羊文学の「Addiction」のMVは10台のiPhone 15 Proで撮影されたという。スマホを使った表現でありがちなユーザー目線だったりメイキング的な舞台裏カットではなく、メインの演奏シーンも含め全編にわたってiPhoneで撮られている。撮影は Blackmagic Cameraアプリにより4Kの ProRes 422で撮影され、クオリティの高さとスマホならではの独特な視点が融合された作品に仕上がっている。制作に携わったプロデューサーの菅井高志さん、監督の元さん、撮影の鴨谷海周さんにお話をうかがった。
聞き手◉編集部 一柳
どうせなら撮影自体もiPhoneでやったらどうか?
――どうしてiPhoneで撮影しようということになったのでしょうか? その経緯を教えてください。
元 ボーカルの塩塚さんが古い友人で、中高生の頃に携帯が手放せなくてずっと手にもっていた携帯依存症だったということを知っていて、今回のMVを作ってほしいという依頼をいただいたときに、曲のタイトルが「Addiction」つまり「中毒」だったんです。そこからいろいろな案を出していったのですが、携帯の画面の中で演奏しているビデオみたいなのがいいなと最初は思いまして。LEDディスプレイに囲まれた空間で演奏するという設定はどうだろうかと。それを表現するにあたってスマートフォン依存という設定をよりわかりやすいものにするために、どうせなら撮影自体もすべてiPhoneで行なったらどうだろうかと考えました。
基本的に演奏シーンを撮ってほしいというリクエストだったので、LEDディスプレイに特に映像を出すのではなく、白い点滅と、たまに文字が出てくるくらいでシンプルな背景にしていて、演奏シーンを際立たせています。
――これまでMVでiPhoneをメインで使うということはあったのですか?
鴨谷 別のアーティストのMVで5台のiPhoneでBlackmagic Cameraアプリで撮影したということはありました。今回の「Addiction」では僕は撮影として入っているんですが、メインは菅井さんと同じようにプロデューサーでして、そのMVもプロデューサーとして参加したのですが、監督がiPhoneで撮りたいということで挑戦しました。そこで結構気に入ったということもありますし、一度経験があったので、今回試してみたいと思いました。実はまた明日、MVでiPhoneで撮影するのですが、すこしずつノウハウがアップデートされていっている状態です。
菅井 これまでサブのカメラで使うことはあっても、メインのカメラとして使うのは初めてでした。これだけの台数を借りられるというのはもちろんコストメリットの面もあるのですが、今回に関しては、iPhoneを使ったという手法がこのMVのコンセプトとしてはまっているから選択したということはありますね。
元 メインのカメラとしてiPhoneを使ったのは僕も初めてで、たとえばライブ映像では、iPhoneの映像を使ったり、お客さんの映像をもらって使うということはあったのですが、今回のように固定のカメラもすべてiPhoneでということはなかったですね。
――「Addiction」では冒頭にiPhoneに囲まれたカットが映りますが、ことさらスマホっぽさを強調している映像ではないですね。
元 基本的なオーダーとして演奏シーンを撮りたいということでしたし、しかもオルタナっぽいカッコいい曲だったので、とにかくカッコいい演奏シーンがメインで、楽器が鳴っていて、本人が歌っているところの寄りが多くなっていきました。iPhoneのカメラ10台で撮ったというコンセプトを優先しすぎず、演奏シーンをしっかり撮っていこうと。
カメラの台数を増やして自由でラフな素材を増やす
――そのなかでもiPhoneだからこそ実現できた部分というのはどういうところでしょうか?
菅井 普通のカメラよりもカメラの台数を増やせるというのはメリットですね。しかもiPhoneなのでカメラマンでなくてもいろいろな人がカメラを回すことができる。監督やカメラマン以外の人が自分の好きなように撮った素材も使われたというのが結構良かったですね。
――そこはカメラマンではなく、この人の目線で撮ったらどうなるんだろうということでiPhoneを渡したということですか?
菅井 そうですね。例えば広いスタジオの中でそれぞれの視点から撮られる映像というのが得られます。我々が置いたものではない視点のものがいろいろ撮れたというところがありました。
元 今回は撮影時間が短かったので、カメラの台数を増やして、ちょっとラフめな素材を増やしたかったということもあります。ある意味、ちょっと画になっていないような素材がもしかしたら使えるかもしれないということで、みんなに「時間があるなら撮ってよ」という感じで配って撮ってもらいました。
それから、iPhoneならではのカットということでは、ギターのネックにつけたものもありました。あれはiPhoneでも重さやサイズ的にギリギリという感じだったので、一眼やシネマカメラでは得られない視点のカットでした。
――演奏シーンで全体にカメラ位置がアーティストに近いと感じられて、それが通常のカメラと違う臨場感を生んでいると思ったのですが、そこは意図的ですか?
元 そこはあえてだったと思います。アーティストとしてもシネマカメラで撮られるよりもiPhoneで撮られるのは身近に感じると思うので。それから独特なブレ感とか、独特の色感は、かえっていいな思いましたね。
――逆にiPhoneだったから苦労した部分というのはありますか?
