映画監督・武 正晴の「ご存知だとは思いますが」 第37回『1900年』


中・高・大と映画に明け暮れた日々。
あの頃、作り手ではなかった自分が
なぜそこまで映画に夢中になれたのか?
作り手になった今、その視点から
忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に
改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。近年の作品には『イン・ザ・ヒーロー』『百円の恋』がある。2017年秋に最新作『リングサイド・ストーリー』、2018年に『嘘八百』が公開。

第37回『1900年』

イラスト●死後くん
____________________________
1901年の同じ日に生まれ、地主と小作農で身分の異なる幼馴染み・2人の男の生き様を中心に綴った一大抒情詩。20世紀初頭から第一次世界大戦、ファシズムの台頭から第二次世界大戦の終了までの45年間に及ぶイタリアの現代史を描く。

原題 Novecento
製作年 1976年
製作国 イタリア、フランス、
西ドイツ、アメリカ
上映時間 316分(ノーカット版)
アスペクト比 スタンダード
監督 ベルナルド・ベルトルッチ
脚本 フランコ・アルカッリ
ジュゼッペ・ベルトルッチ
ベルナルド・ベルトルッチ製作 アルベルト・グリマルディ
撮影 ヴィットリオ・ストラーロ
編集 フランコ・アルカッリ
音楽 エンニオ・モリコーネ
出演 ロバート・デ・ニーロ
ジェラール・ドパルデュー他
__________________

※この連載はビデオSALON 2018年5月号に掲載した内容を転載しています。

3月24日に拙作13本目の映画が無事クランクアップした。奮闘努力してくれたスタッフ、キャスト、協力してくれた鹿児島、南大隅の皆様に感謝したい。次回作品のシナハンも含め、九州を縦断して、日本海沿岸を経由して鉄道でのんびりと帰京した。3月3日から一日も休まずの撮影はあっという間だった。

ドナルド・サザーランド出演作の中でも忘れられない一作

3月5日の90回目のアカデミー賞も見そびれていた。半魚人が出てくる映画が作品賞を取り、日本人の辻さんがメイクアップ賞でオスカーをゲットしたという嬉しいニュースも聞こえてきた。一方で今年の名誉賞でドナルド・サザーランドが表彰された。82歳のカナダ俳優。

もちろん現役で最新作では主役も務める。僕が最初にスクリーンで出会ったのは『特攻大作戦』の囚人兵ピンクリーだった。『マッシュ』のイタズラ好きの軍医ホークアイ役が出世作。『戦略大作戦』の戦車隊長役で曲者ぶりを発揮して、クリント・イーストウッドと戦場での金塊火事場泥棒を実に愉快に演じていた。

『スペース・カウボーイ』のイーストウッドとの共演も嬉しかった。多数の彼の出演作の中でも『1900年』のアッチラ役は僕にとっては突出している。公開当時35歳だったベルナルド・ベルトリッチ監督の5時間16分の作品を僕が最初に見たのは大学1年生の時で、ビデオで見た。

大学時代の映画の恩人に勧めてもらった

映画研究部の友人が『1900年』に出てくるイタリア黒シャツ党のファシスト、アッチラのモノマネをよくしてくれた。僕は未見だったので、彼に勧められて見たのだ。関西出身の彼は僕の知らない映画をたくさん見ていた。

彼からタルコフスキー、ヘルツォーク、クローネンバーグ、押井守を教えてもらった。大学時代の映画の恩人だ。拙作『モンゴル野球青春記』の京都上映の時に劇場で再会した。「ええ映画やった」と真顔で言われた時は嬉しかった。

1993年渋谷パンテオンで初めてスクリーンで観た時には、ベルトリッチ監督の自分の生きた自国への20世紀歴史観の映画表現を前にして、僕は果たして、自分の生きた時代の歴史観をどう表現するのだろうかと考え込んでしまい、手も足も出せなくなってしまった(それは現在まで続いているのだが)。

