【ソニー】ビデオカメラの市場を拡大した「コンスーマーベースの業務用ビデオカメラ」の系譜〜ソニー馬場信明氏インタビュー


ビデオ機器の歴史に詳しい人ならよくご存知だと思うが、ソニーにはかつてコンスーマー(民生用)のビデオ(品川系)と放送用のビデオ(厚木系)があった。事業所のあった場所にちなんで「品川」と「厚木」と略して言うことも多い。そのうち民生用のビデオの開発部署から業務でも使えるような製品が生み出され、それが大きな市場になっていき、まさにビデオサロンの読者が使うような製品のメインストリームができていった。たとえば1990年代のDVCAMや2000年代のHDV、NXCAMなどがそれだ。現在では放送用とコンスーマーベースの業務用のストリームは統合されつつあり、明確な区分はなくなっているが、民生系から派生した業務機が映像制作機器を多様なものにして、市場を拡大してきたのは間違いない。「品川の業務用」を長らく担当してきた馬場信明さんにお話を伺うことになった。馬場さんはVTRのメカやカメラの筐体の設計から経歴をスタートし、HDVからはビジネス全体を見る立場になった。約30年の業務用ビデオカメラの歴史をメーカー側から見てきた人である。そしてこの7月に定年退職されるという。(編集部・一柳)

ーー今日、私はPD1を持ってきました。DVCAMの第1号機、PC7の業務用版ですが、ベースが同じでコンスーマーと業務用があるというラインナップ展開の走りかもしれません。これがたしか1997年でした。馬場さんは最初はコンスーマー製品をやられていたんですか?

1979年の入社で、最初はベータマックスのメカデッキと筐体の設計をやっていました。

ーーDVCAMに辿り着く前にかなり時間があるので(笑)、その後の変遷を簡単にお願いします。

ベータマックスの設計部署は枝分かれして、一方は業務用をやるようになったんです。私は業務用のほうの設計をやるようになって、その後に、8ミリビデオの業務用の設計部隊に配属になりました。それが1989年くらいですね。そこから業務用畑をずっと担当してきました。つまりコンスーマーの組織で業務用のプロダクツを設計する部署でやってきました。フォーマットの変遷に合わせて、それから8ミリからDV/DVCAM、HDV、AVCHD(NXCAM)、XDCAMという流れですね。

ーー「品川の業務用」というのは8ミリビデオから始まっていたんですね。

そう思っていただいて結構です。

ーー具体的な製品としては?

その頃はカムコーダーではなくてデッキ系をやっていたんです。たとえばEVO-9700というダビング用のデッキとかです。Hi8でもショルダーのカムコーダーは厚木がやっていました。

我々の部署はコンスーマーのデバイスをベースにして低コストで設計するというのがミッション。厚木は上位ユーザー向けに独自のデバイスを作っていたので、共通なのはフォーマットだけでした。Hi8は業務用でも通用するということで厚木が始めたんだと思います。

ーーそのころは8ミリのメカデッキの設計ですか?

そうですね。でもメカデッキは一度設計すると後はやることがあまりないので、筐体設計からプロジェクトリーダーにような形で仕事が移っていきました。

ーーHi8のダブルデッキのEVO-9720という製品はかなり売れたと思います。私もギリギリ記憶があって、これが1993年の発売。でもこのころになるともう1995年のDVが見えていますね。

そうですね。その頃はDVの開発のほうに一気にいきましたね。DV/DVCAMは厚木と共同開発でした。DVCAMというのはDVに対してトラックピッチを1.5倍拡大して信頼性を向上させたフォーマットで、圧縮フォーマットは同じでトラックスピードを変えた、という仕様でした。

ーー当時、製品としては、DVが先に出てきて、その後DVCAMが出てきますが、フォーマットや製品開発としては同時に進行していたわけですね。

そうです。厚木の開発部署と品川のコンスーマーの開発部署が、DV/DVCAMをベースに一緒に開発をスタートしましたね。

ーー今、ビデオの歴史を俯瞰して振り返ってみると、それがエポックメイキングなことだったかもしれませんね。ベテランの業界の人に何が一番大きい変化だったかときいてみると、HDとか4Kとかではなくて、DVと答える人が多いと思います。つまりデジタル化によって小型カメラでも画質がよくなったこと、そしてデジタルデータなのでその後PCで編集できるようになっていったこと。つまり仕事のやり方が変わっていったわけですけど、それは1995年から1996年のDVとDVCAMがきっかけでした。

