中・高・大と映画に明け暮れた日々。
あの頃、作り手ではなかった自分が
なぜそこまで映画に夢中になれたのか?
作り手になった今、その視点から
忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に
改めて向き合ってみる。
文●武 正晴
第5回『アラビアのロレンス』
イラスト●死後くん
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実在のイギリス軍人で、第一次世界大戦時、オスマン帝国に対するアラブ人の反乱を支援したことで知られるT.E.ロレンス。彼の自伝『知恵の七柱』からロバート・ボルトが脚色し、デヴィッド・リーンが監督した。
製作年 1962年
製作国 イギリス
上映時間 207分
アスペクト比 シネマスコープ
監督 デヴィッド・リーン
脚本 ロバート・ボルト
マイケル・ウィルソン
撮影 トーマス・マウフ
編集 アン・V・コーツ
音楽 モーリス・ジャール
出演 ピーター・オトゥール
オマー・シャリフ
アンソニー・クイン他
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※この連載は2015年9月号に掲載した内容を転載したものです。
今年7月10日にオマー・シャリフが83歳で亡くなってしまった。『ドクトル・ジバゴ』でロシア詩人医師、『将軍たちの夜』ではナチス軍事警察を演じて魅せた彼は、最も世界中に知られたエジプト人俳優だったと思う。
『アラビアのロレンス』でハフト族の首長アリ役の彼を見たときに、エジプトにはなんと素晴らしい俳優さんがいるのだろうと思った。僕は中学2年の冬に日曜洋画劇場で2週に渡ってテレビで見たのが最初だった。
高校2年の夏に『アラビアのロレンス』を名古屋のシネラマ中日劇場で70mm上映で観ている。圧巻だった。20世紀は映画の時代であったと後世に証明できうる数少ない作品だ。オマー・シャリフ演じるアリが蜃気楼とともに現れる登場場面には驚いた。
取り憑かれたように頭から消えない台詞
中でも感銘したのがピーター・オトールのロレンスが、「神が創った最悪の場所」とアリがうそぶくネフド砂漠をラクダで突破中に、砂漠に置き去りにされたアラブ人・ガシムを救うために難所を1人戻り、灼熱の砂漠の中を見事に生還する場面には胸が熱くなった。疾走するラクダがなんとも素晴らしいのだ。
生還したロレンスに水を届けるアリに「運命などない」と言い放つロレンス。「偉大な人間は自ら運命を切り開くのだ」とアリがロレンスを讃える。
17歳の僕にとっての決定的な台詞だった。シナリオライターのロバート・ボルトの用意してくれた言葉に僕は完全に支配された。映画とはかくもありがたく、良きものかと改めて知った。学校で誰もこんなことを教えてくれない。もっと、もっと映画を観よう。映画しか観ないぞ、と決意した。
映画を見終わった僕は「運命とは自ら切り開くもの」と何かにとりつかれたように呟きながら、真夏の帰路を歩いた記憶が鮮明に残っている。忘れない。イギリスの三枚舌外交やパレスチナ問題の本を図書館で読んだ。学校に行かず、映画館に通う日が増え始めたのもロレンス以降だと記憶している。
その後、現在に至るまで劇場で上映される度にこの20世紀映画遺産と僕が勝手に呼んでいる『アラビアのロレンス』を観に行ってしまう。
砂漠の美しさと恐ろしさを撮影のフレデリック・ヤングがまるで砂漠が生きているかに捉えてくれる。モーリス・ジャールの音楽はすでに伝説だった。撮影13ヵ月。編集4ヵ月。巨匠デビッド・リーン監督の砂漠への無限の陶酔が伝わってくる。ラクダに乗りたくなってしまう。編集のアン・V・コーツのリズムが見事だ。それにしても、これだけ沢山のラクダが出てくる映画は空前絶後だろう。この撮影に関われた才能たちは伝説だ。羨ましい。
同じ撮影所内でオマー・シャリフと
1992年の秋。助監督修業中の僕は大泉東映撮影所にいた。俳優会館の控室のドアに「オマー・シャリフ様」と手書きで書かれた紙が貼ってあった。『天国の大罪』という映画への出演で来日していたのだ。
僕はもちろん違う作品で連日カチンコを打っていたのだが、一目逢ってみたいと、控室の前の廊下をうろついていた。結果オマー・シャリフに出逢うこともなく、見かけることすらできなかった。しかし、同じ撮影所内で仕事をしているのだと思うだけでも胸が高鳴った。
巨匠デビッド・リーン監督はオマー・シャリフと最初に会った時に「虎のような目だ!」と出迎えたそうだ。獰猛なだけでなく神秘的な瞳だと僕は思う。戦いに疲れてゆくロレンスを見守るアリのまなざしがこの映画を救ってくれている。
巨匠は次回作品の『ドクトル・ジバゴ』のロシア詩人医師にオマー・シャリフを大抜擢する。この作品の主人公のまなざしも優しさに満ち溢れている。
『アラビアのロレンス』はスコセッシやスピルバーグのテキストになっていて、撮影前には必ず見直すのだとDVDの特典映像でスピルバーグが嬉しそうに語っている。
最近では、クリストファーノーランが『インターステラー』の撮影中に「デビッド・リーンも70mmで砂漠を撮ったんだから、僕らにもできるはずだ」とスタッフを鼓舞した奮闘ぶりが聞こえてきた。『ライアンの娘』撮影中のデビッド・リーン監督が「最近の映画はもう少し映像にこだわるべきだ」とインタビューに答えている。
インドネシアの密林で『戦場にかける橋』を。ヨルダンの砂漠で『アラビアのロレンス』を。フィンランドの雪原で『ドクトル・ジバゴ』を。アイルランドで『ライアンの娘』のあの暴風雨を。巨匠とスタッフ達がこだわった映像は21世紀を生きる映画作家達を間違いなく奮い起たせている。
ジョージ・ミラーもロレンスを観ていた?
砂漠を爆音と共にタンクローリーやら改造車両がひたすら走破する映画が最近の僕のお気に入りで何度も様々な劇場に足を運んで観てしまっている。70歳のオーストラリア人監督も『アラビアのロレンス』に支配されたことがあるのではないかと僕は推測している。なぜなら、同じく、苦労して走破して来た砂漠を主人公達が戻る場面があるからだ。
『アラビアのロレンス』には女性がほとんど出てこないが、『マッドマックス』の新作は砂漠を女達が走破する。巨匠・デビッドリーンへのアンチテーゼか。これも勝手な推測だ。いずれにしろ、最近の僕は『マッドマックス』の新作のメイキング映像を何度も観ては砂漠への憧れを押さえきれないでいる。
●この記事はビデオSALON2015年9月号より転載
http://www.genkosha.co.jp/vs/backnumber/1496.html
●連載をまとめて読む
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