若きレジェント達のクレジットの羅列だけでも既に感極まる

映画の始まりは農民を描いた一枚の絵のクローズアップにエンニオ・モリコーネ作曲のメインテーマ曲にタイトルがクレジットされていく。

ロバート・デ・ニーロ、ジェラール・ドパルデュー、ドミニク・サンダ、アリダ・ヴァリ、ドナルド・サザーランド、スターリング・ヘイドン、バート・ランカスター。アメリカ、フランス、イタリア、各国の名優達の中にカナダのサザーランド。そして、撮影はヴィットリオ・ストラーロ。レジェンド達のクレジットの羅列で既に感極まってしまう。

30代半ばの監督と撮影監督によるイタリア現代史劇は1945年4月25日のイタリア解放の日、ポー河流域の農村地帯の情景カットから物語が始まる。まるで印象派の絵画のような画面だ。戦争終結の日に撃ち殺される不幸な青年の最期の言葉が、この映画の最初のセリフだった。「戦争は終わったのにな…」。

ファシストのアッチラが妻のレジーナと畑の中を追いやられ、農婦達に鋤で串刺しにされる。農婦のおばちゃん達とサザーランドのやられっぷりが凄い。デ・ニーロ演じる農園主アルフレッドも少年に牛舎で銃を突きつけられ捉えられる。

45年の歳月を生きる登場人物の年輪を描くメイクが巧み

ここから1901年に時代は遡り5時間近くに亘って45年におよぶ歳月が描かれていく。デ・ニーロが『ゴッドファーザーパート2』で若きビトー・コルレオーネ役で助演男優賞のオスカーをゲットして、『タクシードライバー』のトラビス役を演じる前の話だ。老年にかかるデ・ニーロの老けメイクが見事だ。45年間の歳月で登場人物達が重ねる年輪を作りあげたメイク技術が実に巧みだ。

1901年の同じ日に生まれた農園地主の孫アルフレッドと小作人頭の孫オルモの物語。第1部では絵画のような映像の中、アルフレッドとオルモの少年、青年時代が描かれていく。

ストラーロのカメラワークは映画が20世紀に生まれた奇跡であることを証明してくれる。少年達は男気ある祖父達に影響を受けながら育つ。バート・ランカスター、スタンリー・ヘイドンが貫禄のイタリア爺を好演している。青年オルモ役にはフランス代表ジェラール・ドパリデユー。太っちょになる前のドパリデユーのオルモは不撓不屈の小作農をタフに好演している。

女教師アニタと恋に落ち、地主階級への抵抗運動に傾倒するオルモ。それに抗うかのように台頭してくるファシズム運動と黒シャツ党。そのリーダーが農園管理者のアッチラだ。
物語の展開とともに変わりゆくルックにも注目。

第1部の終わりは映画の始まりとは違う冷たい撮影ルックで終わっていく。アッチラの猫殺しの蛮行は映画史上最悪のカットの一つだろう。それとは対照に僕のファムファタル、ドミニク・サンダの登場シーンが特出している。洗い髪に、細葉巻をくわえてのカットは勉強になる。

第2部に入るとアッチラと恋人のレジーナの蛮行と時代の閉塞感に画面のルックが冷たく覆われていく。ベルトリッチとストラーロの『暗殺の森』『暗殺のオペラ』で魅せた頽廃のルックだ。アッチラの蛮行に抗う農民達の力強さをベルトリッチ監督は、豚の解体作業や、 馬の糞の有り難さをしっかりと画面に捉えてくれる。コミュニスト、共産主義者が悪であると最期の時まで頑なに信じているアッチラの哀れさと哀しみをサザーランドが見事に体現、好演している。映画の終わりのルックは再び暖かさを取り戻し、モリコーネの音楽が力強く、力がみなぎる。

帰京途中、日本海沿岸の山陰地方の風景に別れを告げて、近畿、但馬の山村に電車が入った。夕焼けの田園風景の中、農作業を黙々している人達の姿が小さく遠ざかっていくのを僕はしばらくの間眺めていた。

●この記事はビデオSALON 2018年5月号 より転籍

vsw