その大きい変化に対応するには、品川と厚木で個別にやるんじゃなくて、一緒にやるという判断だったんですね。それは今振り返ると歴史的には正しい判断でした。

ーーそこからはDVCAMの躍進が始まります。次から次へと厚木からも品川からも製品が出てきました。

厚木は勢いがありましたね。とにかく売れるんで。品川はどうしてもDVが中心でしたから。

ーーそうですよね。最初はDVCAMは品川でやっていなかった。VX1000にはDVCAM版の派生モデルはなくて、コンスーマーのDVモデルだけでした。


DCR-VX1000(1995年発売)はビデオカメラの歴史を買えた1台。実はビデオサロン誌はその直前まで低迷を続けていたが、VX1000の登場で突然売れ始める。その勢いをかって、当時雑誌の後半にあったソフトページをなくし、映像制作誌に大きく舵を切っていくことになる。

ところが市場調査をしてみたら、VX1000が業務用として使われていることがわかったんです。あの頃は実はデータはなかったので、聞き込み調査ですけど。では、DVCAMの小さいものを作ろうという話になって、それがそのPD1ですね。

ーーあ、そうか。これが品川のDVCAMの第1号機ですね。私はまた今回すごいものを持ってきてしまいましたね!

私の手元にあるのがDSR-PD1。馬場さんが担当してきた業務用ビデオカメラ製品一群はソニーが各部署から集めたもの。当然ながら美品状態。

PD1は品川製DVCAMの1号機ですね。これはコンスーマーのPC7がベースになっていまして、PC7とPD1は同時に開発をしました。といってもこの頃はトラック幅を広げたDVCAM記録にしただけなんですけどね。あとはボディの色が違うくらいで。制約があってそれしかできなかった。PD1を放送機器や業務用製品を担当している販売会社にもっていったのですが、こんなのを業務用として出していいのかとびっくりされましたね。「いいから使ってみて」という感じで国内外の販社に貸し出した記憶があります。

ーーそれで次は本格的なハンディタイプということで、VX2000(コンスーマー)とPD150(業務用)になるわけですね。

その前にTRV900(コンスーマー)とPD100(業務用)がありました(1998年)。

  DCR-TRV900。このモデルは手のひらに収まるサイズでボディの質感も高く、大ヒットした。

DVCAMモデルのDSR-PD100。着脱式にXLRアダプターでガンマイクを利用できた。

これからは完全にコンスーマー機と業務用機を同時に開発をしていくことになります。VX2000とPD150は本当によく売れました(2000年)。こういうカメラで取材をするということが定着していったきっかけになりました。

 DCR-VX2000

 

 DSR-PD150

ーーPD150は売れました。業界で「PD」というのはハンディのカメラを指す代名詞になったくらいに。

業務用として「まじめ」に作ると売れますね。

ーーどの辺が「まじめ」に作ったところですか?

このPD150はとにかくセンサーですね。中身のデバイスはVX2000も同じで、1/3インチで画素の大きい専用のセンサーを3枚使って、ものすごく明るくしたということ。あとは持った感じ。軽くてバランスがいいということ。PDのほうは、この小さい筐体にキャノン端子をどうつけようかということに苦労しました。

ーーたしかにここからカメラ本体にキャノン端子がつき始めたわけで、初代としては秀逸ですね。

とにかく使いやすくしたいという思いでした。業務用の用途で手で持って撮影した時のバランスが良いものにしたかった。

ーー今見ても美しいデザインですよね。そしてとにかく明るいカメラだったというのが決定的でしたね。

これとの明るさの比較はその後、随分長い間、言われました。ありがたいことにハンディのカメラのリファレンスになってしまいました。まあ、それだけこだわって作ったモデルでしたね。

ーー開発中の思い出はありますか?

