中・高・大と映画に明け暮れた日々。
あの頃、作り手ではなかった自分が
なぜそこまで映画に夢中になれたのか?
作り手になった今、その視点から
忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に
改めて向き合ってみる。
文●武 正晴
第12回『セルピコ』
イラスト●死後くん
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正義感に燃えて、警察官になったフランク・セルピコ。着任した彼を待っていたものは正義とは程遠いニューヨーク市警の収賄汚職の現実だった。警察上層部にまで蔓延していた汚職に立ち向かう実在の警察官・セルピコをアル・パチーノが演じる。
製作年 1973年(日本公開は74年)
製作国 アメリカ・イタリア
上映時間 130分
アスペクト比 ビスタ
監督 シドニー・ルメット
脚本 ウォルド・ソルト
ノーマン・ウェクスラー
撮影 アーサー・J・オニッツ
編集 デデ・アレン
リチャード・マークス
音楽 ミキス・テオドラキス
ジャコモ・プッチーニ
出演 アル・パチーノ
ジョン・ランドルフ他
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※この連載は2016年4月号に掲載した内容を転載しています。
ここ数日、警察官を主人公とする物語の準備のために『野良犬』で志村喬が演ずる佐藤刑事や『砂の器』で丹波哲郎が演ずる今西刑事達の捜査ぶりを見直している毎日だ。『フレンチコネクション』のジーン・ハックマンとロイ・シャイダーのコンビ、『ダーティ ハリー』のクリント・イーストウッド、『ブリット』のスティーブ・ マックイーン達の活躍も懐かしく眩しい。
僕にとって幼い頃からのヒーローで忘れることができない刑事がもう一人いる。アル・パチーノが演じた実在の人物フランコ・セルピコだ。僕は1977年11月6日の「日曜洋画劇場」で10歳の時に観ている。
警察内部の腐敗に孤軍奮闘するセルピコ
正義感溢れる主人公・セルピコ青年。警察学校を卒業した彼は念願かなって、私服警官の勤務が叶うが、次第に警察内部の汚れきった現状を知っていく。賄賂を受け取らないセルピコは次第に警察組織から孤立していき、厄介者としてニューヨーク中の分署をたらい回しにされる。汚職と腐敗に孤立無援で立ち向かっていくセルピコの正義と孤独の闘いの130分だ。
監督は人間社会の正義を撮り続けたシドニー・ルメット。『十二人の怒れる男』をNHKの「世界名作劇場」で、『狼たちの午後』を「ゴールデン洋画劇場」でテレビで中学時代に。『評決』を高校一年生の時に名古屋の駅前の劇場で観て、正義を学んだ。シドニー・ルメット先生との最初の学び場が日曜の夜9時から始まったわけだ。
警察内部の腐敗は上層部まで広がり、警察との対立を避けたい市長にもセルピコの声は届かない。本来の仕事がしたいとセルピコが上司の署長に嘆願する。刑事達から脅され、恐怖に怯えるセルピコ。唯一の協力者がブリストン大学卒のブレア刑事と勤続20年のロンバート署長くらいだ。裏切り者と嫌われて相棒のいないセルピコの相棒を引き受ける署長の登場に少し安心した。セルピコは警察だけでなく社会からも孤立しているように思える。ヒゲを生やしヒッピーのような格好は潜入捜査に役立つのだとうそぶく。
友達のいないセルピコは、路上で5ドルで買った犬のアルフィーとネズミ、オウムのペット達と暮らしている。プッチー二を一緒に聴いてくれる隣人のローリーと恋人になるものの、裸でベットで待っている美女にはお構いなしにペットのオウムくんに餌を与えている場面にセルピコの闇を見てしまう。傑作な場面だった。
内部調査員のシドニー・グリーン警視長も唯一の理解者で内部告発に怯えるセルピコを「警察中の便所の壁は俺の悪口だらけだ。味方は一人もいない」と大威張りで励ますのが可笑しい。
