誰もが一度は憧れる豊かな光の表現。レンズを駆使した光の描写に定評のある撮影・監督の小原 穣さんに、話題作「ザ・パークハウスではじまる朝が、好きだ。」の制作の過程と撮影手法を語っていただいた。
聞き手●編集部 一柳 構成●編集部 新宅
小原 穣/1981年神奈川県生まれ。慶応義塾大学卒後、株式会社スプーンを経てDRAWING AND MANUALに参加。ジャンルを固定しない縦横無尽の演出により数多くの映像作品を生み出している。また撮影監督としても数々の作品に参加している。
テーマは「朝の光を美しく撮ること」と「黒木 華さんをきれいに撮ること」
─このCMを見たときに、朝の柔らかな光に満ちた美しい映像に感動しました。どのようなコンセプトで制作にあたられたのでしょうか。
ありがとうございます。今回のお仕事をいただいて、まず考えたのは、「朝の美しさとはなんだろう」ということでした。朝の気持ちよさって、肌に当たる澄んだ空気などいろいろな要素がありますが、CMという視覚的な表現の中で、視聴者と共有できるのは、「光の美しさ」なのではないかと。その上で、朝起きたときにカーテンを開けたときの気持ちよさみたいな感覚を、五感を通して感じられるような表現ができないかということを考えていました。
─光の変化していく様子がとても象徴的でした。
朝の光の美しさって、夜から移り変わっていく光のアンバランスさにあると感じたんですよね。暗い部屋に、柔らかい光が差し込んでいく過程を描写することが、その魅力を一番伝える方法。なので、光の微細な変化を捉えることを意識して撮影しました。
─その微細な変化を捉えるために、どのようなことをされたのでしょうか?
まずレンズのお話からさせていただくと、光を柔らかく捉えることができるクックのシネレンズをチョイスしました。そのほかは細かい話になってしまいますが、フィルターをいくつか使いましたね。
─フィルターについて詳しく伺ってもいいですか?
はい、今回の撮影で重要なフィルターは2種類ありました。ひとつはサテン系のスモークフィルター。このフィルターは光源からの光を外側に広げる効果があるので、光を柔らかくする効果があります。もうひとつは、レッドエンハンサーと呼ばれる赤いフィルターですね。
─赤いフィルター…ですか?
はい。今回の映像は朝の青みがかった光の中での撮影だったので、そのままだと、どうしても人物の血色が悪くなってしまいます。特に今回の撮影では主演の黒木 華さんの表情をどう捉えるかということもとても重要なポイントでした。
僕は人物の撮影時に「人の肌を美しく見せるか」を意識しているんですね。というのも、役者さんがどんなにいい表情をしてくれたとしても、少し色味が悪くなってしまうだけで、全て台無しになってしまう。そのため、常にどうしたらその人を美しく見せられるかということを意識してフィルターを使っています。
特に日本人のスキントーンはCMYKで言うところの、Y(イエロー)が多いので、顔色が悪くなってしまいがちです。そこで肌の中にある「赤」を際立たせることで、血色をよくして、透き通って見えるようにしたいという意図はありましたね。
─スキントーンに関してはカラーグレーディングの段階で調整される方も多いですが、撮影時にフィルターなどを使用するメリットはあるのでしょうか?