鴨谷 iPhoneだからということとは直接リンクしないのですが、カメラ台数が増えて素材数が多くなった部分は、勝手に僕が台数を増やしちゃったこともあるので(笑)、それによって監督は編集は大変だったかもしれません。強いていえば、通常のカメラではないので、それ用のリグを用意したり、どうやってモニターに送るのかというようなことを調べたりという程度ですね。
前回のMVで5台借りたというのは、バッテリーとメディアの問題だったんです。バッテリーが切れると充電する必要がありますし、メディアが内蔵なので、4KのProRes 422で撮っていくと容量が足りなくなってくるので、予備として借りました。もっとも借りたとしてもレンタル代は安いですし。
たとえば、撮影の方法にもよりますが、いろいろなアングルが必要ないということでしたら、メディアをSSDにして、バッテリーも充電しながら、HDMIからも出力しながらという撮影で、1台で済むというケースもあります。ただそうなると通常のカメラのスタイルに近くなって、狭いところにもカメラを入れられるとか自由な視点という部分が失われるので、一長一短ですね。「Addiction」に関しては、カメラの台数が多いというのは結構正義だったかなと思います。
元 僕は大変だったこと何にもなかったですね。みんなで撮れるというのは、いい方向しかなかったです。データの取り込みとプロキシデータの作成は、カメラを借りたところでやってもらったので、僕は従来のワークフローと同じで、すぐに編集にとりかかれて、大変なことはまったくなかったです。作りながら、「これでいいじゃん」と何度も思いましたね。あとは被写界深度の浅い画がほしいとなったら、それは叶わないですけど、それくらいですかね。
鴨谷 僕がよく組んでいる監督とか元さんであれば、「これでいいじゃん」ということはありますよね。今回の場合LED画面にモアレが出てしまいましたが、あれは通常のカメラでも出るときは出ますし。ただ、レンズを選べるわけではないので、どのカメラマンも「これでいい」ということにならないとは思いますが、作品のコンセプトにマッチすれば、便利な選択肢になってきました。
Blackmagic Cameraアプリで4K ProRes 422、Apple Logで収録する
――Blackmagic Cameraアプリを使われていますが、そのあたりの使い勝手とか設定を教えてください。各カメラのRECやタイムコードを連動させる機能はあるんでしょうか?
鴨谷 iPhone 15 Proで4K ProRes 422、Apple Logで撮影しました。タイムコードについては同期はできていません。Blackmagic CameraアプリにはREC RUNではなく時刻で合わせるモードはあるそうなので複数カメラのときはそれは使ってもいいかなと思いました。冒頭のほうでよくGoProなどを使って被写体を取り囲むようにカメラを置いて撮影するバレットタイム的な表現があるのですが、RECを連動させることはできなくて、全部のカメラのRECを押しに行ってます。
この台数だからまだいいんですけど、100台くらい使ってやるとしたら、連携の機能があるといいですよね。それよりも事前に各カメラの設定を合わせるのが大変でした。たとえばどれかひとつ設定したら、あとはBluetoothとかで同期して全部合わせてくれるといった機能が入るとすごく楽になるんですけど。複数台数で使ったときにコントロールできることができたら、もっと便利になりそうですね。
メディア容量は内蔵の128GBだと4KのProRes 422で記録時間が1時間ちょっとという感じなんです。ハイスピード用に60pも使ったとするとさらに短くなるので、ミュージックビデオとしてはトータル1時間というのは不安かなと思います。1曲が4分だとして、それが15テイクしか撮れないということになるので。ですから外部SSDがあったほうが安心かもしれません。ブラックマジックデザインとしてはBlackmagic Cloudにアップロードするというワークフローを奨めたいのかもしれませんが、まだ試したことがないですし、一般的にはローカルストレージを使うことが多いと思います。
アプリに関しては、実は僕も元さんも普段メインで使っているのはソニーが多くて、そちらのUIに慣れているのですが、このBlackmagic Cameraのアプリは使いにくいと思ったことは何ひとつなくて、すべてが分かりやすく表示されているし、この機能がどこにあるんだろうと思ったこともないので、よくできていると思いました。
従来のスマホと一眼カメラの中間の画質感、色感を目指す
――編集は監督がやられていますか? iPhone 15 Proの画質の印象はどうでしょうか? 今回のMVのルックの方向性についてはどう考えましたか?
元 僕がPremiere Proで編集しました。シネマカメラや一眼カメラと遜色ないというと嘘になるのですが、これまでのスマホ映像とシネマカメラの間くらいの画質感、色感を目指したいと思って編集しました。色は、かっこいい演奏シーンがあり、かつオルタナ的なギターサウンドだったので、ちょっと前の10年、15年くらい前のオルタナを彷彿させるような色感を目指しましたね。
――たしかに遜色ないというと嘘っぽいですし、事実ではないと思いますが、その中間を目指してそれが実現できるというのは画期的なことですね。
最後に、今回「Addiction」でiPhone 15 ProとBlackmagci Cameraアプリで作ってみて、これからの可能性とかアイデアがあれば教えてください。
ミュージックビデオ制作ではiPhoneという選択肢は確実にできたし、iPhoneならではの新しい表現も生まれるかもしれない
菅井 僕はプロデューサーの視点で言うと、どうしてもコストの面ということになってしまうんですけど、そういう意味では複数台のカメラを気兼ねなく導入できるということは、いろいろな可能性に繋がると思っています。もちろんその作品の内容にもよるんですけども、手法としての選択肢が増えたなと思いました。
元 ミュージックビデオだとコンセプトというかアイデア次第なのですが、ライブだったらたくさん使いどころがありそうですよね。たとえば羊文学のライブ撮影をもしすることがあれば、この曲になったら、iPhoneをそれこそ何10台も入れて、いろいろな視点で同時に回すということができたら面白いかもしれません。
鴨谷 もしかしたらワンカットものは面白いかもしれないですよね。これ、REC中でもレンズを切り替えられますよね。しかもiPhoneは至近距離にもフォーカスが合うというのが特徴でプロクサーを入れずに撮れるので、すごく近い被写体から、遠景のアングルまでワンカットで連続して見せられるのは、それこそ普通のカメラではできないような表現になります。これからいろいろ試してみたいですね。