映画監督・武 正晴の「ご存知だとは思いますが」 第75回 ナインハーフ


中・高・大と映画に明け暮れた日々。あの頃、作り手ではなかった自分がなぜそこまで映画に夢中になれたのか? 作り手になった今、その視点から忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。最近の作品には『百円の恋』『リングサイド・ストーリー』、『銃』、『銃2020』、『ホテルローヤル』等がある。ABEMAと東映ビデオの共同制作による『アンダードッグ』が2020年11月27日より公開され、ABEMAプレミアムでも配信中。現在、NETFLIXでオリジナルシリーズ『全裸監督』はシーズン2が6月24日より配信スタート。

 

第75回 ナインハーフ

イラスト●死後くん

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原題: 9 ½ Weeks
製作年 :1986年
製作国:アメリカ
上映時間 :117分
アスペクト比 :シネスコ
監督:エイドリアン・ライン
脚本:パトリシア・ノップ/ザルマン・キング
製作:アンソニー・ルーファス・アイザック/キース・バリッシュ
撮影 :ピーター・ビジウ
音楽 :ジャック・ニッチェ
編集 :カロライン・ビガースタッフ/エド・ハンセン/トム・ロルフ/マーク・ウイニッキー
出演 :ミッキー・ローク/キム・ベイシンガーほか

『フラッシュダンス』のエイドリアン・ライン監督が手がけたエロティック・ラブ・ストーリー。主人公エリザベスがふとしたことで出会ったジョンから、様々なエロ行為を受けることで、彼女の内側に潜む潜在的な欲求を開花させていくまでを9週間半にわたって追った異色ラブ・ストーリー。

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4月28日、昭和から平成のエロ事師達の物語が遂に完成した。3年にわたる作品創りは今までの自分の仕事のなかでも特別なものとなった。ウイルスの猛威が未だ止まぬなか、苦労を共にしたスタッフ、キャスト、関係者の皆様に深謝したい。

 

『全裸監督』撮影前に『ナインハーフ』を観た

この不届なシリーズの撮影前に僕は、『ナインハーフ』を再見した。『フラッシュダンス』でエイドリアン・ライン監督の名を知った僕は、次作の『ナインハーフ』がかなりのスケベな内容であることを、映画雑誌などから評判を伺い知っていた。

駅などに貼られていた映画のポスターを横目に、受験浪人中の身の上の僕は頭脳への毒だと感じ、封印した。受験終了と共に解禁、上京後、リバイバル上映中の劇場に駆け込んだ。

マンハッタンの不届きなカップルの出逢いから別れの官能の9週間半の物語。ニヒルな不良役で脇に甘んじていたミッキー・ロークが絶妙の艶笑で世に躍り出た。モデルのような仕事に甘んじていたキム・ベイシンガーはこの作品で一躍トップ女優に。倒錯した性に溺れる女性主人公の内面を隠微に表現してくれた。名を挙げたふたりは映画史上に残る官能ベストカップルとして記憶されている。

美術商のエリザベス、ウォール街の証券マン、ジョン。エリート美男美女の凄艶物語は、ややもすると嫌味な色恋物語になってしまうが、エイドリアン・ライン監督の魔法にかかると艶やかな映画になる。

 

オープニングから素晴らしい艷やかなルック

マンハッタンを望遠レンズによる引き締まった黒調のルックで捉え、オープニングから素晴らしい。撮影は名匠ピーター・ビジウ。『ピンクフロイド・ザ・ウオール』の狂気の映像がすごい。『ミシシッピー・バーニング』の暗闇でオスカーをゲットしている。

エイドリアン・ライン監督とは『運命の女』で再度、艶のあるルックでダイアン・レインをオスカーノミネートさせている。『運命の女』のダイアン・レインも艶姿が素晴らしく、堪らない。

 

