映画監督・武 正晴の「ご存知だとは思いますが」 第20回『クレイマー、クレイマー』



中・高・大と映画に明け暮れた日々。
あの頃、作り手ではなかった自分が
なぜそこまで映画に夢中になれたのか?
作り手になった今、その視点から
忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に
改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイ・ミーツ・プサン』にて監督デビュー。最新作『百円の恋』では、第27回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門作品賞をはじめ、国内外で数々の映画賞を受賞。

 

第20回『クレイマー、クレイマー』


イラスト●死後くん
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広告代理店に勤めるテッド・クレイマーは仕事にのめり込み、育児と家事をすべて妻のジョアンナに押し付けていた。ある日、ジョアンナはテッドに別れを切り出す。一人息子のビリーとのぎこちない父子生活が始まるのだが…。

原題 Kramer vs. Kramer
製作年 1979年
製作国 アメリカ
上映時間 105分
アスペクト比 アメリカンビスタ
監督・脚本 ロバート・ベントン
撮影 ネストール・アルメンドロス
編集 ジェリー・グリーンバーグ
音楽 アントニオ・ヴィヴァルディ、ジョン・カンダー他
出演 ダスティン・ホフマン、メリル・ストリープ、ジャスティン・ヘンリー、ジェーン・アレクサンダー他
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※この連載は2016年12月号に掲載した内容を転載しています。

10月25日、東京国際映画祭のオープニング上映でメリル・ストリープが登壇した。7度目の来日だった。代々木のスタジオで新作映画のダビング最終日だった僕は、六本木にいる名女優に想いを馳せていた。

僕が最初にメリル・ストリープを観たのは、1978年の10月5日から4夜連続放映した海外ドラマ『ホロコースト・戦争と家族』だった。第二次大戦前夜、ベルリンでユダヤ人と結婚したドイツ人女性・インガを演じていた。戦争に翻弄されるヒロインの彼女に感銘を受けた僕は翌年の『ディア・ハンター 』でのアカデミー助演女優賞ノミネートが嬉しかった。さらに次年『クレイマー、 クレイマー』で助演女優賞のオスカーをゲットしたメリル・ストリープの快進撃が始まった。1983年『ソフィーの選択』で主演女優賞。2011年には2度目の主演女優賞を獲得し、今日まで19回のアカデミーノミネートとその勢いは未だ衰えずだ。

 

主演の二人は実生活でも離婚や死別に直面していた

高校3年の時に水曜ロードショーのTV放映で『クレイマー、クレイマー』を僕は観た。未だにこの名作を劇場では未見なのだ。原題『クレイマーvsクレイマー』。離婚訴訟がテーマのこの映画のオープニングカットはメリル・ストリープ演じるジョアンナ・クレイマーの余りにも美しい物憂げなカットから始まる。撮影は名匠ネストール・アルメンドロス。「1日を25時間、一週間を8日」と思って働きまくる広告代理店勤務のテッド・クレイマー役にはダスティン・ホフマン。自分を取り戻すために子供を置き去りにして出奔してしまうジョアンナ。

結婚8年目の出世街道まっしぐらのテッドの7歳の息子ビリーとのマンハッタン子育て奮闘記が始まる。ちょうどその頃、実生活のダスティン・ホフマンも離婚危機を迎えていたそうだ。メリル・ストリープも『ゴッドファーザー』『狼たちの午後』『ディア・ハンター』で活躍した最愛の恋人ジョン・カザールを病気で失った傷を抱えていた。

 

ロバート・ベントン監督を歓喜させたアドリブ合戦

この作品で史上最年少で助演男優賞にノミネートされたのが天才子役ジャスティン・ヘンリー。彼とダスティン・ホフマンとのアドリブ合戦は監督のロバート・ベントンを歓喜させたようだ。映画史に残る朝食のフレンチトースト作りのホフマンの即興アドリブが冴えまくる。今見ても声を上げて笑ってしまう。一方で映画のラストのフレンチトーストの見事な出来栄えには泣かされてしまう。ビリーとぶつかり合いながらも次第に父と息子の関係を築き上げていく姿がユーモラスに描かれていく。2人が監督に提案したと言われている「アイスクリーム騒動」は名場面となり、楽しく、泣ける。

 

18世紀のバロック音楽が20世紀のマンハッタンにハマる

秋のハロウィンからクリスマスへと移り変わる季節を見事にアルメンドロスが切り撮り、『フレンチ・コネクション』でオスカー編集賞のジェリー・グリンバーグのカッティングがアントニオ・ビバルディの音楽と共に小気味よい。18世紀のバロックが20世紀のマンハッタンにこれ程ハマるとは驚きだった。

隣人のバツイチ子持ちのマーガレット役のジェーン・アレクサンダーは『大統領の陰謀』でホフマンの即興アドリブは経験済みだ。ある日、公園でテッドはマーガレットとの話に夢中になり、注意不足でビリーがジャングルジムから転落してしまう。ビリーを抱えてマンハッタンを駆け抜けるホフマンの感動的なアクションを捉える移動ショットが凄い。反省し合いお互いを慰めるテッドとマーガレットのキッチンでの友情シーンが素晴らしく、胸が熱くなる。ジェーン・アレクサンダーは同じ作品内で助演女優賞をメリル・ストリープと競い合う。

 

敵にしか見えなかったジョアンナが母親に見えてくる

クリスマス間近という年の瀬に、出奔していたジョアンナが息子を取り戻しに現れる。父子の奮闘記を観てきた僕には彼女が敵にしか見えなかった。いよいよMr・クレイマーvs Mrs・クレイマーの闘いが始まる。子育てに追われたテッドは会社を解雇されてしまう。クリスマスの日に再就職すべく奮闘するテッドを知らず知らず応援してしまう。以前より給与は遥かに少なく新しい人生のスタートを切ったジョアンナの方が収入は多かった。ビリーの親権を巡って窮地に追い詰められるテッド。僕は断然Mr・クレイマーの応援に回っていた。

しかし、法廷シーンのジョアンナの5分にわたるスピーチで状況が変わった。メリル・ストリープがジョアンナを擁護し、彼女が敵ではなく、母親である事を見事に証明してみせた。ストリープ自身が書きかえ、書き加えた「私は母親です」というセリフに熱いものが込み上げてくる。自ら書いたシナリオを俳優に預け、アレンジしてもらったロバート・ベントン監督の決断は正しかった。

アカデミー作品、監督、脚色、主演男優、助演女優賞に納得だ。裁判によって共に傷つき合ったテッドとジョアンナは傷ついた相手を思いやる。ロバート・ベントン監督は原作とは異なる結末を用意してくれた。ジョアンナの決断には拍手を送りたい。ホフマンとストリープのアドリブ合戦でこの映画は終わっていく。ダスティン・ホフマンの最後のセリフはジョアンナを見事に演じきったストリープへの「素敵だ」という賛辞の言葉だった。文句なしのアドリブだ。

新作のダビングが終わった明け方に

新作映画のファイナルダビングは明け方近くに終了した。メリル・ストリープに一目会いたかったが叶わなかった。『ソフィーの選択』で彼女が演じたポーランド女性が弾くことができなくなったシューマンのピアノ曲を僕は自分の10本目の映画に選曲した。いつかその事をメリル・ストリープに伝えてみたい。僕は一人代々木の夜道を歩きながら、苦しい映画創りの中で精一杯奮闘してくれたスタッフ、キャストのことを想い、そんな事を考えていた。

 

 

●この記事はビデオSALON2016年12月号より転載
http://www.genkosha.co.jp/vs/backnumber/1602.html