映画監督・武 正晴の「ご存知だとは思いますが」 第35回『ペーパー・ムーン』


中・高・大と映画に明け暮れた日々。
あの頃、作り手ではなかった自分が
なぜそこまで映画に夢中になれたのか?
作り手になった今、その視点から
忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に
改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。最近の作品には『イン・ザ・ヒーロー』『百円の恋』がある。2017年秋に最新作『リングサイド・ストーリー』、2018年に『嘘八百』が公開予定。

第35回『ペーパー・ムーン』

イラスト●死後くん
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詐欺師のモーゼは、母親を交通事故で亡くした9歳の少女・アディを親戚の家まで送り届けることに。嫌々引き受けたものの、大人顔負けの賢さを発揮するアディも詐欺の片棒を担ぐようになる。いつしか本物の親子のような絆が芽生えていくのだが…。

原題 Paper Moon
製作年 1973年
製作国 アメリカ
上映時間 103分
アスペクト比 1.85:1
監督 ピーター・ボグダノヴィッチ
脚本 アルヴィン・サージェント
脚本 ジョー・デヴィッド・ブラウン
製作 ピーター・ボグダノヴィッチ
撮影 ラズロ・コヴァックス
編集 ヴァーナ・フィールズ
出演 ライアン・オニール
テータム・オニール
マデリーン・カーン
ジョン・ヒラーマン
ランディ・クエイド 他
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※この連載はビデオSALON 2018年3月号に掲載した内容を転載しています。

1月5日の拙作『嘘八百』の公開初日、朝から日本橋の劇場に向かった。正月映画とはなんともありがたく嬉しいかぎりだ。隣のスクリーンでは、なんと『ペーパー・ムーン』が上映されていた。4年前にシナリオに取り掛かった時に真っ先に見直したのが『ペーパー・ムーン』だった。その偶然に驚き、喜んだ。

テータム・オニールに今だにKOされっぱなし

いかさま聖書売り・モーゼと、みなしご・アディの物語を僕が最初に見たのは高校3年生の時だった。テレビの吹き替えだったので、アディ役のテータム・オニールの低音に出会うのは東京の名画座まで待たなくてはならなかった。『がんばれベアーズ』のアマンダ役のテータムに10歳の時にノックアウトされた僕は9歳のテータムのデビュー作に今だにKOされっぱなしなのだ。

『ラスト・ショー』のピーター・ボグダノビッチ監督の3作目は、1935年の大恐慌真っ只中のアメリカ南西部を舞台にしたロードムービーだった。前作品『ラスト・ショー』にやられていた僕は、引き続いての白黒映画に大満足だった。

オーソン・ウェルズとジョン・フォード仕込みの白黒撮影

主人公アディの苦味ばしったクローズアップから映画が始まる。ファーストシーンでは交通事故で亡くなったアディの母親の葬儀を白黒のカメラが見事に捉える。

撮影は名匠ラズロ・コヴァックス。オーソン・ウェルズとジョン・フォード監督に白黒映画における赤色フィルターの使い方を伝授されたそうだ。空と地面と人物のコントラスト。ウェルズの『市民ケーン』ゆずりのディープフォーカスだ。

詐欺師・モーゼがたった4人の葬儀にポンコツ30年型フォードで駆けつける。亡くなった母親はモーゼの元恋人だったようだ。アディとあごが似ている、父親ではないかと言われたモーゼはみなしご・アディをミズーリ州の叔母に送り届けることに。

モーゼ役にライアン・オニール。テータムの実父だ。このキャスティングが、本作をマスターピースとした。早速モーゼは交通事故を起こした男の兄から200ドルの慰謝料をせしめて新車を買って、アディを汽車でほっぽろうと画策する。賢いアディはズルい大人に負けていない。「私の200ドルを返せ!」。カフェでのやり取りが傑作だ。テータムの史上最年少・オスカー受賞は映画が始まった10分程で確定。

