映像編集者のリアル
〜クリエイティブの “余白” で演出する編集者たち〜
第8回
『凶悪』『幼な子われらに生まれ』編集
加藤ひとみ[後編]
この連載では、作品のクオリティを左右する重要なポジションであるにもかかわらず、普段なかなか紹介されることのない映像編集者たちの"リアル"に着目し、制作過程や制作秘話、編集にかける思いなどを前後編の2回に分けて聞く。今回は白石和彌監督、三島有紀子監督の作品を担当している女性編集技師・加藤ひとみさんの後編。映画ファンとして育った生い立ち、編集の道を志したきっかけやこれまでのキャリアの歩みなど、本人の言葉でリアルに語ってもらった。
写真=中村彰男 取材・構成=トライワークス
プロフィール
加藤ひとみ・かとうひとみ/1980年生まれ、愛知県出身。日本映画学校卒業後、アニメ制作会社・東京キッズに入社。編集者の今井剛に師事し、『世界の中心で、愛をさけぶ』などで編集助手を担当する。2004年からは今井剛の事務所・ルナパルク所属し、『フラガール』の助手などを経て編集技師デビュー。2015年にフリーランスとして独立した。
バイト代をすべて映画に費やす
ただの"映画ファン"でした
―― 加藤さんの幼少期の映画体験はどういったものでしたか?
出身は愛知県の長久手町という映画館すら近くにない場所です。幼い頃の夏休みに、両親に映画上映会に連れていってもらって、そこで「映画って面白いな」とぼんやり思うようになりました。小学5年ぐらいで名古屋市内に引っ越してからは映画館が近くにあったので、S・スピルバーグの作品とか、観たい作品があれば普通に観に行くようになってましたね。女の子同士でK・コスナーの『ボディガード』を観て盛り上がったり(笑)。
―― 映画の道に進もうと決めたのはいつ頃でしたか?
高校生ぐらいですね。私、もともと絵を描くのが好きだったんです。高校も美術系の学校に進もうと思って、中学時代にデッサン教室に通っていたこともあります。同時に、絵だけではなく本や音楽にもどっぷり浸かってました。やっぱり映画は総合芸術じゃないですか。映画には好きなものが全部入っている、そんな風に感じていたとき、たまたま図書館で「キネマ旬報」をパラっとめくったら、日本映画学校の広告が載っていて「これ受けてみようかな」と。
―― 偶然手に取った雑誌で進路が決まったんですね。普通の大学へ行く選択肢はなかったんですか?
なかったですね。私、じつは高校を中退してフリーターをやりながら、バイト代をすべて映画に費やす生活をしていて(笑)。その頃はアート映画やミニシアター系の映画館によく通っていました。『トレインスポッティング』とか、M・ウィンターボトムの初期作品とかを観てはノートに映画メモをつけたりして。
―― 本当に映画が好きだったんですね。
たぶん両親が映画好きだったということが大きいですね。レンタルしてきたC・チャップリン、B・キートン、A・ヒッチコックのモノクロ映画が普通に流れているような家でした。子どもに見せちゃいけないような映画もあったと思います。例えば、『時計じかけのオレンジ』とか(笑)。両親は子どもの教育のために…ということではなく、ただ映画が好きだったということですけど。
―― 入学した日本映画学校ではどんな勉強をしましたか?
「人間研究」という授業が印象的でしたね。やりたいテーマを見つけて、自分でアポをとってインタビューした映像を発表するんですけど、私は”引きこもり”をテーマにしたので、インタビューがすごく大変だったんです…当たり前なんですけど(笑)。編集は、2年生になるときのコース分けで編集ゼミを選んでからですね。
―― なぜ編集を選択したんですか?
現場でみんなとワイワイ撮影するのも楽しいんですけど、どっちかっていうと脚本読んでじっくり考える方が向いてるかも、と。あと編集しだいで映像の見え方が全然変わるってことにだんだん気づき始めたんです。現場でうまく撮れなかったときにも試行錯誤するのが楽しいし、やりがいがあるなって思ったんですよね。
映画業界入りしていきなり
行定勲作品のチーフ助手
―― 卒業後、アニメ制作会社の東京キッズに入ったのはどうしてですか?
