映画監督・武 正晴の「ご存知だとは思いますが」 第10回『かくも長き不在』


中・高・大と映画に明け暮れた日々。
あの頃、作り手ではなかった自分が
なぜそこまで映画に夢中になれたのか?
作り手になった今、その視点から
忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に
改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイ・ミーツ・プサン』にて監督デビュー。最新作『百円の恋』では、第27回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門作品賞をはじめ、国内外で数々の映画賞を受賞。

第10回『かくも長き不在』
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イラスト●死後くん
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パリでうらぶれたカフェを営む女主人の元に、ある日突然、浮浪者が現れる。彼は戦場に行ったまま行方不明になっていた彼女の夫に瓜二つだった。しかし、浮浪者は過去のすべての記憶を失っていた…。
製作年    1960年(日本公開は1964年)
製作国    フランス
上映時間   98分
アスペクト比 シネマスコープ
監督     アンリ・コルピ
脚本     マルグリット・デュラス
       ジェラール・ジャルロ
撮影     マルセル・ウェイス
編集     ジャクリーヌ・メピエル
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※この連載は2016年2月号に掲載した内容を転載しています。



 去年の11月30日から12月5日にかけて「キノタヨ映画祭」に招待していただき、フランスのパリを初めて訪れた。あの痛ましい事件から約2週間後のパリの街中にはいたる所に兵士、警察官達が忙しく働いていたものの、カフェや劇場、映画館は人々で溢れ返り、ノエルの飾り付けに街も人々も追われていて賑やかだった。パリジャン、パリジャンヌ達の肝っ玉の太さに呆れる程に感心してしまった。

映画祭の合間、僕は初めてのパリを歩き廻った。凱旋門を見ては、『冒険者たち』でアラン・ ドロンが複葉機でくぐり抜けたシーンを想い、シャンゼリゼ大通りを歩いてはジャン=ポール・ ベルモントとジーン・セバーグが『勝手にしやがれ』で闊歩した場面を想った。シャンゼリゼの映画館でマックイーンの『栄光のル・マン』が上映されていて顔がにやけてしまった。彷徨い歩き、ムーランルージュに辿り着き『赤い風車』のロートレックを想い、モンマルトルの丘からの眺めは様々な映画同様の素晴らしさで、パリを一望できた。丘を下ると『アメリ』で待ち合わせ場所の回転木馬に出くわし、『地下鉄のザジ』でザジが追い回されたパッサージュにも道に迷ったおかげで彷徨い歩けて嬉しかった。地図を持たずに歩く僕は道に迷うたびに様々な路地にあるカフェで暫し休憩した。僕はその度に「古い教会」という名のカフェが出てくる映画のことを想っていた。

戦争で引き離された夫婦、夫の記憶は消えていた…

 第14回カンヌ映画祭でパルムドールを授賞した『かくも長き不在』という映画。僕が観たのは高校3年生の時だった。1964年のキネマ旬報1位作品をNHK教育テレビの「世界名作劇場」が期待に応えて放送してくれた。『第3の男』のアリダ ・バリが出ていて見たかったのだ。「古い教会」という名のカフェを営む女主人テレーズをアリダ・バリが演じている。『第3の男』の謎の美女の彼女がまるで別人だったのに驚いた。くたびれた生活感溢れる中年女として登場したのだ。

 夏のバカンス旅行を一緒に計画する恋人もいる女主人テレーズは、ある日店に立ち寄った中年の浮浪者を見て驚く。大戦中にナチスドイツに拉致されて行方不明の夫アルベールにそっくりなのだ。15年振りの夫の帰還なのか? 彼の記憶を取り戻そうと努力するテレーズの数日を描いた物語だ。くたびれたテレーズが浮浪者との邂逅を重ねる度に活力を取り戻していく様が美しく、もの哀しい。美しいセーヌ川の水辺にある、浮浪者のバラック小屋の彼を追い、自分のカフェに食事に誘うために通うテレーズの様子からいかに彼女が夫を愛していたのかが伺い知れる。