30年ぶりに観た映画で改めて発見したこと
30年ぶりに『セルピコ』を観て改めて発見したのは正義感に燃えた男の孤軍奮闘物語ではなく、主人公セルピコの組織、社会に対する怯え、人間不審や苛立ちによるセルピコの持つ人間的な弱さが細かに表現されていることに気づかされた。誰も信用できず粗暴になっていくセルピコ。恋人のローリーもセルピコの闇から去っていく。シドニー・ルメットの描く正義の主人公は完全無欠な勇敢なヒーローではない。何処にでもいる普通の人が悪から目を背けることができなくなるのだ。跳ね返され、怯え、打ち負かされそうになるが、自らを奮い立たせ、諸悪に立ち向かう姿が観る者の心をうつのだ。街で少年達から『取り立て屋が来たぞ!」囃し立てられる警察官を見下す声に、セルピコは奮い立つのだ。正義感溢れる主人公の心の変貌をはじめ、弱さ、怯え、恐怖、そして強さをアル・パチーノが細かに演じてくれている。彼はこの年、1973年度ゴールデングローブ主演男優賞受賞、アカデミー主演男優賞にノミネートされている。
勇敢で素敵なヒーローを見送る
20世紀のギリシアにおける最大の音楽家ミキス・テオドラキスの奏でる音楽が常にセルピコを慰め、哀しく優しく味方してくれる。テオドラキス自身が政治活動家として軍事政権に逮捕拘束された経験があるからか、セルピコへの同情と優しさの音楽を与えてくれたのか。自らの身を守るために護身用の拳銃を購入するセルピコが『何処の軍隊と闘うんだい?」と聞かれ「警察さ」と真顔で答える。ブレア刑事のコネクションでニューヨークタイムズ紙に内部告発を決意する。すべての警察を敵に回したセルピコ。自分の命の使い方を知ったセルピコ。10歳の僕は映画を観ながらセルピコを応援していた。
タイムズ誌への内部告発への報復か、最も危険な麻薬課に飛ばされるセルピコ。捜査中に同僚に見捨てられ顔を撃たれたセルピコが哀しかった。左耳の聴力を失い、左半身が麻痺したセルピコは警察の汚職腐敗を告発して表彰され金バッチをもらい、警察を退職した。寂しい結末だったが、僕はこの映画のラストカットが大好きで忘れられなかった。シドニー・ルメット監督は僕達にこの勇敢で素敵なヒーローを見送る機会をくれたのだ。セルピコが巨犬となった友人アルフィーとボストンバックひとつを持ってスイスへと旅立つ姿をだ。オウムくんとネズミくんの姿は見えなかったが、勿論あの優しいテオドキラスのメロディーと共に。
警察の腐敗は社会国家の腐敗。セルピコはアメリカを去るのだ。拍手と共に見送ろうではないか。映画には応援できる素敵な主人公が必要なのだ。わずか2時間と少しの時間で一生涯忘れ得ないヒーロー、ヒロインと出逢うことができ、彼らを一生涯応援できる。これが映画の良いところではないかと僕は思う。
ロッテルダム映画祭でのハンガリーの女性と
1月30日にオランダ、ロッテルダム映画祭での拙作『百円の恋』上映後、会場の出口で若い女性に呼び止められた。ハンガリーからやって来たという彼女は少し興奮した気持ちを抑えながら「ハンガリーは今観た日本の社会と同じく女性を取り巻く環境が悪く、女性が弱い立場にあります。私はあのイチコという主人公を夢中で応援して勇気づけられました。ありがとう。」と熱いものを堪えながら話してくれた。「僕もハンガリーの映画を先日観て主人公から勇気をいただいたばかりですよ」と彼女に御礼を言って会場を後にした。
格好悪くても応援して貰える主人公が映画には必要なんだと胸の中でつぶやいてみた。深夜を過ぎても映画祭の会場には人だかりができて賑やかだった。僕は雨の降る夜道をホテルに向かって1人歩き始めた。
●この記事はビデオSALON2016年4月号より転載
http://www.genkosha.co.jp/vs/backnumber/1557.html