師匠の今井剛さんがいたからですね。東京キッズの人が学校に募集で来ていて、「うちには『GO』で日本アカデミー賞の編集賞を獲った今井っていうやつがいるよ」って紹介されて。それで編集助手として入社して、今井さんのもとでAvidでの編集を学び始めました。そのあと、他に助手がいなかったので、いきなり『世界の中心で、愛をさけぶ』でチーフ助手をやらせてもらうという(笑)。
―― ではアニメの編集がやりたかった、ということではなかったんですね。
当時は無知で「アニメに編集が必要なの!?」って思っていたぐらいでしたから。「必要な画だけ描けばいいんじゃないの?」って(笑)。今なら当然、リズムを作るために切ったり貼ったりしないと、とてもじゃないけど作品にならないって分かるんですけど。後に白石和彌監督が『牝猫たち』をオールアフレコでやったときに、アニメの編集を思い出して。声のない映像をリズムで切って、あとで声を入れるっていうのはアニメに近い感覚でした。
―― その後、加藤さんは今井さんが代表を務める事務所・ルナパルクに入ります。
今井さんが個人事務所を開くということだったので、「私をオープンスタッフとして連れてってください!」ってお願いしました(笑)。東京キッズはアニメが中心だったので、今井さんが会社からいなくなっちゃうと実写作品から遠ざかって、アニメの仕事オンリーになっちゃうんですよ。やっぱり実写映画の仕事も続けたかったので。
―― ではキャリアの十数年は、ずっと今井さんと組んで仕事をしてきたんですね。
私、ほぼ今井さん以外に助手についたことがないので、今井さんの編集術しか知らないんですよね。師匠はあまり手取り足取り教えるタイプではなかったんですけど、結構いろいろ手伝わせてもらえたのが良かったです。『世界の中心で、愛をさけぶ』に出てくる天気図をいきなり作ることになってPhotoshopをいじったり、アニメ作品で口パクがずれてたら”止め”を作ってタイミングを直したり。あんまりオフラインとオンラインの境目がない作業も助手時代にたくさん経験したので、今すごくラクに感じます(笑)。
―― 加藤さんはルナパルク時代から白石監督や三島有紀子監督との仕事が始まりますが、最初の出会いはどういうものだったんですか?
白石監督は行定組で助監督をやっていたので、その流れでプロデューサーから紹介されました。『ロストパラダイス・イン・トーキョー』が私の実写デビュー作なんですが、白石監督のデビュー作でもあるので、お互いデビュー同士だったんですよ。実写1本目が白石監督だったのはとてもラッキーだったなと思いますね。白石監督とは好きなものが似てるんですよ。編集中に「これ、『マル秘色情めす市場』に構成が似てますね?」と言ったら、「加藤さんが初めてこのオマージュに気付いてくれたよ」って言ってくれて(笑)。
―― 三島監督との出会いはどのようなきっかけだったんですか?
「加藤さんと好きなものが似てるから、気が合うんじゃない?」と、プロデューサーが三島監督を連れてきてくれたんですよ。『最恐ダーリン』という携帯ドラマで初めて組みました。三島監督は本が好きなので作風も文学チック。舞台や演劇的なものを映画に入れたいという考え方をするので、編集もやっていてすごく面白いですね。やっぱり好きなものが似ていると、「このシーンってあの作品っぽいよね?」と言ったときにすぐ通じるから良いんでしょうね。
白石さんの勝負作『凶悪』は
"孝行息子"だったと思う
―― 2015年からフリーになりますが、きっかけは何だったんですか?
『凶悪』を観たテレビ東京のディレクターさんに、「『凶悪』を編集した人に担当してほしい」ということでドキュメンタリーの編集に呼ばれて。外部で1か月くらい缶詰になって編集したんです。そのとき、こうやってお仕事をいただけるのであれば、どんどん外に出て行った方がいいんじゃないか…と思ったんですよね。
―― 『凶悪』がいろんな仕事につながったんですね。
白石監督とも『凶悪』は”孝行息子”だねって話してます。監督だけでなく、あの作品のおかげでお仕事が広がったキャスト・スタッフの方はたくさんいますし、私のキャリアでも分岐点になった1本だと思いますね。
―― ただ、フリーになる決断は勇気が必要だったのではないでしょうか?
仕事が来なかったらどうしよう…とは思いました。でも助手時代から、私は私なりにタッグを組む相手を見つけなきゃいけないと思っていました。助手を担当した映画の予告を勝手に作って、それを監督に見せたりして。そんなあがいている時期もありました。まあ、フリーになっても仕事があって一応食べていけてるのは、白石監督と三島監督のおかげですね(笑)。作品を通して一緒に育ってきた、みたいな感覚もありますし。
―― 編集者として葛藤した時期もありましたか?
やはり師匠が偉大な存在なので、技師デビューしてもしばらく自信が持てませんでした。「今井さんがつないだらもっと良くなるんじゃないか…」って。白石監督のデビュー作を担当したときに「今井さんにつないでもらったほうが良かったかもしれないんですけど…」と、つい言ってたんです。でも白石監督は「いや、加藤さんがいいです」って断言してくれたので「おおっ、この人!」と思いました(笑)。それならこの監督のためなら何でもしてあげよう、と心に決めて。意外にそういう言葉で頑張れちゃうんですよね。
―― 加藤さんは今後どういう風に活動していきたいですか?
アニメもやりましたし、「実写映画じゃないと編集しません」みたいな感覚はないですね。最近は、紀行ドキュメンタリーみたいな旅番組のお仕事をいただくこともあるんです。テレビのドキュメンタリーは編集段階の構成が重要ですし、映画とはまた違った自由度があって楽しいです。そういうお仕事で得た経験を映画にうまくフィードバックできるといいなと思うので、ドキュメンタリーのお仕事も増やしていけたらうれしいですね。
―― 気になったので、最後に教えてください。肩書きを「編集技師」にしているのはどうしてですか?
単純に「編集技師」ってカッコいいなと思って(笑)。「編集」だけだと雑誌や書籍の編集者と似ちゃうし、昔から、映写技師とか「○○技師」っていう職人っぽいのに憧れがあって。鞄職人とか家具職人とか、なんかカッコよくないですか? やっぱり私は何か作るのが好きなんですよ。
●この記事はビデオSALON 2018年4月号 より転載