映画監督・武 正晴の「ご存知だとは思いますが」 第32回『プラトーン』


中・高・大と映画に明け暮れた日々。
あの頃、作り手ではなかった自分が
なぜそこまで映画に夢中になれたのか?
作り手になった今、その視点から
忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に
改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。最近の作品には『イン・ザ・ヒーロー』『百円の恋』がある。2017年秋に最新作『リングサイド・ストーリー』、2018年に『嘘八百』が公開予定。

第32回『プラトーン』

イラスト●死後くん
____________________________
ベトナム帰還兵であるオリバー・ストーン監督自身の1年間の実体験を活かし、戦争とそれが及ぼした影響を描く。オリバー・ストーンの代表作であり、第59回アカデミー賞作品賞、第44回ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞を受賞した。

原題 Platoon
製作年 1986年
製作国 アメリカ
上映時間 120分
アスペクト比 1.85:1
監督・脚本 オリバー・ストーン
製作総指揮 ジョン・デイリー他
製作 アーノルド・コペルソン
撮影 ロバート・リチャードソン
編集 クレア・シンプソン
音楽 ジョルジュ・ドルリュー
出演 チャーリー・シーン,ウィレム・デフォー,トム・ベレンジャー,フォレスト・ウィテカー,ジョニー・デップ 他
____________________________
※この連載はビデオビデオSALON2017年12月号に掲載した内容を転載しています。

 

22回目の釜山国際映画祭に拙作『リングサイド・ストーリー』を招聘してもらった。計3回の上映では各国からの観客の皆様から嬉しい拍手も頂いた。なんとも幸せな時間を過ごせた。

6日間の滞在で8本の外国映画を観た。『プラトーン』もその中の一本だ。オリバー・ストーン監督が映画祭の審査委員長としてゲスト参加していたのだ。アメリカ国家と喧嘩し続けてきた巨匠だ。夜9時からの上映にも拘らず大劇場は満席。

韓国のティーンエイジャーから質問が飛び交う

僕も30年ぶりにスクリーンで観ようと劇場に駆けつけた。上映後オリバー・ストーン監督が登壇した。Q&Aでは韓国のティーンエイジャーから英語での質問が飛び交った。

「CGもない時代によくもこんな戦争映画を撮れましたね。どんな工夫をしたのですか?」「貴方のような映画監督になるためにはどうすれば良いですか?」監督賞で2回オスカーをゲットした71歳の巨匠が14歳の少年に笑って答えた。「映画監督なんてロクでもない仕事だ、お母さん彼を止めなさい」、少年は「僕はどうしても監督になりたいんだ」、巨匠は「シナリオをとにかくたくさん書くことです」と一転真顔で答えた。

ベトナム戦争の帰還兵である自分がベトナム戦争についての映画を撮る意義、600万ドルという低予算で43日間の撮影に挑んだフィリピンでの日々を熱弁していた。真夜中近くまで熱い質疑応答が続いた。終了後、世界各国からの若者達に囲まれた巨匠は、緊張状態にある朝鮮半島での映画祭の意義と平和を訴えていた。

歌舞伎町の劇場で観た『プラトーン』

僕が最初にオリバー・ストーンの名前を知ったのはアラン・パーカー監督作の『ミッドナイト・エクスプレス』の脚本家としてだった。麻薬密輸で捕まったアメリカ青年の地獄のようなトルコ監獄からの脱出劇に受験浪人中の僕は度肝を抜かれた。

暫くして、東京に出て来たばかりの大学1年生の僕は『プラトーン』を新宿歌舞伎町の劇場で観た。知っている俳優はトム・ベレンジャーと『ストーリート・オブ・ファイヤー』『LA大捜査線/狼たちの街』の悪役で印象深かったウィレム・デフォーの2人ぐらいだった。

ベレンジャーはいつもの陽気な二枚目振りとは一転して、顔が傷だらけのバーンズ軍曹役。鬼畜ぶりがすごい。デフォーはバーンズと対立するエリアス軍曹役。2人にとっては出世作となる好演でアカデミー助演男優賞にダブルノミネートされている。デフォーは今だに世界中の映画監督から引っ張りだこの活躍ぶりだ。

オリバー・ストーン監督の分身とも言えるクリス役にチャリー・シーン。『地獄の黙示録』のマーティン・シーンの息子。親子二代で狂気のジャングルを経験。この後『メジャーリーグ』でもトム・ベレンジャーと共演している。『ヤングガン』『ウォール街』等80年代、90年代を席巻していく。

当時無名の俳優をオーディションで起用

『プラトーン』とは軍隊における30人ぐらいの編成、小隊の意味だ。この “プラトーン” の若者達がオーディションで選ばれた。この映画が今だに評価されるのはアカデミー作品賞を獲ったことだけでなく、後に主役、名優として活躍する当時無名の俳優達がオーディションで数多く選ばれたことだ。

そのひとり、ジョニー・デップのデビュー作もプラトーンだ。通訳兵ラーナー役でベトナム語を巧みに使っている。黒人兵ビック・ハロルド役にフォレスト・ウィテカー。『グッドモーニング、ベトナム』でロビン・ウィリアムズとのコンビでベトナム戦争の映画で活躍。アカデミー主演男優賞をアミン大統領役でゲットした。他多数の曲者演者達の出演がこの映画の魅力でもある。

国家の犯罪を暴くオリーバー・ストーンの戦い

映画の冒頭 “若人よ、若き日を楽しめ” という旧約聖書の言葉で始まり、サミュエル・バーバの “弦楽のためのアダージョ” が葬送曲のように使われ映画が始まり、クリスら若い兵士達がスクリーンに現れる。戦場で傷つくのはいつも若者なのだ。

アメリカ国内の貧しいマイノリティーの若者達がベトナムに送られ、ベトナム人村での虐殺、略奪、強姦……戦争を体験し、死んでいく。ベトナム帰還兵で初のオスカー受賞者オリバー・ストーン監督の国家の罪を暴く闘いの始まりだ。

死にゆくエリアス軍曹のショットは秀逸だ

戦場でバーンズ派とエリアス派に分裂する小隊。余りにも有名になったデフォーのエリアス軍曹の死に様。空撮からのスローモーション。ベトコン兵達に追われ味方の爆撃によって死にゆくエリアス軍曹のショットは秀逸だ。撮影はロバート・リチャードソン。オリバー・ストーンと共にアメリカ国家と喧嘩する映画を撮り続けていく。戦場を飛び去って行くヘリからの視線は神の目線か。“若者達よ全て神が見ていることを忘れるな” ということか。

東京国際映画祭にはトミー・リー・ジョーンズ

釜山国際映画祭から戻り、30回目の東京国際映画祭のオープニングに参加した。審査委員長に71歳のトミー・リー・ジョーンズが招聘され、僕らの目の前に登場した。僕が彼を最初に知ったのは『ローリング・サンダー』という哀しいベトナム帰還兵の映画だった。名匠ジョン・フリン監督、脚本ポール・シュレイダー。メキシカンギャング団に妻子をブチ殺されたベトナム帰還兵の戦友を助太刀するジョニー・ヴォーデン伍長役だ。トミーはこの役で名を挙げた。

ショットガンを掲げて戦友と売春宿に殴り込みをかけるジョニー伍長の姿を思い出した。震える程の名場面だ。スマホを掲げたフィルムメーカー達に囲まれるトミ・ーリー・ジョーンズを僕は少し離れたところから眺めていた。

●この記事はビデオSALON2017年12月号より転載

vsw