内部の議論として、コンスーマーベースなのでとにかく小さくしたいという意見はあって、小さくて高性能なものを狙うのか、ある程度大きさは妥協してもっと高画質を狙うかということで、やりとりがあったような気がします。具体的には1/4インチの3板でコンパクトにという路線と、やはり業務用としては1/3インチで明るく高画質にという路線のせめぎ合いだったわけですが、最終的には当時の上層部の判断だったと思いますが、1/3インチになったわけです。

ーーそれが良かったんですね。

それからキャノン端子の位置ですね。ハンディでキャノン端子をつけたのは初めてだと思いますから。液晶パネルのポジショニングが決まり、あとは3連リングではないけど、フォーカス、ズーム、アイリスを独立のリングでやりたいと。じゃあどこにキャノン端子をつけるかを検討して、結局ハンドルの前方になりました。この小さいボディに業務用のエッセンスをできるだけ取りこみたいという発想でした。

ーー1/3インチの3板ですけど、今見ても小さいですね。小さくしようという思いはあったんですか?

そこまでは苦労がなかったような…。ただ配置へのこだわりはありましたね。グリップ側にメカデッキをもってくるとか、液晶パネルの収め方とか。パネルはぼこっとでているんだけど、それをデザインとして処理していますね。キュッとスリムにみせたいという意図はあったと思います。とにかくかっこいいものを作りたいというのはあったかな。

ーーかっこいいというのも売れた理由ですね。

かっこいいものは売れますよね。ガジェット系のものですから。

 

品川だけの開発で苦労したHDV

ーーそのあと製品展開はどうなっていきますか?

しばらくDVCAMの開発を続けて、そのテープをベースにしてHD化するHDVになるんです。HDVのシステム開発が始まったのが2000年か2001年くらいでした。DVCAMの商品を出しながら、裏でHDVの開発を進めていました。HDVの1号機がコンスーマーのFDR-FX1で2004年。実はHDVが一番苦労しました。というのも、厚木のほうは放送局のお客様の要望に応えて、HDVをやらずに、ノンテープの光ディスクに資源を集中する状況だったので、DVCAMのような組織的な協業が難しかった。ですから、自分たちで、たとえば編集環境まで含めてノンリニアソフトウェアメーカーなどの他社と交渉してインフラを作っていかないとならない。我々にはコンスーマー商品の部隊しかいなかったので、厚木にいる経験者やいろんな人に手伝っていただき、製品だけでなくワークフローを確立していくのが大変でしたね。

HDR-FX1

ーーまずハードウェア的な苦労は?

 HDVはLong GOPなので、ドロップアウトすると画がフリーズしちゃうんですね。その信頼性を確保するのに一番苦労しましたね。これは発売直前まで大変でした。

ーー当時おそらくインタビューしたと思うんですが、どうやって解決したんでしたっけ?

テープ表面から発生する磁性体の粉がヘッドにたまりにくくすること、テープのDLC(Diamond Like Carbon)コーティングができたこと、さらにエラー補正を強くしたこと。それらの合わせ技ですね。それでようやく発売できるレベルまで漕ぎ着けました。HDVの1号機は胃に穴が開くくらい辛かったのですが、エンジニアもやる気になってくれて、いろいろな機能をエンジニア側から提案してくれた。たとえばピクチャープロファイル、ショットトランジション、24フレーム(2-3プルダウン)もやらせてくれという声があがってきて、エンジニアに助けられました。開発チームに一体感があったんで、がんばれましたね。一時はダメかなと思ったのですが。

ーーそこは今だから思い出話として話せることですね。そんな苦労があったとは。HDVはコンスーマーも業務用もフォーマットとしてはまったく同じですよね。

同じですね。ただ業務用としては再生互換としてDVだけじゃなくてDVCAMをも再生できるようにしました。そこが製品としては、コンスーマーと業務用の違うところでしたね。

ーーHDVはFX1の少し後に業務用のZ1Jがでました。

HVR-Z1J

3ヶ月遅れくらいで発表しましたね。おかげさまでZ1Jもよく売れました。設計者のこだわりもすごかった。研究費を使いすぎて怒られてしまったくらい(笑)。

ーーFX1とZ1Jで液晶がハンドルの前についたというのもここからですね。

メカデッキはそれまでとは逆にもってきて、とにかくグリップを握りやすいようにして、じゃあ液晶をどうしようかということになって、ハンドルの前にもっていったんですね。そこからはずっとこの位置ですね。

ーーある意味、現在のハンディのカムコーダーの形がここでできあがりましたよね。今見ると、FX1とZ1Jの液晶の設置面はわずかに斜めになっていますね。

あ、たしかにそうですね。閉じて液晶を上向きにしたときに、見やすいということだったと思います。ちょっとしたことで印象が違ってきますね。その後のモデルは全部平らになってますね。記憶が定かではありませんが、いろいろと事情があったかもしれません。

ーーこの後HDVのバリエーションはどうなっていきますか?

