映像編集者のリアル
〜クリエイティブの “余白” で演出する編集者たち〜
第2回
『バクマン。』『SCOOP!』編集
大関泰幸[後編]
この連載では、作品のクオリティを左右する重要なポジションであるにも関わらず、普段なかなか紹介されることのない映像編集者たちの"リアル"に着目し、制作過程や制作秘話、編集にかける思いなどを前後編の2回に分けて聞く。今回は、大根仁監督の作品の編集を手掛ける大関泰幸さんの後編。編集だけでなく、映像ディレクターとしても活躍する大関さんに、ひとりのクリエイターとしてのヒストリーと過去の葛藤を語ってもらった。
写真=中村彰男 取材・構成=トライワークス
プロフィール
大関泰幸・おおぜきやすゆき/1978年生まれ、茨城県土浦市出身。2002年に武蔵野美術大学映像学科を卒業。フリーランスの映像ディレクターとしてGRAPEVINE、椎名林檎らアーティストのMVを手掛ける。2013年の『恋の渦』で大根仁監督と初タッグ&映画初編集。『バクマン。』で第39回日本アカデミー賞で最優秀編集賞を受賞した。
僕も"そっち側"に行きたいと思ったんです
―― 大関さんが映像の世界に興味を持ったきっかけは何だったんですか?
子どもの頃、『世にも奇妙な物語』シリーズがすごく好きだったんです。映像のテクニックとかではなく、漫画家の諸星大二郎さん原作の『復讐クラブ』という回で「こんな世界があるのか!」と衝撃を受けて。いま思えば、映像への興味はそれが入り口だったのかなと。
―― 美大に進学されたのは、もともと映像に興味があったからなんですね。
何となく好きな映画を作りながら生活できたらいいなーって、進路は漠然としていて。そういう方向に行こうと思ったら、やっぱり美大を目指すわけですよ、憧れもあるし。でも、いざ受験してみたらどこの美大にも受からなくて(笑)。だから途中で大学に編入すればいいやと考えて、結局、武蔵野美術大学の短大に入りました。
―― 初めて映像制作を体験したのはその短大時代だったんですか?
いや、当時イメージフォーラムがすごくアバンギャルドな実験映像を作る場所として有名で、武蔵美の短大では映像を学ぶことができないので、短大1年生の時に、夏期講座みたいなやつに通ったんです。そこで班分けされてグループで作った5分くらいの映像が最初の作品です。
―― 短大で消化しきれない創作欲求のようなものがあったんでしょうか?
具体的に何かを作りたいっていうのは特になくて、新しい環境に身を置いたらそれで全部なんとかなるんじゃないかと思っていたんです(笑)。何もできないくせに頭でっかちで、それでいて行動力もないダメな学生でした。
―― 武蔵美に編入した後は映像作品を作ったんですか?
その前に、短大の卒業制作で短編映画のようなものを作ったんですよ。その頃は映像だけじゃなくて音楽の方にも興味が向いていて、友達と「TOONICE」っていうファンジンを作って、その時みんな憧れていたバンド・YOUR SONG IS GOOD にインタビューさせてもらったりしましたね。
―― その後、たくさんのMVを手掛けられる大関さんの原型ですね。
就活の時期に入ると映画で生きていこうという気がなくなってくるんですよ。当時は助監督になるか、ぴあフィルムフェスティバルとかで賞を獲って鳴り物入りでデビューするか、その二択の時代だったんです。根性か、才能か、みたいな。で、残念なことに僕はそのどっちもなくて(笑)。もういいや…って、半ばやさぐれて適当に就活をしていたので、受けた会社は全部落ちたんです。それでアルバイト情報誌に「アシスタント募集」と載っていたテレビの編集スタジオに入ることにしたんです。
―― そのスタジオではどういう仕事をしていたんですか?
主にバラエティ番組のコーナーVTRの編集をやっていました。ちょうどテレビ番組にテロップが過剰に載り始めた時代で、アシスタントの僕は朝から晩までひたすらテロップを作らされて…。嫌になっちゃったんですよね。やっぱり根性がなくて、1年で辞めちゃいました。その後は映像とは関係ない会社でサラリーマンとして働きました。もう、映像とかいいやって思ったんですよ、テロップを打ちすぎて(笑)。
―― しばらくしてフリーの映像ディレクターに転身しますが、どういう経緯があったんですか?
サラリーマン2年目ぐらいの頃に、会社勤めと並行してヨシモトファンダンゴTVの「DRF」って番組のディレクターもやっていたんです。その番組のプロデューサーが Blue Beat Players っていうバンドの鍵盤奏者の LITTLE MASTA という方で、その人から「MV作ってくれない?」って頼まれたんですよ。友達以外のバンドのMVを作ったのが初めてで。次第にサラリーマン生活と両立するのが厳しくなって、2年ちょっとで会社を辞めてフリーになりました。
―― そこで改めて制作会社に入り直したり、誰かに弟子入りしたりする選択肢はなかったんですか?
あの頃は腕も考えもなくて、ビジョンも曖昧なまま作品を撮影して、編集でなんとかするってやり方でしたけど、それでも恐怖があったんです。ちゃんとした映像の現場に行ってしまうと、曲がりなりにも自分で映像を作ってきた自信とか、いろんなものがゼロになっちゃうんじゃないかって。だから、なんとかどこにも所属せずに自分の力だけでやっていけないかなと思いながら、ビクビクして生きていました。お金もあんまりないし、30歳ぐらいまではディレクターとして一番面白くない時代というか、ずっと辛かったですね。
―― フリーになってからはどういう作品に関わっていたんですか?