オペラ『セビリアの理髪師』のアルマビイアの唄を口ずさむ浮浪者の記憶を蘇らせようとレコードをかけて聴かせるテレーズ。少しずつ記憶が蘇る”夫“は唄の歌詞の続きを思い出し、テレーズと一緒に歌ったりもするが、ドイツ軍の収容所での記憶が重く、幸福な「妻テレーズ」との日々を思い出せない。カフェを締め切りレコードをかけて2人でダンスを始める。この時にかかる「3つの小さな音符」というの歌う名曲が名場面を創った。音楽とダンスでテレーズの愛と戦争の傷跡を伝えてくれる場面となった。僕が何度も今に至るまで繰り返して観る名場面だ。彼の後頭部に触れ、そこに刻まれたむごたらしい大きな傷が夫からテレーズを忘れさせたことを知る。鏡に写し出されたその傷跡が戦争の重い傷跡を僕に思い知らせてくれた。鏡の使い方が見事だ。鏡が別の世界を写す出すのだ。

 脚本のマルグリット・デュラスとジェラール・ジャルロがテレーズにとってあまりもの残酷な台詞を投げかける。「あなたは親切な人だ」と記憶の戻らないまま浮浪者は店を後にする。店の外が闇と影に支配されている。テレーズが彼の記憶を取り戻そうと意を決して“夫”の名を叫ぶ。「アルベール・ラングドア!」近隣の住民達も彼の名を暗闇で連呼する。人々の心の中に残る戦争の傷跡を闇と影が表している。心の闇の記憶が蘇る浮浪者のラストシーンに僕は唖然とした。観てもらいたい。今なおこの静かな反戦映画が語り継がれるラストシークエンスを。
『かくも長き不在』とは過去を示すのか、これからの未来を示すのか。

パルムドール受賞者が集うパーティーでのエピソード

 カンヌ映画祭のパルムドールを2度授賞した今村昌平監督がカンヌ50周年を記念して、過去のパルムドール受賞者が集うパーティーに呼ばれた際に『かくも長き不在』を撮ったアンリ・コルビ監督と会ったと著作の中に書き残している。

 誰とも混じらずポツンとたたずむ老監督に今村監督は通訳を介して「『かくも長き不在』は私も感銘を受けた映画だ」と伝えラストの印象的な浮浪者役のジョルジュ・ウイルソンの演技のまねをしてみせたそうだ。
 アンリ・コルビ監督はその時目から大粒の涙を溢れ落とし、通訳の人ももらい泣きしてしまったそうだ。『かくも長き不在』がデビュー作だったコルビ監督は、その後作品に恵まれず、編集などの仕事をして食べていた。老監督の孤独と涙に今村監督はカンヌに来て良かった。もっと苦労していくら借金しても妥協しないで納得できる映画を作らねばならないと誓いを新たにしている。映画は狂気の旅である。

パリに来てよかった

 外出せずに家に居るようにと言われても、パリジャン、パリジャンヌ達は聞く耳を持たなかったようだ。「第10回キノタヨ映画祭」は過去最高の観客動員数を記録して、日本からのゲストが半減した中、去年の3倍の観客が日本映画を観に来てくれた。拙作『百円の恋』には主演の安藤サクラさんの奮闘ぶりに元々設けていなかった映画祭特別賞を与えてくれた。サクラさんの斉藤一子がパリの人々を奮いたたせてくれたのだ。こんなに嬉しいことはない。パリに来て良かったと思った。

 僕は「古い教会」のロケ地のカフェに出くわせなかったが、再度映画祭に呼んでもらえるような映画を創って、カフェ「古い教会」を探し出したい。そしてあの浮浪者アルベールが寝床にしていたバラック小屋があったセーヌ河のほとりを彷徨い歩いてみたい。1000人程の観客で埋まったゴーモンオペラ劇場の受賞式の後、深夜の路地を僕は1人でホテルに向かって歩きながらパリに来て本当に良かったなとつぶやいてみた。

●この記事はビデオSALON2016年2月号より転載
http://www.genkosha.co.jp/vs/backnumber/1542.html