そのあとはDVCAMと同様に小型系を作っていくのですが、コンスーマーのHC1と業務用のA1Jですね。

HDR-HC1

HVR-A1J

 

―この2台もとんでもなくヒットしましたよね。みんな、どちらかを持ってました。今手にとると思った以上にコンパクトです。テープのカメラなのにやけにボディが細いという印象です。

テープは下から入れるんですけど、三脚につけているとテープチェンジができないということでお客様からは怒られました。でも下から入れるようにするとカメラの筐体は小さくなるんですよ。ただ、業務用としてはよろしくないですね。

今手にしてみるとテープのカメラとは思えないほどA1Jは細かった。

ーーここまで細くなるならメリットがあるのではないかというくらい今手に持つとスマート。ハンディメインのカメラという位置付けでも良かったですよね。

これはロングセラーでしたね。これに代わるものがないということで、売れ続けました。

ーーその次はFX7(コンスーマー)とV1J(業務用)です。20倍ズームが売りでしたが、PD150やZ1Jと比べてしまうと感度が今一つで、がっかりするプロの人たちも多かった。今現物を手にしてみると、このモデルは私の記憶よりも大きく感じます。

HDR-FX7

HVR-V1J

これは1/4インチの3板ですね。PD150のサイズ感を再現したいと思って作りましたが、総合力で及ばなかったですね。これからするとPDのときは回路がシンプルでした。

 

業務用専用でこだわって作ったZ7Jへの思い

―そのあとはどういう展開になっていきますか?

レンズ交換式のハンドヘルドZ7J、ショルダーのS270Jですね。HDVは品川でしかやっていなかったのですが、販売会社のほうからレンズ交換カメラとショルダーの需要があるので、ラインナップを揃えてくれという要望が強くありました。1/2インチセンサーだと厚木が開発していた放送ユーザー向けのXDCAM EX(EX1、EX3)があってラインナップが複雑になるので、では1/3インチセンサーでやってみようかと。変換アダプターを使えば2/3インチのB4レンズも使えますし。それで、1/3インチバヨネットマウントのレンズ交換式のショルダーカメラのS270JとハンディタイプのZ7Jを2008年に出します。

HVR-S270J

ーーS270Jは舞台撮影業者がいまだに使っていますね。ついこの間も現場で見ました。Z7Jは私も好きなカメラでしたが、これはマニアックなカメラに思えましたが、売れたんですか?

結構売れましたね。1年くらいバックオーダーをかかえたくらいで。このころ、メモリー記録の流れがきたので、これにテープと同時記録できるCFカードのメモリーユニットを同梱して、「Z7JとS270Jはハイブリッド記録」ということで売り出しました。

HVR-Z7J。1/3インチバヨネットマウントのレンズ交換式。ボディ後部にはケーブルレスでCFカード記録ユニットがドッキングできるもので、テープとカードで同時記録が可能だった。

 

積極的にレンズ交換して使われたわけではないけど、この付属レンズ自体の操作性がよかった。ズームはメカニカルですし、AFとMFの切り替えのリングのスライドもここから始まっていますね。この仕組みは厚木でやっていたXDCAM EXのEX1と同様です。

ーーEX1も2007年なのでZ7Jとほぼ同じタイミングでしたね。EX1は画質も良くて興奮しましたが、カメラ自体はかなり重くて、正直言うと持ちにくかった。それに対して、Z7Jは本当に持ちやすかったです。同じメーカーなのに厚木と品川の特徴がよく出ていました。

そうですね。品川はハンディの持ちやすいさということでは経験が豊富ですよね。

ーーやはりハンディの伝統がありますよね。中でも特にZ7Jは持ちやすかった。

私もZ7Jは好きですね。レンズも結構いいもので、こだわって作っています。というのもこれまではコンスーマーモデルと同時開発だったのが、Z7Jにはコンスーマーモデルがなくて、業務用専用モデルだったので。やれることは全部やったというレンズですね。