憧れだった YOUR SONG IS GOOD とかいろいろなバンドのライブ映像を撮らせてもらったりしていたんです。でも、YOUR SONG IS GOOD からMVを作ってほしい、と言われることはなくて…。2006年に彼らがメジャーデビューすると、児玉裕一さん、田中裕介さんといったトップクリエイターがMVのディレクションをしていて。企画段階から関わる人数がものすごくて、クオリティ面でも僕が太刀打ちできるレベルではなくなったというか。
―― 一流の仕事を目の当たりにして、大関さんはどう思いましたか?
素直に「僕もそっち側に行きたい」って思ったんですよね、そこで。それまでは仲が良いというだけでやらせてもらっていた部分があったけど、自分の好きなバンドが求めるレベルに自分の腕が追いついてないんだと実感したんです。そこから自分なりに納得できるものは何なのか、MVを作りながら探り始めて。2009年にWE ARE! ってバンドのMVを初めてワンカットで撮ったら、すごく評判が良かったんです。
―― いまの大関さんのイメージからすると意外に思えます。
そもそもあの頃は、映像を論理立てて考えることができてなくて、編集やカット割りが苦手だったんです。それでワンカットの手法にシフトしてみたら意外と性に合っていた。そんな感じで模索していたら、YOUR SONG IS GOOD の「THE LOVE SONG」という曲でMVを撮らせてもらうことになったんです。紆余曲折ありましたが、これが結構自信になりましたね。
現場を想像できるから監督の目線で編集ができる
―― 大根仁監督とはどういう経緯で仕事をするようになったんですか?
最初に大根さんと会ったのは2006年のフジロックでした。その頃、星野源くんがやっていた SAKEROCK ってバンドの映像を作らせてもらっていたので、彼らが出演するから同行していたんです。源くんが大根さんを紹介してくれたんですよ。源くんは大根さんのドラマに役者として出ていたので。
―― 出会いは映像の現場ではなく、フジロックの会場だったんですね。
そうです。そしたらわりとすぐ大根さんが演出していた藤井フミヤさんのライブDVDの編集を頼まれたんですよ。それが大根さんとの最初の仕事でした。大根さんは面倒見がいい人なので、何かあるごとに連絡くれて、その後もゆらゆら帝国のラストライブのDVDを作るときにも関わらせてくれたりとか。ちょうどそのあたりで、大根さんとずっと組んで編集をやってた人が離れることになるんです。そのタイミングでたまたま大根さんと遭遇して、「大関くん、編集できるよね? ちょっとできる人を探しているんだけど、自主映画だから一緒にやろうよ!」って誘われたのが『恋の渦』でした。
―― そこから大根さんの映画を手がけるようになった、と。
『恋の渦』は「シネマ☆インパクト」っていうワークショップの映画で、編集だけじゃなくて撮影もさせられました(笑)。映画の編集も初めてだったんですけど、「俺が教えるからさ!」って、大根さんと3カ月くらい朝から晩まで毎日編集して。正直、「もうやりたくねえ!」って思いました(笑)。
―― 『バクマン。』で日本アカデミー賞の最優秀編集賞を受賞しましたが、大根さんとのタッグの始まり方がそんな感じだったとは…。
でも、『バクマン。』はすべてのスタッフが超一流で、その中に編集初心者の自分が混ざっているっていうのが、本当に胸が痛かったです。しかも大根さんの作品は素材量がとにかく多いので、編集が本当に大変なんです。もう全シーンがMVぐらいの集中力を必要とするというか… 4分のMVを何十個も作るイメージですね。大根さんはどのシーンでも簡単に編集させてくれないので、とにかく消耗しきってしまったんですけど、自分でもいまだに良い編集の映画だなって思いますよ。
―― 大関さんは今後、どんな活動をしていきたいですか?
今後も編集はやっていきます。あとMVのディレクターも。大根さんと組んで一番良かったことは、編集というものをちゃんと考えられるようになったことです。スカートの「CALL」のMVはそれが顕著な作品。これまでワンカットでしか作れなかったんですが、カットを割った普遍的な作品が作れるようになりましたね。
―― 映画の編集がMVの編集にフィードバックした、と。
そうですね。あと、逆に僕みたいにMVのディレクターとして企画から編集まで全部自分でやっていることが、映画の編集にも活きていると思うんですよ。撮影や照明がどうなっていてこういう画になるとかいろいろ想像することができるというか、監督に近い目線で編集ができるんじゃないかって思います。
―― 編集だけでなく、今後、映画の監督に挑戦する気はありませんか?
作りたくないってことはないです。でも、大根さんをそばで見ていると、自分が商業映画の監督をやれるのか、ちょっと考えちゃいますね。監督ってこんなに大変なの? って思います。ただ、タイトルは言えませんがやってみたい原作はあるんです。大っぴらには言っていませんが、将来、自分の手で映画化できていたらいいですね。
▲編集だけでなく映像ディレクターとしても活躍する大関さん。現場での経験が編集にも活かされている。
▲NYで行ったCOMEBACK MY DAUGHTERS「WHY」のMV撮影。自身でカメラも回し、ワンカットの作品に仕上げた。
[取材後記]
ドラマ『ハロー張りネズミ』の編集作業で大忙しのなか取材に対応してくれた大関さん。日本アカデミー賞で最優秀編集賞を受賞し、いまや映像編集者として携わる作品も増えているが、音楽関連の映像作品からスタートし、自身もディレクターとして作品を発表しているという点で、そのキャリアはかなり特殊。だからこそ素直に、客観的に編集という仕事を捉えているように感じた。
●この記事はビデオSALON2017年10月号より転載