人物の血色が悪くなってしまった場合に、グレーディングで赤みを足そうとすると、撮影の段階にはなかった色をソフト上で付け足す形になります。すると、どこか不自然でケミカルな色彩になってしまう。だから、撮影素材の中にきちんと赤色を入れてあげることは気をつけています。
もちろんRAWで撮影しておけば、カラーグレーディングである程度調整できるとは思います。ただ、撮影の段階でどのような画が撮りたいかというコンセプトは決めておいたほうがいいのではないかなと。この映像においても、グレーディングの段階で極端な調整は行なっていません。撮影時のモニターに映っている色とほとんど同じような状態ですね。
─ではRAWで撮影する場合も、色温度やホワイトバランスは現場ではっきりと決めているわけですね。
そうですね。今回の撮影自体はRAWで撮っていますが、そのあたりは現場の段階できちんと詰めておいたほうがいいと思います。カメラを通して見えるものって、すごく重要なんですよ。いい画かどうかは現場でジャッジするわけなので、その時に最終形に近づけておかないと、編集の段階で追い込んだとしても、絶対にどこかずれてしまいます。だから現場での色彩を編集で極端に変えるようなことはあまりお勧めしません。特に今回のようにフィルターを入れる撮影の場合は、色温度と密接に関わってくるので、こだわったほうがいいと思いますね。
光を柔らかく描くために、あえて感度を上げてノイズを出す
─レンズに関してのお話がありましたが、ボディに関してもセレクトのポイントはあったのでしょうか。
朝の薄暗い景色を印象的に見せるためにある程度ISO感度が高いもの、とノイズに粒子感が出るものということで、ALEXA Miniを選びました。
─あえて、ノイズを出しているということでしょうか?
たとえば、あらかじめノイズを入れて撮っておくことで、光が柔らかくなることもあるんですよ。それから、ハイライトが強いところを撮影する場合、いわゆるマッハバンドと呼ばれる現象が出やすいのですが、ノイズが入ることでそれが少し柔らかくなったりしますし。
今回のケースでは、朝独特のアンバランスな薄暗さを出すために、あえてISO1600という高感度で撮影しています。ノイズが入ってしまいますが、それがフィルム・グレインっぽくなればいいし、柔らかい光を作るための演出になります。
感度を上げて撮影するのは、嫌がられがちですが、伝えたいものに応じて、ルックは変わるもの。解像度の高いシャープな画がどの場面でも美しいとは限らないように、感度をあげてノイズが出てしまうのが必ずしも悪いことではないと思います。
手持ちならではの視点を生み出すためのハイスピード撮影
─ノイズを避けたいという人が多い中で、貴重な意見かもしれませんね。機材のスペックなどにこだわりはあるのでしょうか?
センサーサイズなどには、あまりこだわりはないですね。どちらかというと、撮り回しのしやすさなどフィジカルな部分の方が機材のセレクトには重要です。手持ち撮影ができることもALEXA Miniを選んだ理由のひとつですね。
─なるほど。でも現場写真を拝見すると、レンズやモニターなどもあって存在感はありますね。
コンパクトすぎるカメラは避けたいなと考えていました。というのも、今回の主演の黒木さんは映画の撮影に慣れている方です。ある程度機材のサイズが大きいほうが、いい緊張感を持って演技できると思ったんですよね。
一方でかなりの重量になってしまうので、撮り回しの精度を上げるために、砂の入った肩掛け鞄の上にカメラを置いて重心を分散させるなどの工夫はしていますね。
─手持ち撮影にこだわった理由というのはあるのでしょうか?
今回の場合は、より近い距離で黒木さんのパートナーの目線を感じられるような映像にしようと考えていました。FIXだと客観的な映像になってしまいますが、手持ちの場合だと自由にアングルを変えたり、距離を縮められるので、視点を感じやすい映像になります。ちなみにレンズは50mmほぼ1本です。
一方で、手持ちの揺れが強いカメラワークは、朝の静的な雰囲気がマッチしづらい。かといってジンバルを使うと、被写体に寄ることが難しくなってしまいます。そのため、今回はハイスピード撮影を想定してカメラワークをやや速くすることで、最終的に滑らかな動きを作るようにしました。
─メイキングの映像内では思ったよりもゆらゆらと動いている小原さんの姿が見受けられますね。この辺りのコツはあるのでしょうか?