ーー今見てもいいカメラだから、ビデオマニアの人は、もし中古市場にあったら記念に買っておいたほうがいいですね。

かっこいいですよね。観賞用としてもいい(笑)。ヒップアップデザインでメカデッキも斜めに出てくる。本体はほとんどバッテリー用のスペースで、バッテリーは飛び出さずに収納できます。センサーと回路で3cmくらいの幅に収まっています。メカ設計にがんばってもらいました。

ーー今持つと、グリップがかなり前にきているのが印象的です。

バランスを保ちたいんで、グリップはレンズについています。最初はボディにグリップをという話もあったのですが、それだとどうしてバランスがとれない。だからレンズのほうにグリップをもっていきました。そういう意味ではこれは特殊なカメラですね。

実はS270Jのレンズは光学スペック的には同じものなのですが、グリップの位置を変えているんです。ショルダーカムはショルダーパッド/ビューファインダー/グリップの位置関係が大事なので作り分けたのですが、会社に贅沢だと怒られました。でも、カメラはバランスが命ですからここは譲れなかったんですね。

奥がS270J、手前がZ7Jのレンズ。グリップの位置が違うのがよく分かる。

ーーそのあとはZ5J(2008年)ですか? Z7JのあとがZ5Jでしたね。

これは実はZ7Jが固定レンズタイプになったものと思ってよく、中身は同じですね。

ーー回路の設計はZ7Jで終わっていたと。

Z1Jが古くなってきたので一体型が求められていました。Z7Jはコストも高くついていて、安くできなかった。PD150から続く路線で正統的なものを作ろうということでZ5Jができました。

ーー実はこのカメラがフォーマットを変えて現行モデルにまで繋がっていますね。レンズも基本的に変わっていないですよね。

そうですね。ここで完成形になってこのあとはメモリー化して、現在のNX5Rまで続きます。

 

業務用の裾野が拡大した時期だった

ーーここまでを振り返ってみると、当初はコンスーマー機があってその派生として業務用というイメージだったのですが、時代が経つにつれて業務用のほうがメインになっていくという感じがしますが、作っている側としてはどうだったのでしょうか?

フォーマットは常にコンスーマーの記録フォーマットを使っているので、メインはコンスーマーですね。その技術を活用して、プロのお客様が満足する新しいものを作るというのが基本スタンスで、業務用メインでやると違うものになっていってしまう。そこの縛りには気をつけていました。つまり厚木と同じことをやっても仕方がないと。その路線は守って、コンスーマー製品の方向からは逸脱しないようにしようというコンセプトでした。

ただ、業務用機のビジネスが好調だったので、いろいろ投資をさせてくれたというのも事実です。売れるならやってもいいよ、というのはソニーのいいところで、自由闊達にやらせていただきましたね。

ーーVX1000のときはハイアマチュア機だったのが、現在は業務機の比重が高まっているという印象はどうしてもあります。

そうですね。フラットではいたのですが、業務用の裾野が拡大していったという言い方が正解じゃないでしょうか? しかも業務用の現場では複数台導入するようなケースが多かったですし。

ーーなるほど。

 最後のテープであるフォーマットであるHDVはZ5Jで完成したわけですが、HDVの新製品が出たのは結局10年くらいでした。そのあとはNXCAMに切り替わっていきます。HDVの10年というのは開発側からすると想定していましたか?

いや、10年も続くとは思っていませんでした。さすがにテープだったので。Z7Jのころにあぶないと思ってハイブリッドにしたわけですから、その後もよく続いたなと思います。

ーー10年しかなかったということではなく、よく10年も続いたなという印象ですか?

一気にメモリーになるのではないかとかなり心配していたんです。

ーーそうですね。パナソニックさんはHDVはやらずにメモリー化を進めましたからね。思ったよりも日本の放送業界がテープを使い続けてくれたということですか?

