中・高・大と映画に明け暮れた日々。あの頃、作り手ではなかった自分がなぜそこまで映画に夢中になれたのか? 作り手になった今、その視点から忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に改めて向き合ってみる。
文●武 正晴
愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。主な作品には『百円の恋』、『リングサイド・ストーリー』、『銃』、『銃2020』、『ホテルローヤル』等がある。ABEMAと東映ビデオの共同制作による『アンダードッグ』が2020年11月27日より公開され、ABEMAプレミアムでも配信中。現在、NETFLIXでオリジナルシリーズ『全裸監督』シーズン2が配信中。2024年10月25日よりアマゾンPrime Videoで『龍が如く〜Beyond the Game〜』が全世界同時配信!
第116回 蒲田行進曲

イラスト●死後くん
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製作年 :1982年
製作国:日本
上映時間 :109分
アスペクト比 :ビスタ
監督:深作欣二
脚本:つかこうへい
原作:つかこうへい
製作:角川春樹
撮影 :北坂 清
編集 :市田 勇
音楽 :甲斐正人
出演 :松坂慶子 / 風間杜夫 / 平田 満 / 高見知佳 / 原田大二郎 / 蟹江敬三 / 岡本 麗ほか
花形スターの“銀ちゃん”こと銀四郎は、取り巻きの大部屋俳優のヤスに妊娠した恋人の女優・小夏を押し付けて結婚させる。ヤスは生活費を稼ぐために危険な役をすすんで引き受けた。そんな中、ヤスは銀ちゃんのために「新撰組」の撮影で危険な階段落ちをすることとなり…。
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75歳の風間杜夫さんのひとり芝居『カラオケマン』のシリーズ第8作目を本多劇場で観劇した。風間さんがひとり芝居を始めて27年目だという。終劇後、「命懸けです」と感極まる風間さんと楽屋でお会いできた。
僕にとって、風間杜夫さんと言えば『蒲田行進曲』の銀ちゃん、こと倉岡銀四郎役が鮮烈だった。演劇界の風雲児、つかこうへいが演劇界、いや芸能界に殴り込みをかけ、1980年紀伊國屋演劇賞、1982年小説で直木賞もゲットして、遂には映画化され大ヒット。その年の映画賞を総なめにする(演劇、小説、映画の三冠!)。当時中学3年の僕ももちろんこの傑作喜劇にやられたひとりだった。角川映画が蒲田撮影所をルーツとする松竹と組んで、撮影の舞台が東映京都撮影所という前代未聞の制作体制。監督は東映出身の深作欣二監督。1982年とは何ともすごい時代だったことか。
新進気鋭(34歳)つかこうへいが老舗松竹、イケイケの角川春樹、深作欣二に噛み付く。自分の劇団員を出演させることが、映画化の条件。銀ちゃん役の風間杜夫、ヤス役の平田 満が主役に。ヒロインの小夏役には、松竹側が希望する松坂慶子でクランクインすることに。映画界では無名だった、風間、平田は一躍トップスターに躍り出る。松坂慶子もこれが代表作となり、3人は80年台の映画界を席巻することとなる。
僕は風間さんを『蒲田行進曲』以前にテレビの探偵物語』や映画の『野獣死すべし』などの松田優作の作品群で見かけていたので嬉しかった。
倉岡銀四郎は酷い男である。今の時代なら確実にアウトだ。プライドが高く、大部屋の俳優たち子分を奴隷のように従えている。自分のアップカットがどれくらいあるのか子分たちに数えさせている傍若無人なスター俳優だ。
映画という夢を追い求めて熱く生きていた
