中・高・大と映画に明け暮れた日々。あの頃、作り手ではなかった自分がなぜそこまで映画に夢中になれたのか? 作り手になった今、その視点から忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。主な作品には『百円の恋』、『リングサイド・ストーリー』、『銃』、『銃2020』、『ホテルローヤル』等がある。ABEMAと東映ビデオの共同制作による『アンダードッグ』が2020年11月27日より公開され、ABEMAプレミアムでも配信中。現在、NETFLIXでオリジナルシリーズ『全裸監督』シーズン2が配信中。2024年10月25日よりアマゾンPrime Videoで『龍が如く〜Beyond the Game〜』が全世界同時配信!


第114回 疑惑

イラスト●死後くん

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製作年 :1982年
製作国:日本
上映時間 :127分
アスペクト比 :ビスタ
監督:野村芳太郎
脚本:野村芳太郎 / 古田  求
原作:松本清張
製作:野村芳太郎 / 杉崎重美
撮影 :川又  昻
編集 :太田和夫
音楽 :芥川也寸志 / 毛利蔵人
出演 :片桃井かおり /  岩下志麻  / 柄本  明 / 鹿賀丈史ほか

松本清張の同名小説を野村芳太郎監督が映画化。夫に多額の保険金をかけ殺害したという疑惑をかけられた鬼塚球磨子。傷害などで前科4犯だった球磨子は、物的証拠がないまま逮捕された。しかし彼女の弁護を担当することになった佐原律子は、ある真相にたどり着く。

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17時57分間から18時01分、東京駅で1日に一度しかないわずか4分の偶然を巧みについた松本清張の「点と線」が日本推理小説でベスト1位と何かの本で読んだ。外国推理小説はエラリー・クインの「Yの悲劇」だったような記憶がある。

当時中学生の僕は図書館で貸りた読後に度肝を抜かれた。それ以来、図書館に通っては松本清張作品含めた推理小説を貪り読んだ。「砂の器」

「黒い画集」「天城越え」……。中2の僕は清張の最新刊「疑惑」を早速図書館で貸りて読んだ。1974年に世間を騒がせた別府の保険金殺人事件をヒントに松本清張が書きあげたミステリーは、容疑者の疑惑を新聞で書き立てた新聞記者が、容疑者の裁判で逆転無罪になる可能性に気づき、同じく気づいた弁護士の事務所に鉄パイプ片手に忍び寄る場面で終わる何とも薄気味悪い小説だった。半年後、小説はすぐ映画になって公開された。中3になっていた僕はすぐさま劇場に向かった。原作と違い、弁護士役は男性から女性に代わっていた。

恐るべき映画『鬼畜』を創った面々

原作・松本清張、監督・野村芳太郎、撮影・川又 昴、音楽・芥川也寸志。女弁護士役に岩下志麻。これはあの恐るべき映画『鬼畜』を創った面々ではないか。先日、「頑固一徹と強情が集まるとこんな映画になる」という『鬼畜』の当時の宣伝ポスターを目にした。清張、芳太郎、昴、也寸志、志麻さんのポートレイトがオーラを放つ異様な迫力の素晴らしいポスターだった。松竹という会社が最も輝いていた時代。映画『疑惑』はここに頑固一徹、強情同族の桃井かおりが加わる。これはただ事ではない予感がした。

野村芳太郎監督の見事なコンダクターぶり

昨年、東銀座の松竹大谷図書館で『疑惑』のシナリオを目にする機会があった。当時の撮影スタッフが寄贈したであろう生々しい撮影台本を閲覧する幸運に恵まれた。そこには、数多の書き込みと信じがたい撮影総合スケジュール表が添付されていた。わずか1カ月の撮影スケジュールの中に組み込まれた編集作業。撮影編集後すぐのダビング作業。ゼロ号試写の数日後にはロードショー公開という驚愕の離れ業がそのスケジュール表には示されていた。それでいてこのクオリティーとは驚くばかりだ。映画職人、野村芳太郎監督の見事なコンダクターぶりに舌を巻く。黒澤 明監督に「日本一の助監督」と呼ばれただけはある。監督でも日本一だ。