そうですね。日本の業界はまだ使っているくらいですから。製品としてメモリーとのハイブリッド化したのがHDVが延命した要因かもしれませんね。あの時、戦略としてハイブリッドにしないと死んでしまうと思ったので、デザイン的にも機能的にも一体化したハイブリッドカメラにしようとこだわって作りましたね。

 

Z5JからNX5Jへのメモリー化は単純な話ではなかった

―そのあとはメモリー化してAVCHDになります。

最初の品川のメモリーカメラはAVCHDで、第1号機は2010年にコンスーマーがAX2000、業務用がNX5J(2010年)。ここでNXCAMというシリーズができます。この2台も同時開発でした。NXCAM(AVCHD)も厚木はやらなかったので、品川だけでした。

HXR-NX5J。HDVのZ5Jをベースにメモリーカムコーダー化。この筐体は現在のNX5Rまで続いていく。

HDVがそれだけ長続きしたので、NX5Jは意外と大変でしたね。HDVがZ5Jで結構評判がよかったし、ビジネス的にも良かったので、メモリーカメラを出すときは社内でも議論になりました。販売会社からはHDVが売れているのになぜ今? と言われましたし、AVCHDはBlu-rayディスクの派生ということもあり、当時はノンリニア編集ソフトとの互換もあまりよくなく、いろいろな批判がありました。でも今メモリー化しておかないと、という強い気持ちがありました。HDVの市場を自分たちで食ってでもやっていかないとという思いでした。ですから、精神的にはチャレンジでしたね。

ーーNX5Jを見た時は、なんだ、Z5Jをテープに置き換えただけかと新鮮味はなかったのですが、実は作る側としてはそういう苦労があるんですね。でも、そのときはパナソニックさんはAVCHDで業務用カメラを先行してやっていたわけで、やらざるを得ないですよね。

やらざるを得ないです。

ーーそのあとはバリエーションが増えていきますね。

そうですね。メモリーカメラとしては、NXCAMシリーズだけじゃなくて、XDCAMも一緒になってきて、さらに大判センサー化したレンズ交換式カメラもやっていくことになります。

ーーメモリーカメラは系統が増えてしまってラインナップが少しわかりにくいです。特にここからは厚木と統合していきますよね。ユーザーは同じソニーだと思っていますが、厚木と品川、出自が違うカメラが混じっていきます。

品川と厚木の組織が一緒になった最初にやったモデルがX160(2014年)ですが、それからはAVCHDなど民生フォーマットだけのものはNXCAM、それより上位のフォーマットが入っているものはすべてXDCAMという区分です。

PXW-X160

ーーなるほど。バッテリーがLなのか、BP-Uなのかは関係なく。

フォーマットでの切り分けで、MXFのラッパーがあるのがXDCAMと言っていいかもしれません。4Kにしても、XAVC(MXF)を採用しているのがXDCAM、XAVC-S(MP4)がNXCAMですね。

―NXCAMが終息していくという方向ではない?

それは違いますね。たとえばNX80はNXCAMですし。コンスーマー機器との親和性のあるファイル形式を求める人もいますから。そこはこれからも並行してやっていくと思います。

HXR-NX80

大判センサーのビデオカメラをどう作るのか?

ーーなるほど。ビデオカメラはそれまではほぼ線でつながっていた進化の流れが、大判センサーの波が来たことで、ビデオカメラとは違う路線が生まれて系統が見えにくくなりました。作る側としては、どんな感じだったんでしょうか? あらゆる方面をやっていこうということですか?

日本のメーカーでいうと、各社特徴がありました。キヤノンさんはパームタイプが強い、パナソニックさんはハンドヘルドが強いなど。我々はパームからハンドヘルド、ショルダーまで、全方位でやらなければならない。その後一眼レフでの動画撮影が5D MarkIIで始まると、そちらも本気でやらなければならない。特に大判センサーの路線はこれまでなかったので結構大変でしたね。開発陣がみんながんばっているので、これだけ製品が出ていますが、たしかにバリエーションは増えて、シンプルではないと思います。最近はスマホ、ジンバル、ドローンなど撮影ツールとしていろんなものが出ています。そこまで含めると動画撮影機は混迷を極めている状況だと思います。

ーーそれだけ用途に合わせていろいろなカメラを使うようになったということですね。かつてはビデオカメラしかなかったのが。そういう意味ではメーカーさんにとっては大変ですけど、ユーザーとしてはいいことですね。

ソニーさんも大判センサー系が加わった当初は方向が定まらず混乱していましたが、最近は路線、方向性は見えてきましたか?