京都東映撮影所の大部屋俳優ヤスこと村岡安治を平田 満が演じる。ヤスは愚かな男である。映画が大好きで作品のためなら死んでもいいという映画馬鹿である。銀ちゃんの今でいうパワハラ、モラハラに耐える毎日だ。松坂慶子の水原小夏は哀れな女だ。好きな男、銀ちゃんに尽くすが、妊娠して子供を産む決意をして、銀ちゃんに捨てられる。銀ちゃんはヤスに小夏を押し付け、お腹の子の父親になれとヤスに命じる。何とそれを受け入れてしまう驚きのふたり。1982年とはなんと酷い時代であろうか。この作劇は現代では企画の段階で受け入れられないだろう。
この頃の撮影所にはこんな愚かで、馬鹿な、哀れな男や女達が、映画という夢を追い求めて熱く生きていたのは確かだ(モデルになったのはもう少し前の映画黄金時代の1960年代だが)。こんな愚かな主人公達が逆転劇を繰り広げる『蒲田行進曲』に僕は当時夢中になった。
つかこうへいの名セリフが流行りに流行った
ヤスが大部屋で小夏との生活費を稼ぐために奮闘するシーン。本人役の志穂美悦子、真田広之、千葉真一に斬られ、殴られ、吹き飛ばされるヤスが小指を立てて「これが(小指)これなもんで(腹)」はボンクラ中学生の僕達の同級生も至る所で使っていた。遅刻、宿題忘れ、テストの不出来の際に僕らが放つこの流行語に教師達は辟易していた。「俺の屁が臭えのかよ」など、つかこうへいの名セリフが流行りに流行った。
アクションシーンは今でこそアクションスタントチームが吹き替えなどを務めるが、僕が撮影所に入った頃の80年代後半から90年代、大部屋出身の俳優達が身体を張っていた。僕も数多の映画に殉じる愚かな男のひとりとして助監督時代を過ごしたつもりだ。
銀ちゃんが土方歳三を演じる名物「新撰組」池田屋の階段落ちをやる俳優がいない。セットの天井近くまで創り上げられた大セットの階段も途中からぶった斬るか思案する美術部、監督にヤスが直訴する。「俺が階段落ちやります」と、自分にかけた保険金で小夏の生活を守り、土方歳三役の銀ちゃんの見せ場を作る。そして自分自身の大部屋俳優10年の総決算に賭ける。監督役の蟹江敬三が「よーし映画でひとり殺すぞ……この映画当たるぞ」と嬉々として演じている。こんな監督がかつていたに違いないと想像させる狂気の世界が笑わせてくれる。
かつての深作欣二監督の掛け声に痺れた
ヤスの階段落ちの場面、監督役の蟹江敬三が「撮影部OK? 照明部OK? 録音部OK? 美術部OK…」と各部に号令をかけていく。映画の撮影で失敗の許されない場面、演出部、監督はこうやって号令をかける。僕も何度もそういうヒリヒリする場面を経験した。そして号令した。かつての深作欣二監督の「油断すんなよ! 本番! 」の掛け声には痺れた。「本番!」の声にスタッフが自分自身に「本番!」と声掛けする。監督の「用意!」でフィルムが回り出す音が聞こえる。僕は死ぬまでこの音を忘れることはないだろう。
経験した撮影の様子が記録されている
『蒲田行進曲』の撮影から42年。フィルムからデジタルに変わり、カメラも照明ライトも全てコンパクトになった。現場で大声を出す助監督、スタッフも少なくなった。僕達が経験した撮影の様子が、この『蒲田行進曲』の中に記録されている。貴重な映画である。クライマックスの階段落ちは、平田 満も6段ほど階段を落ち、スタントマンの猿渡さんが29段を転げ落ちたという。この場面は当時中学生だった時よりも、撮影を経験した今見るほうが熱いものが込み上げてくる。
「銀ちゃんカッコいい」という原作にないヤスのセリフが素晴らしい。銀ちゃん役の風間さん、ヤス役の平田さんがなんともカッコいい。
『カラオケマン』の終演後、楽屋で風間さんから西田敏行さんの急逝を聞かされた。西田さんの訃報を聞いて舞台に上がった風間さんは舞台上で僕達観客を笑わせながらも、時々胸に迫るものがあったという。俳優として下積み苦労して時代を席巻したおふたり。僕は風間さんと新たに仕事ができるよう精進しますと頭を下げ、楽屋を後にした。