エイドリアン・ライン監督といえばおヘソがである

エイドリアン・ライン監督といえば、おヘソだ。女性のおヘソが如何に官能的であるかを僕に教えてくれた。『運命の女』でもダイアン・レインのおヘソが見事に悩ましく捉えられている。水を使った演出を多用する。

『フラッシュダンス』ではステージ上に天井から水が落ちてくるすごい振り付けがある。アカデミー作品・監督賞にノミネートされた『危険な情事』における浴槽のグレン・グロースには、僕はあまりの恐ろしさに劇場で声をあげてしまった。

 

巧みな照明設計や音楽のおかげで物語に引き込まれる

本作もミッキー・ロークとキム・ベイシンガーが深夜、雨の路地階段で絡み合うすごいシーンが用意されている。逆光ライトに浮かび上がるシルエット、ずぶ濡れの俳優達の意気込みに圧倒される。

ふたりの9週間半にわたる情事が巧みな照明設計によって繰り広げられていくのが素敵だ。電気スタンド、冷蔵庫の灯りの使い方、目隠し、氷、シズル、蜂蜜、デザートのゼリー…すべて使える照明の奥深さを堪能できる。

映像に続き、名曲の数々がふたりの情事を後押しする。音楽はジャック・ニッチェ。『愛と青春の旅立ち』の主題歌でオスカーをゲットしている。今回もジョー・コッカーの名曲「you can leave hat on(黄昏の誘惑)」が使用されている。この曲に合わせて踊るキム・ベイシンガーのストリップショーのような照明設計のダンスシーンが楽しい。夜の情事だけでは満足できないふたりはいつしか昼間も愛の情交に明け暮れる。

このモンタージュシーンにブライアン・フェリーの歌声で「Slave To love(恋の奴隷)」なんて曲が奏でられてしまっては、堪らない。僕は劇場で曲がかかった瞬間鳥肌が立ったことを今でもはっきり覚えている。大好きなシーンだ。雨のなかデートするふたりのなんとも可愛らしい微笑が素晴らしく、今見ても、俳優が愛おしくて涙ぐんでしまうのだ。

映画は瞬間芸術である。2度とない瞬間をフィルムが記憶してくれる。エイドリアン・ライン監督とクルー達はミッキー・ロークとキム・ベイシンガーの決定的瞬間を捉えている。そのことに感動してしまう。

 

ただのスケベ映画ではなかった

画廊界、ウォール街という魑魅魍魎の掴み所のない世界で働くふたりの性倒錯はエスカレートしていき、9週間半しか持たずに終わりを告げる。

ジョンは初めて自分のことを話し始めたところで、エリザベスは去っていく。ふたりとも内面に問題を抱えていることが明白となり、この9週間半が短いながらも、ふたりにとっては濃厚な救済の日々であったことを印象付けてこの映画は終わっていく。ただのスケベ映画ではなかった。

その後、キム・ベイシンガーはフィルムノワール作品の傑作『LAコンフィデンシャル』でのファムファタル役でアカデミー助演女優賞でオスカーをゲットしている。ミッキー・ロークは浮き沈みが激しかったが『レスラー』という映画で見事にカムバックしてオスカーノミネートの金字塔を打ち立ててくれた。拙作『百円の恋』は『レスラー』に触発されている。

 

ダイアン・レインの出ているスケベな映画は観ているか?

3年前、エロ事師達の物語の撮影に入る前に、主人公のモデルとなった伝説の監督にお目にかかった。レジェンドは僕に、「ダイアン・レインの出ているスケベな映画は観ているか?」と、聞いた。僕は主演女優にその映画(運命の女)のDVDを渡したと返事をした。すると一瞬、呆れた顔をして、同席していたプロデューサーに「この人、大丈夫だわ」と言ってくれた。

レジェンドが『運命の女』を勧めてくれたことが意外でうれしかった。そして、お墨付きをもらえたことで、少し自信を持つことができた僕は、これから始まる長い仕事に、一筋の光明を見出した気がしていた。

 

 

VIDEO SALON2021年6月号より転載