子供らしからぬアディの芝居

200ドル返済のためにモーゼが本業を開始する。未亡人相手の聖書セールス詐欺が紹介される。上手くいかないモーゼの商売をアディが機転を利かせ、モーゼを「ダディ」と呼んで偽の娘に扮して、聖書を売りさばく。モーゼもアディの才覚に舌を巻く。こうして2人のニセ親子のコンビを組んでの詐欺旅行が始まる。

ラジオを聴くのが大好きで、フランクリン・ルーズベルト大統領を尊敬し、葉巻箱に稼いだお金とタバコと、母親の形見のネックレスと香水を隠し持つアディ。モーゼとの道中、宿での会話は大人と子供のものではない。部屋でアディが煙草を吸う場面。「子供がベットで煙草を吸うな、火事になるだろう」とモーゼの台詞が傑作だ。テータムの喫煙場面は必見だ。マッチのすり方、タバコの扱い方は芝居の教科書になる。

全編を通してテータムの表情がなんとも豊かで、表情の機微を捉えてのカッティングが見事だ。編集は『ジョーズ』でオスカーゲットのヴァーナ・フィールズ。

僕はこの映画で毎回3度泣かされてしまう

僕はこの映画で毎回3度泣かされてしまう。一つ目は、旅の途中でモーゼが夢中になってしまうストリッパーのデカパイ・トリクシー役のマデリーン・カーンの演技だ。

モーゼがトリクシーに夢中になり、彼女の黒人メイド・イモジンと共に同行することに。車の後部座席に追いやられたアディが車に乗らないと駄々をこねるのをトリクシーが説得する場面。

「いつも男とは長続きしないの…今だけはこのデカパイ・トリクシーを助手席に乗せて欲しいの」。僕は女の哀しみをマデリーン・カーンに教えてもらった。テータムの表情も素晴らしい。マデリーン・カーンはこの芝居で2度目の映画出演でアカデミー助演女優賞にテータムと共にノミネートされた。

二つ目は、密造酒売りを騙くらかして金をせしめたモーゼが追手の保安官達に袋叩きにされて、一文無しとなって路上に放り捨てられていたのをアディが励ます場面。「また一緒に聖書売ろう…」と。

“ペーパー・ムーン”偽物の“紙の月”でも「愛情があれば本物になるの」という主題歌『イッツ オンリー ア ペーパー ムーン』の歌詞のように偽物の親子が本物以上の親子の絆をみせる名場面だ。これを本物の親子が演じるから堪らない。2人の別れは近い。アディの泣いてたまるかの気持ちが伝わってくる。

三つ目はラストカットだ。このロードムービーのもう一つの主役は2人が行く様々な道だ。砂塵を立てて車が走る道、雨の道、保安官から逃げる道…。カンザス州でロケハン中に道に迷ったスタッフが見つけたという果てしなく続く、名も無く地図にも載っていない道。この道が撮影に入っても決まっていなかった映画の結末を決定づけた。風景だけは創れない。見つけてくるのだ。そう僕は信じている。

ラストカットを見るたびに熱いものがこみ上げてくる

名画『道』を描いた画家の東山魁夷は「これから進んで行く道を描いていきたいのだ」と語ったが、僕も同じ気持ちでいる。アディは優しい叔母さんの作ってくれるパイや冷たいレモネード、ピアノがある家よりも、果てしなく続くモーゼとの先の見えない道を選んだ。

このラストカットを観る度に熱いものが込み上げてくるのだ。1935年を1970年代に生きた人々が再現した映画に力づけられる。ボクダノビッチ監督は『これが私の最高傑作だ』と言いきった。

拙作初日1回目の上映が終わり、最近の僕の映画の主人公達が3作品とも、2人で道を行く後ろ姿がラストではないかと気づき、驚いた。近々、午前十時の映画祭で『ペーパー・ムーン』をスクリーンで観直す必要があるなと、劇場を後にしながら、僕は胸の中でつぶやいた。

 

●この記事はビデオSALON 2018年3月号より転載