意識するというよりも、もう体が自然に動いていますね。もしかしたら、現場の人たちも「なんでこの人ゆらゆら揺れてるんだろう」と思っていたかもしれませんね(笑)。
演出と撮影を兼務するからこそ生まれる「阿吽の呼吸」
─演出・撮影を兼務する難しさもあるかと思います。
個人的にはそんなことは全然なくて、むしろ気づくことの方が多いと思います。近い距離で話をしながらでしか、引き出せない表情もあると思いますし、演出と撮影って切り離せないものだと思うんですよね。
僕は役者さんとコミュニケーションしながら、自分でカメラを回すことが多いのですが、進むにつれて、お互いの呼吸が合ってくるんですよ。役者さんの演技と自分のカメラの動きが互いに反応しあう「阿吽の呼吸」になってくる感じがあります。
─こうして聞いていると、かなり臨機応変さを問われる撮影ですね。画コンテとの擦り合わせが難しそうに思います。
そうなんです。だから画コンテってあんまり描きたくないんですよ(笑)。ただ、大きな企業さんのお仕事だと、関わる人数も多いので、きちんとしたプロセスを経ることは大事ですし、自分の頭を整理する機会にもなるので、描いている感じですね。
─描きたくない…ですか(笑)。
現場での自由度がどうしても減ってしまうんですよ。画コンテってある種の約束なので。ただ、“想定していた最高のもの”は“現場での最高のパフォーマンス”とは結びつかないことが結構ある。僕は、現場によって“最高のもの”は変わると思っているので、できればギリギリまで突き詰めたいですね。
見ている人に五感で感じてもらうためにこだわった現場での音声と照明
─メイキングにガンマイクが映り込んでいましたが、セリフはアフレコだったように思います。これは現場の音を撮っていたのでしょうか。
まさにその通りです。布団の中の衣ずれ音などの微細な音も捉えるために、ガンマイクを入れました。特に今回は五感に訴えかける表現にしたかったので、視覚的だけでなく、聴覚的にもリアリティを追求したいなと。もちろんカメラマイクでの収録やSEで追加するのも可能なのですが、ガンマイクの音は立体感もあるし、臨場感が全然違いますね。
─なるほど。今回のように音声さんを入れるケースというのは多いのでしょうか?
そうですね。その場で撮ることのできる音のリアリティは、後から付け足したものとは比べものにならないので。他の予算を削ってでも、ガンマイクを入れさせてほしいと頼むことが結構ありますね。
─ちなみに今回のスタッフの編成はどのような形だったのでしょう?
撮影の現場に関わった人数で言うと、カメラ周りが僕を含めて3人、照明部が8人程度、録音部が1名ですね。
─照明部の人数が多いのですね。
今回はスタジオでの撮影だったので、撮影を円滑に進めるためにも、かなりの人数が必要でしたね。
─スタジオで撮影したとは思えないようなリアルさです。
ロケーションで撮影した自然な朝日に見えるように、セット内にはライトを置かず、窓の外だけにライトを置くことで太陽光が部屋に差し込んでくる感じを演出していますね。
スタジオセットの場合、どうしても全体に光を回したくなってしまうのですが、フラットになりすぎると美しい光の表現ではなくなってしまいます。特に今回は朝の光のアンバランスさがキーワードだったので、室内と屋外の光のバランスをあえて崩すというところはこだわらせていただきましたね。
あらゆるプロフェッショナルが集まる現場だからこそ重要なこと
─かなり大所帯な撮影なのですが、ディレクションなどで気をつけていることはあるのでしょうか?
細かく要望を出したほうが現場がうまく回るケースもあるのですが、基本的にはこういう大人数が集まる現場では、自分の中にある正解を周りのスタッフに頭ごなしに押し付けすぎないように意識しています。
というのも、撮影や照明の技師さんをはじめ、メイクさんや小道具さんなど、その道のプロフェッショナルたちが集まることで映像の現場はできています。だから、スタッフの長所を引き出すことがとても大事なのではないかなと。そういう意味では、それぞれが自分のアイデアを出しやすいようなディレクションをすることは心がけていますね。その上で、生まれてきたアイデアを徐々にブラッシュアップして、どんどんと積み上げていく。みなさん歴戦のプロフェッショナルたちなので、作品のイメージさえきちんと共有しあうことができれば、想像力を発揮しあって、必ずいいものができると思います。個人的には、こういう化学反応を起こしあえるような現場が一番いい撮影を生み出すと思いますね。
VIDEO SALON 2021年1月号より転載 2021年1月号の告知ページ