北陸の酒造会社の大金持ちが運転するクラウン・セダンが富山新港の岸壁から海に突っ込む。僕は少し前に観たブライアン・デ・パルマ監督の『ミッドナイトクロス』のオープニングを思い出した。「助けて」と漆黒の海面から鬼塚球磨子(おにづかくまこ)役の桃井かおりが現れる。死亡した夫、白河福太郎(仲谷 昇)には多額の保険金がかけられていた。車が引き上げられていく富山湾の夕景が不穏な美しさで不気味さを醸し出す。

桃井かおりの球磨子が傑作

「北陸一の毒婦、鬼クマ」と新聞記者、秋谷(柄本 明)は記事で煽り立てる。前科4犯の球磨子の桃井かおりが傑作だ。性悪、ダメっプリが凄まじく、桃井かおりのチャレンジに嫌悪を超えて、かえって人間味というものを伝えてくれる俳優のすごさ。ただひたすら性格が悪い球磨子に軒並み弁護士達は辞退する。

そこで国選弁護士の佐原律子役のオシマさん、岩下志麻の登場だ。当時中3の僕は『鬼畜』のオシマさんの二の腕や『草燃える』の北条政子役の尼姿の色香にやられていたので、冷徹腕利き弁護士の岩下志麻のエレガントな立ち振る舞いに参ってしまった。

ミステリーから女同士の対決に

原作の男性弁護士を女性に変更したことで、ミステリーから女同士の対決、女達が抱える葛藤というドラマツルギーが映画の主体となって俄然面白くなった。岩下志麻vs桃井かおり。撮影現場の緊張を想像するだけでワクワクして武者震いがする。

法廷シーンに証言者の山田五十鈴が登場する。五十鈴、岩下、桃井の3人が顔を揃えるセットにいたスタッフ、キャストは何という緊張と高揚感に包まれた幸福な撮影現場を経験できたかと考えるだけで溜息が出る。

かつて、球磨子がホステスとして勤めたクラブ「青い旗」の経営者、堀内時枝役の「男と女のことだったらあんたなんかより泥水飲んでんだ」と女弁護士に向かって舌巻いてのべらんべえ啖呵がものすごい。鹿賀丈史、三木のり平、名古屋 章、続々現れる、一筋縄ではいかない証人役の名優たちの名人藝が披露されていくのが堪らない。

クライマックス、私はアンタのことが大嫌い、私も大嫌いよとワインをぶっかけあう名場面。ワインかけは桃井かおりからの提案だということだが、先輩、岩下志麻も受けて立った。赤ワインが引き立つように、予定していた衣装を白スーツに変更した。球磨子にワインをぶっかけ返す女弁護士の怒りは「男のひとりやふたり、死んだってかまいやしないわ」「東京に戻ってまた男達を手玉に取って生きていく」のだと不埒な球磨子に対する哀しみと怒りだけではない。自分自身への哀しみと怒りも含まれているのだ。

現場で変更された台詞 

「またしくじったら、弁護してあげる」という女弁護士に向かって球磨子の「頼むわ」が準備稿では「誰がアンタなんかに頼むか!」になっていた。現場で変更された台詞の提案は監督からか俳優からなのか、興味深い。単なるミステリーではなく、人間ドラマとしてきわ立つ原作には書かれていないシナリオの勝利だ。

映画の終わりは東京に向かう特急列車に乗り込む球磨子の不遜な粋なラスト。鉄道映画といえば『張込み』『砂の器』の野村芳太郎。もちろん、清張の「点と線」にほだされた僕には大満足のラストカットだった。



VIDEO SALON 2024年10月号より転載