今でこそ企画から演出、撮影、編集までワンストップで活躍するビデオグラファーが増えてきた。大学時代に自主映画を撮り始め、91年TVドラマの演出でプロデビュー。以来、監督だけに留まらず脚本、撮影、編集とマルチにキャリアを積み重ねてきた岩井俊二さんと映画、CMの現場で活動するビデオグラファーでもあり、『キリエのうた』でVFXを担当した田中裕治さんに映画制作の裏側についてお話を伺った。
取材・構成・文●編集部 萩原
岩井俊二
映画監督・小説家・作曲家など多岐にわたり活動。大学卒業後にミュージックビデオの仕事を始め主な監督作に『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』『Love Letter』『スワロウテイル』『四月物語』『リリイ・シュシュのすべて』『花とアリス』『リップヴァンウィンクルの花嫁』『ラストレター』がある。
田中裕治
UZLAND FILM WORKS。DaVinci Resolve認定トレーナー。独学で撮影、ライティング、ストーリー構成などを学び、映画、CM制作などを経験し、今に至る。企業VPやWEBドラマ、番組制作を中心に企画から撮影、ライティング、編集、グレーディングまでを手掛ける。『キリエのうた』ではFusionによるVFXを担当。
企画や物語作りの背景
『キリエのうた』ができた最初のきっかけは2019年に公開された映画『ラストレター』に登場する小説家・乙坂鏡史郎が物語のなかで書いた『未咲』という小説が最初のプロットになったという。物語の舞台は、帯広、東京、大阪、そして石巻と入れ替わり、ストーリーは過去と現在が交錯しながら展開していく。各場面で展開していく短いストーリーを小説として書き溜めて、それを映画のシナリオとして紡ぎあげることで『キリエのうた』はできあがった。物語を作るうえで岩井さんが考えていることとは何なのだろうか?
「物語はパズルを解いていくようなもので、将棋にルールがあるように一定のルールはありますけど、同じ駒だけで展開させることもあるし、別の手駒を入れることもあるし、今回のように別の試合が始まることもあったり、実際の試合がどう展開していくかは自分でもやってみないとわからないですね(岩井)」
本作はアイナ・ジ・エンドさんの楽曲や歌声が印象的な作品だが、小説執筆当初、岩井さんは彼女の存在を知らなかったという。たまたまROTH BART BARONのライブにゲスト出演しているアイナさんの動画を観たことで、途中からは彼女に当てて筆を走らせていった。
映画撮影はいつもマルチカメラ収録
撮影は冬〜春、秋に行い、のべ42日間ほど実施した。本作ではソニーFX3をメインにGoProやiPhoneなど様々なカメラを使用した。岩井さんの現場ではいつもマルチカメラ収録で撮影を行うというが、なぜなのか?
「限られたスケジュールや予算のなかで制作していくので、1台のカメラで欲しい画をじっくり撮っていたら時間もかかるし、同じカットを何度もリテイクすると、俳優のテンション下がってしまう。一番は役者さんの負担をできるだけ減らしたいということですね(岩井)」
岩井さんは、本作で監督はもちろん、撮影、照明、編集、カラーグレーディング、MAまでも手掛けている。今でこそビデオグラファーとしてマルチタスクで作品作りを行う人々が増えてきたものの、ここまで技術面に関わる映画監督は珍しい。
「撮影はマルチなので、自分も回しつつ、複数人のカメラマンに入ってもらいます。照明はどうしても必要なときはお願いしますけど、現場を止めずに進行していく上で、技術に時間を取られてしまうのは避けたい。自分でやれば、その間にリハーサルもできるし。ライブを撮っている感覚と近いかもしれないですね。現場で試行錯誤している余裕もないので。このスタイルは学生の頃からずっとそうでした(岩井)」
カラーグレーディングについて
ポスプロにはおよそ半年間の歳月を費やした。編集はPremiere Pro、カラーグレーディングはDaVinci Resolveを使用した。今回、はじめての取り組みとしてポスプロのMAには入らず、自社内でPremiereでの音の仕上げも行なったという。
「今回のテーマカラーは青でした。キリエの衣装や青空、海などは意識してカラーグレーディングを行いました。特にシーンやロケ地、時代によってルックを使い分けることはしませんでしたが、全体的に発色がよく出るようには意識的に調整しました。現場のライティングでトーンは作っておいて、カラーグレーディングで色をつめていきます。普段はカーブで調整することが多いです。
撮影ではいろいろなカメラを使いますけど、LogやRAWで10bit以上で撮れるようになってからは色合わせで困ったことはないですね。最初はLUTを入れて後段のノードで色調整すると、階調や色が潰れてしまったりして使いづらいと思っていたんですが、田中さんに前段のノードで調整してからLUTを適用すれば大丈夫だと教えてもらって、そこからはLUTもよく使っています。LUTは各カメラメーカー提供のものを使ってますね(岩井)」
FusionでのVFX
『キリエのうた』では下で紹介している合成の作業のほか、時代背景に合わないものが映り込んでしまったときのバレ消しなど合計90カット近くをFusionで作業した。田中裕治さんも元々はビデオグラファーとしてキャリアを積み重ね、マルチに活躍するクリエイターのひとりだ。田中さんは企業VPや番組制作のほか、映画やCMの現場にも制作として関わっており、岩井さんと田中さんは共通の知人を介して知り合ったという。
