバットを見る度に父親に「どっちがイイモン? ワルモン?」と口癖のように聞いていた記憶がある。父は「戦争をしている人にイイモンもワルモンない」と答えてくれた。この事が少し分かったような気がした。
 実はブロードウェイのミュージカルではロルフ君が見逃してくれる設定だったのだが、シナリオのアーネスト・レーマンはそうはさせなかった。巨匠ロバート・ワイズがDVDの特典コメンタリーで嬉しそうにレーマンの手柄について語っている。
 戦場場面や勇ましい戦闘場面もないが、この映画は紛れもなく戦争映画であると僕は思っている。戦争の不気味さ、そして隣人、同国人同士が傷つけ合う哀しみをを巧みに伝えてくれる。僕はあの突撃隊員になってしまったロルフ君が哀しかった。

 

監督業を始めた頃
改めてスクリーンで観た

 音楽祭の劇場は満員だか、ナチス親衛隊や突撃隊に支配管理されている。トラップファミリーのエーデルワイスの歌声が戦争に支配され始めている観客を解放し、観ている僕らも救われる。「すべての山に登れ」という歌とアルプスの山々を背景にこの映画は終わってゆくのだが、世界大戦終了から20年。然れど、冷戦下、未だに戦火の止まぬ中創られたこの映画の意義は深い。
 その後、僕には『サウンド・オブ・ミュージック』を映画館で観る機会がなかなか訪れなかった。2008年11月6日、新宿プラザ劇場のラストショーとして上映された。1044席の劇場は満員だった。
 大スクリーンで観る圧巻のオープニングシーン、『もうすぐ17才』のテッド・マッコードの照明設計、『ドレミの歌』のウィリアム・H・レイノルズのモンタージュ編集、ザルツブルク劇場でのエーデルワイスの音楽、音響効果はジェームス・P・コクラン、ブレッド・ヘインズの録音技術に一緒に歌いたくなり、プラマーの震える声に涙した。
 エンドクレジットと共に拍手が湧いて起こった。巨匠ロバート・ワイズの確かな手腕と力量に打ちのめされた。監督業を始めて間もない僕にとっての高い山々とはこの映画なんだと思った。僕は山に登る準備すらしていなかった。
 劇場から出てくると、夕暮れのコマ劇場前で後輩の助監督達と偶然出くわした。長期に亘る過酷な沖縄ロケを終え、真っ黒に日焼けした彼らは、演出部の打ち上げで、女の子いる店に繰り出すところだった。季節外れの彼ら三人の表情は晴れ晴れしていた。ねぎらいの言葉を彼らにかけて、僕は歌舞伎町を後にした。



 

●この記事はビデオSALON2015年6月号より転載
http://www.genkosha.co.jp/vs/backnumber/1463.html