文=長谷川修(大和映像サロン会長)
タイトル=岩崎光明

ある程度キャリアを積み、地域のビデオクラブにも入り、発表会用に作品を作り、時にはコンテストに応募する方もいらっしゃいます。そんな人たちの作品づくりの傾向はと言いますと、クラブの指導的立場にある人の影響を強く受けたからでしょうか。できた作品は皆似たりよったりで、俗に言う「金太郎飴」になってしまっているように思われてなりません。

かつて8ミリ映画時代に、アマチュアクラブの指導をされていた先生がおりまして、この先生の指導を受けていたクラブでは同じような作品が多かったものです。要するに、その先生流から外れた作り方をするとダメ出しをされる上、コンテストでの入賞・入選もおぼつかない。その結果、金太郎飴のオンパレードとなったのでしょう。

ビデオの時代になってもクラブの指導的立場の人の作風に影響を受け、似たような作品が多いのはある意味必然的で、それを云々するのは的外れなことかもしれません。それはその方の作風に触発された結果なのですから…。それよりも最近気になることがあります。それは作品づくりの傾向としてドキュメンタリーが圧倒的に多くなってきたことです。

これは各コンテストの入賞作品を見れば一目瞭然で、それがますますドキュメンタリーに拍車をかけているような気がしてなりません。「平家にあらずんば人にあらず」ではありませんが「ドキュメンタリーにあらずんばビデオにあらず」…そんな感じなのですね。そこで、なぜこれほどまでにアマチュアのビデオ作品にドキュメンタリーが増えたのかを考えてみました。

少し時代は遡りますが、その起源は意外と古く、テレビが映画を駆逐した結果、映画本来の持つ娯楽性、芸術性や非日常性が過少評価され、テレビ番組のドキュメンタリー作品に眼が向いたためではないかと思っています。90年代に湧き起こった「あなたもビデオジャーナリスト」という惹句が拍車をかけたことも見逃せません。

ドキュメンタリー作品を私も作ります。映画とは異なり、ビデオの持つ報道性を活かし、社会的問題をアマチュア目線で捉え、リアルタイムに作品化することは素晴らしいことなのです。ドキュメンタリー作品に大変優れた作品が多いのも紛れもない事実ですし、社会的問題を提起し、見る人に共感と感動を与える作品も多数あります。

ただ、ドキュメンタリーが増えた結果として、ともすればイージーな考え方や作り方をする人が増えていることに疑問を抱きます。例えば、タウンニュースなどで取り上げられた人物やグループを見つけると、「それっ!」とばかりに取材に駆けつけるパターン。その熱心さは立派ですし、間違ってはいません。

何が問題なのか? それは無意識のうちに「次はどんな作品を作ろうか」ではなく、「次はどんな人を見つけようか」…になっていることです。プロの場合ですと他社とのスクープ合戦に勝つためにこのスタンスが大事かもしれません。でもアマチュアの場合、こういった傾向が強くなると映像づくりの基本とも言うべきオリジナリティが欠落し、その結果、マンネリに陥り、どの作品も似たようなもの=金太郎飴になってしまっているのではないでしょうか。

もともとアマチュアがビデオを始めた動機は、ビデオジャーナリストを目指したわけではありません。極論すれば「半径1㎞のプライベートな作品づくり」だったはずです。原点回帰の意味を含め、多様な作品づくりをするのも、あながち無意味ではないと思いますがいかがでしょうか?

少し硬い話になってしまったので、最後に笑い話をひとつ。8ミリフィルム時代とビデオになってからの大きな違いは「音」ですよね。あれだけ音の同期に苦しんだ時代から、いとも簡単に、というよりも、ごく当たり前に音が録れるのがビデオです。

これは私の8ミリ映画時代の話。勤務先の社長が海外視察で撮って来たフィルムの編集を私がすることになりました。当時の音声といえば、磁気テープに音楽とナレーションを吹き込み、映写機が映し出す画面に合わせて調整するという、何とも手のかかる方法。徹夜で完成させた作品を、会議室で役員や幹部社員の前で上映したのです。

海外のスーパーマーケットの広大さに嘆声をあげ、珍しい風景に目を見張り、映写は順調に進んで行きましたが、恐れていた事態が…。当時の映写機はモーターが過熱してくると映写スピードが上がり、テープレコーダーとのズレが生じて来るのです。焦って何とか映写機のスピードをコントロールしていたのですがそれは起こりました。

画面は終盤にかかり、ハワイの風景が写され、バックにはハワイアンのメロディが流れ、ナレーションは「これが有名なカメハメハ大王の像です」……次の瞬間会議室は爆笑の渦に巻き込まれたのでした。スクリーンを見ると、そこにはいかめしい顔の社長の姿が写っていたのです。

次の日から誰言うとなく、カメハメハ社長と呼ばれるようになったのでありました。

プライベート作品の一例  『明日(あした)降る雪』  (11分37秒)

▲長谷川さんの友人「谷やん」に宛てたビデオレターのような作品。神奈川県と静岡県の境にある乙女峠で茶屋を営む主人とそこに集う仲間たちの一年を追いながら、友を気遣う長谷川さんのナレーションが心に染みる一作。

月刊「ビデオサロン」2015年4月号に掲載