「本作にも元々は制作で関わっていたのですが、撮影が終わって少ししてから、バレ消しの依頼がありました。その中で新宿駅前での路上ライブシーンがあったのですが、撮影時期がコロナ禍ということもあり、人の混雑を避けるためにも深夜に撮影が行われました。当然向かいの店のシャッターは降りているし人通りも少ないため、本来路上ライブが行われるような時間帯の背景をコロナ明けに追撮し、差し替えるといった依頼になりました(田中)」
今回はグリーンバック撮影ではなかったため前景のオブジェクトごとにマスクを切り、別撮りした背景を合成した。他のカットも含め全編Fusionの機能だけで作業を完結させた。
「Fusionには『3Dカメラトラッカー』という機能もあるのですが、手持ち撮影で動きが不規則なのと、投げ銭でカメラ前を横切る人がいて、この機能は使うことができず、合成の条件としては厳しいカットでした。マスクを切り、そのマスクをカメラの動きに合わせて追従させるのは自動と手動の併用で行いました。マスクはマイクスタンドのネジやコードなど細かいパーツごとに切っていて、さらにカメラが回り込みながら撮影しているので、フレームごとに形状が変わるのをキーフレームで手付けで追従させています」
これだけで気の遠くなる作業だが、別撮りした背景を馴染ませるためには手持ちカメラの動きに合わせて背景も追従させるいわゆるマッチムーブの作業も一筋縄ではいかなったという。
「今回は手持ちカメラの背景に映っている街灯をトラッキングポイントに指定しましたが、カメラ前を横切る人で遮られてしまう瞬間は自動でトラッキングがとれないので、その瞬間でトラッキングポイントとして使えそうな別の部分を指定しています。いろいろ試行錯誤をしながら作っていきましたが、8秒のカットに1週間ほどかけて形にしました。仕上がった映像をみて、岩井監督もとても喜んでくださり、報われた気がしました(田中)」
『キリエのうた』でのFusionを使用した合成カットの一例
手持ちカメラでアイナ・ジ・エンドさん演じるキリエが新宿南口で路上ライブをしているシーン。別撮りした背景をFusionで合成した。
合成の素材と作業のフロー
合成の大まかな手順は下のとおり。画面左上は別撮りした背景の素材。右上はマスクを切った前景。画面下のノードの数からも一筋縄ではいかなかった合成作業の苦労が垣間見られる。
1.自動処理のMagic Maskと手動でマスクを切り、カメラの動きに合わせてマスクを追従
上は自動選択の「Magic Mask」切り抜いたもの。カバーしきれなかった部分は下写真のようにマイクスタンドのネジに至るまで、細かく手動でマスクを切っている。Magic Maskで設定したマスクは編集で元画の尺を調整するとキャッシュが飛んでしまうため、一度、中央のようにアルファチャンネル付きの白黒映像に書き出す。これをマスクとして元の動画に重ねて、白い部分で切り抜く。さらに手持ちカメラでの撮影、時折カメラ前を人が通り過ぎるためマスクのトラッキングの作業も困難を極めた。
2.背景はコントラストやボケ感、歪みを調整
背景素材はFIX、ワイド目に撮られたもの。コントラストを調整し、ほんの少し「ブラー」をかけてボケ感を追加。「DVE」で背景をヨリに。単純にブローアップするだけではうまく馴染まないため、ワイドレンズで撮影した歪みを補正しつつ、手前に起こした。
3.手持ちカメラと背景のマッチムーブ
手持ちカメラの動きを解析するために、トラッキングポイントには比較的明暗差の高い街灯を選んだ(上)。しかし、カメラ前を通りすぎて、投げ銭する人が通りすぎて覆い隠してしまう部分(中央)があったり、カメラの動きによって街灯の境界がぼやけてしまいうまくトラッキングが取れない部分については、その時点で見えている別の部分をトラッキングポイントに指定して、その差分を元々のトラッキングポイントに反映するという仕組みを使いながら、カメラの動きを解析して、合成する背景の映像にもその動きを設定した(下)。街灯の付近に見える緑の線は動きを解析したカメラの動きを表したもの。
まとめ
業界で一般的に使われるコンポジットソフトにNukeがあるが、サブスクリプションで年間47万円前後のランニングコストがかかる。プロが絶大な信頼を寄せているソフトではあるものの、誰もが気軽に使えるものではない。一方FusionはDaVinci Resolveのひとつの機能として無料で使うこともでき、有料版でも買切で47,980円。予算の限られた映像制作の現場では強い味方になっている。また、誰もが使える価格帯ということで、学生をはじめ若年層のクリエイターがこれを活用する機会も増えている。これによって今後どんな作品が生まれてくるのか期待が高まる。
『キリエのうた』
上映中(一部劇場のみ)
〈STAFF〉
●原作・脚本・監督・撮影・照明・編集・カラー:岩井俊二
●撮影:神戸千木
●衣装:申谷弘美
●録音: 中川究矢
●VFX:田中裕治 音楽:小林武史
●企画・プロデュース:紀伊宗之
●製作プロダクション:ロックウェルアイズ
●配給:東映
●公式HP:https://kyrie-movie.com/
〈CAST〉
アイナ・ジ・エンド 松村北⽃ ⿊⽊ 華
広瀬すず 村上虹郎 松浦祐也 笠原秀幸 粗品(霜降り明星) ⽮⼭ 花 七尾旅⼈
ロバート キャンベル ⼤塚 愛 安藤裕⼦ 鈴⽊慶⼀ ⽔越けいこ 江⼝洋介ほか
●VIDEO SALON 2024年2月号より転載