第7回 私的・起承転結考~小原庄助に学ぶ


文=長谷川修(大和映像サロン会長)
タイトル=岩崎光明

「起承転結って本当に必要なのか」…なんて言い出したら、「何を馬鹿なことを言っているの! 起承転結は映画づくりの基本中の基本でしょう? いや小説だってそうだし、洋の東西を問わず起承転結は真理でしょう!」と、袋叩きに合いそうですね。先生と呼ばれる大先輩の講座では“起承転結”を作ることの大切さが説かれています。確かにそうなのですよね。

交響曲も四楽章から成り立っていますから、音楽の世界にも“起承転結”が意識されているのかもしれません。

ところがシューベルトの未完成交響曲はどうでしょう。この曲は二楽章で終わっているので未完成という曲名がついているのですが、でもいい曲です、名曲です。第一楽章アレグロモデラート 第二楽章アンダンテコンモート…。え? 意味ですか? お恥ずかしい、よく判らないからそれ以上聞かないで! この曲は交響曲のセオリーから外れてはいますが、未完成な曲だとは誰も感じていないように思います。ただ未完結なだけです。

え~と、話が脱線したかな? 本題に戻しまして、改めて“起承転結”について解説したいと思いますが、そう申しますと「そんな事は知っているョ!」なんて怒られそうですが、ここはまあ聞いて下さい。

起承転結の「起」。これは物語の始まり、導入部のことです。「承」はストーリーの展開であり、「転」はミステリードラマならばどんでん返しの部分ですが、私達の作品では見せ場であり、その作品のクライマックスです。「結」は文字通りのエンディングとなります。

ほ~ら、私だって、ちゃんと起承転結の必要性を認めているじゃない? 一方で、こんな考え方もあるので紹介しましょう。

映画監督の新藤兼人は「映画づくりは始めと終わりがあって、その間に、どのようなストーリーを入れていくかです。起承転結をあまり難しく考えないほうがよい」というようなことをテレビの対談で語っているのを見たことがあります。つまり、映画づくりで必要なのは、始めと終りの間をいかに埋めていくかに尽きるわけで、プロット、つまり「箱書き(ひとつの場面の内容をまとめたもの)」をいかに上手に使うかが重要だと思うのです。

お花見の作品を作るとしましょう。美しいソメイヨシノが満開で、それも桜ばかりを延々と撮っても、それは箱書きにはなりません。桜の下での大宴会、和服美人のお琴の演奏、迷子になって泣く子供、警官に絡む酔っ払い、屋台のおばちゃん、桜吹雪や花筏、雪洞に灯がともる、桜の枝越しの月…これらが箱書きとなり、ある意味サプライズの集積が作品たらしめているのです。

「会津磐梯山」という民謡があります。どなたもご存じの民謡です。そこにヒントが隠されています。その歌詞は…


エイヤー 会津磐梯山は
宝の コリャ 山よ
笹に黄金が エーマタ なりさがる

問題はこの次です。


小原庄助さん 何で身上つぶした
朝寝 朝酒 朝湯 が大好きで
それで身上(しんしょう)つぶした
ハア もっともだ もっともだ

これを作品に例えますと、「小原庄助が身上潰したのは何故なのだろうか」というテーマに対し、その箱書きが「朝寝」だけだとすると、「朝寝する人は世の中には結構いるよな? それだけで身上つぶすかね?」となります。

そこで朝寝に「朝酒」を加えると、「朝寝に朝酒か~、これはいかがかなあ」となってきます。さらにもう一つ、箱書きに「朝湯」を加えてみましょう。

小原庄助さんは何で身上つぶしたか? それは朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上つぶした…となれば「もっともだ もっともだ」となって、誰もが納得するわけです。

作品を構成するうえで、この箱書きが何より重要で、観る人の興味・関心をぐいぐい引っ張って行くことを常に考えたいものです。起承転結は基本的に大切ですが、より分かりやすいところの箱書きの重要性を述べてみました。この話をクラブの勉強会でしますと、皆さん納得してくれます。いや~朝湯に浸かって一杯やりたいな~!

3つの「箱書き」で構成された作品例『百日紅(さるすべり)の咲く頃』(8分11秒)

:脳梗塞で倒れた妻のリハビリに付き合って散歩をするようになった。

箱書き1:散歩中シジュウカラの子育てを発見。

箱書き2:療養中の妻に代わって料理をするようになった。

箱書き3:夏休みに遊びに来た孫。来てくれるのは今のうちだけ…。いずれ巣立っていく。

:来年は孫と一緒にシジュウカラの巣立ちを見てみたい。

作品でご確認ください

制作:長谷川 修  第48回全国ビデオ映像コンテスト入選作品

月刊「ビデオサロン」2015年7月号に掲載