Eマウントのレンズ交換式の大判センサー系は最近はFS5 IIとFS7 IIが売れているので路線としては確立してきましたね。そして根強い人気がある3板のカムコーダーとパームタイプがビジネスを広げていっているという3方向ですね。

ーー大判センサーのビデオカメラはたしかにFS5とFS7で方向性が見えてきましたよね。ここにVG10(2010年)、FS100(2011年)、そしてFS5と並んでいるのですが、大判センサーのレンズ交換式ビデオはどうあるべきかという開発者の模索の過程を見るようです。

(笑)。そうですね。形としてはFS5とかFS7のスタイルが見えてきました。ハンディタイプも世代を重ねて模索しながら形が決まっていったように大判のビデオカメラというのもどうしても模索の過程は必要だということですね。

大判センサー(スーパー35)を採用したレンズ交換式のビデオカメラはどうあるべきか。当初は機種ごとにスタイルが変わっていった。

ーーもう一つの路線として、コンスーマーのAX100(2014年)を起点とした小型のハンドヘルドというのも充実してきました。

X70(XDCAM、2014年)、Z90(XDCAM、2017年)、NX80(NXCAM、2017年)ですね。サブカメラとして完成の領域にあります。これはソニーの得意な分野ですね。本当にうまいことエンジニアが作りますよね。

ーー(笑) そういう感想ですか?

よくこんなにコンパクトに作れるなと思いますよ。

ーーたしかに洗練されています。もう手慣れているというか。これほど手に馴染んでバランスがいいというのは、他社の追随を許さないところです。

デザインにも無駄なく、よくできています。ただ社内で一番もめるのはグリップの形状なんです。「俺には合わない」という人が必ず出てきて。いろいろな人がいろいろな意見を言いますから。実はそこが重要なんですよね。グリップは持ちやすさ、使いやすさに全部影響してくるんで。

ーーああ、今のお話でソニービデオカメラの伝統と強みが見えた気がします。そのグリップ重視、手持ちのバランス重視の発想が大判センサーカメラのFS5とかFS7にもつながっていますから。特にFS5のグリップの良さは秀逸ですよね。ビデオカメラとは手持ち撮影での握りやすさとバランスをどこまでも極めていくものなのかもしれませんね。

さて、ここまで見てきて、馬場さんがこれ一台を選ぶとしたらどれですか?

Z7Jですね。レンズ交換とハイブリッド記録に挑戦したモデルであり、デザインもよくできている。一番がんばったモデルで、技術の粋が詰まっています。従来の系統からはみ出していてちょっと異質なところはありますが、それはエンジニアと私のこだわりが入っているからかもしれません。

HVR-Z7Jを手に持つ馬場さん。

ーーこれは奇しくもレンズ交換式ですが、このモデルをヒントにして、一眼で動画を撮っている人に向けた動画機というのができるかもしれませんね。完成度が高い動画専用機を、一眼カメラをベースに作ってみたら爆発的にヒットするかもしれませんよ。もちろんFS5よりも下の価格帯で。

FS5でもまだ未完成なところはあります。あれがすべてではなく、まだまだ進化できると思う。

左がZ7J、右がFS5 II。

ーー御社の後輩に向けて、今後どういうことをやっていってほしいという要望はありますか?

今、かなり時代が変わってきていると思っています。ブラックマジックデザインなどこれまでにないメーカーも出てきています。動画のカメラの形態にしても、スマホやジンバル、ドローンなど少し前までは考えられませんでした。こういったツールのメインユーザーは若い世代であり、一眼動画に慣れた世代です。この2、3年で急激に移ってきていると思います。そのあたりの状況を真摯に受け止めて、ソニーが持つ技術(実は有効な技術は社内にかなりあると思っています)と次のテクノロジーを組み合わせて、とにかくユーザー目線でびっくりするようなものを作ってほしいですね。それこそ今後、業界の流れが変わるようなものを。そして業務用ビデオに限らず、動画の業界を変革していってほしいですね。

ーーこれだけ蓄積があると簡単には捨てにくいですよね。積み重ねの中で完成度が高まってきているので。

しかし、時代は変わっていると思うんです。今は大丈夫ですけど、あと2、3年を見ると、何かがおこってしまうんじゃないかなという危惧があります。守りに入るとビジネスとしては伸びなくなってしまうので、弾けてほしいなと思います。

ーー伝統を守りながら、ソニー自らが新しい動画市場を作っていくということに挑戦するということですね。きっと後輩が受け継いてくれると思います。本当にお疲れ様でした。