俗に「山高きが故に貴(たっと)からず」と申しますが、映像制作もキャリアの長さで実力を測ることはできません。まあ「写歴長きが故に貴からず」でしょうかね。アマチュアの趣味として長く続けてきた映像制作人生の収穫は、多くの友人を持つことができたことと、喜寿を過ぎた今も、充実した映像ライフを送ることができる喜びを味わえることでしょうか。
私の映像人生は昭和31年、8ミリ映画からのスタートでした。当時まだ大学の1年生、教材は吉川速男(はやお)著「8ミリ映画の撮り方」と「ビデオサロン」の前身の月刊誌「小型映画」でした。時は流れ8ミリはビデオにその地位を取って代わられ、8ミリと言えば8ミリビデオと間違えられ、デジタルの鮮明さに驚き、慌てて高価なビデオカメラと編集機材一式を揃え、やれやれと思う間もなくハイビジョンが登場しましたね。
「一体どうなってるの? メーカーさん」とぼやきつつ、手にはいつしかハイビジョン撮影機を持っている始末で、なんとも意志の弱さに泣くばかり…少し前までは「16対9の横長画面の構図を考えもせずに飛びつく神経がわからん!」とか何とか言っていた御仁が、いつの間にやらハイアマチュア用のハイビジョンカメラを手にして得意顔とは、恐れ入谷(いりや)の鬼子母神(きしもじん)! 朝令暮改(ちょうれいぼかい)まさに此処に極まれり…です。
ごく一部の好事家の趣味であった小型映画(8ミリ)時代から、パソコンの普及で一般家庭にホームビデオが浸透した現状は今昔の感があります。幼稚園、小学校の運動会はビデオカメラの大放列です! 若いパパさんに混じってママさんの奮闘ぶりが一際目立ちます。小型ながらどれもハイビジョン。編集なんかしなくても立派なホームムービーですし、作品づくりのスタート地点であり、まさしく「半径1㎞の私的映画づくり」なのです。また、半径1㎞の意味は単なる距離だけではなく、より身近なものに目を向けた作品づくりであり、あまり背伸びをしない身の丈に合った作品づくりのススメなのです。
私の作る作品の傾向はアットホームな物が多いですネ。ヒッチコック映画のように本人が登場するシーンがよく出て来ます(目立ちたがり屋なのかな?)。その典型的な作品が映画看板のある町・青梅、そこに展開する我が青春の熱き想いを描く『ボクの純情映画館』でした。
なにせ全編出ずっぱりの主役です。懐かしい映画看板を見て、いつしかその映画の主人公になりきる役どころなので、自分撮りには限界があります。街中の撮影ですから通行の邪魔ですし、カメラごと三脚を倒されでもしたら大変ですからネ。三脚にカメラを載せ、モニターでアングルを確認し、録画ボタンを押して撮影開始のポジションまで急ぎ足、そこで振り返って、いざアクションスタート…と思ったら三脚ごとカメラが消えていた…なんてことは海外であった本当の話ですが…そこでビデオ仲間に協力をお願いしました。
こころよく協力してもらうためには、作品の制作意図を明確に伝え、「一緒に作品づくりをする」という雰囲気づくりが大切なのです。そのための殺し文句は「今度の作品、助監督をやってくれないかな?」で決まり! 間違っても「助手」はいけませぬぞ、助手は! お蔭さまで『ボクの純情映画館』は、あっちこっちのビデオクラブの上映会や勉強会からお呼びがかかり、10年経った今も人気者です。
基本的にシャイで寡黙な(?)性格ですので、ドキュメンタリーのように他人のプライバシーに立ち入るような、特にインタビューは苦手です。ですからその手の作品は少ないですネ。乙女峠の茶店の主人の生き様と、山仲間の交流を四季の移ろいの中に描いた『酔いどれ峠』と続編の『明日(あした)降る雪』は、ドキュメンタリーでありながらインタビューのない珍しい作品です。何年も峠に通い、互いに気心もわかり、カメラを回しっぱなしにして生の会話、独白を収録する手法で作りました。
気楽に制作に取り組むのには、やはり家族を中心に描くのが一番です。自分撮りでプライベートな秋を描いた『秋とわたし』、姉と一緒に50年ぶりに疎開先を訪ねる『夏の涯』、白いハンカチが巻き起こすホームドラマ『まだ寒い春』、小さなジオラマで描く昭和『OLDDAYS 面影橋の夕日』、家内の闘病生活と家族の在りようを問う『今ありて』、シジュウカラの子育てと、家族の日常をさりげなく描く『百日紅(さるすべり)の咲く頃』等々。
こうして見ると身近にある題材、身近な場所、背伸びをしないでも楽しい映像の世界が充分に味わえるのですネ! こんな話になりますが、しばらくお付き合い願えれば幸いです。
『ボクの純情映画館』
月刊「ビデオサロン」2015年1月号掲載