中・高・大と映画に明け暮れた日々。あの頃、作り手ではなかった自分がなぜそこまで映画に夢中になれたのか? 作り手になった今、その視点から忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に改めて向き合ってみる。
文●武 正晴
愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。最近の作品には『百円の恋』、『リングサイド・ストーリー』、『銃』、『銃2020』、『ホテルローヤル』等がある。ABEMAと東映ビデオの共同制作による『アンダードッグ』が2020年11月27日より公開され、ABEMAプレミアムでも配信中。現在、NETFLIXでオリジナルシリーズ『全裸監督』シーズン2が配信中。2023年1月6日より『嘘八百 なにわ夢の陣』が公開!
第107回 鬼畜
イラスト●死後くん
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製作年 :1978年
製作国:日本
上映時間 :110分
アスペクト比 :ビスタ
監督:野村芳太郎
脚本:井出雅人
原作:松本清張
製作:野村芳太郎/野村芳樹
撮影 :川又 昴
編集 :太田和夫
音楽 :芥川也寸志
出演 :岩下志麻 /緒形 拳 / 小川真由美/ 岩瀬浩規/ 蟹江敬三/ 大竹しのぶほか
松本清張が書き下ろした短編を野村芳太郎監督が映画化。川越で印刷屋を営む宗吉と妻のお梅。ある日、妾の菊代が宗吉に3人の子どもを押しつけて失踪し、お梅の虐待による地獄が始まる。育児放棄で末っ子が病死すると、宗吉は残るふたりも何とかしなければと追い詰められていく。
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2週続け「水曜ロードショー」で緒形 拳主演『鬼畜』をTV放映で観た。劇場公開から3年遅れの1981年の4月22日だった。小学生の時、通学路の電柱に立てかけられたポスターが不穏だった。
『復讐するは我にあり』で戦慄した僕は、さらに不気味なタイトルに臆することなく、テレビの前で姿勢を正した。松本清張原作、野村芳太郎監督、撮影川又 昴、音楽芥川也寸志。映画『砂の器』の黄金メンバーだ。先週の『復讐するは我にあり』以上の胸ぐらを掴まれた衝撃を受けて家族一同、身動きできなくなった。
川越の竹内印刷の宗吉(緒形 拳)宅に妾の小料理屋の菊代(小川真由美)が3人の幼児を連れて、押しかけてくる。宗吉は7年間、妻のお梅(岩下志麻)に隠れて、菊代と子供達を囲っていた。火事と大手印刷会社の進出で生活費を渡せなくなった宗吉に痺れを切らせ、東武東上線の男衾(おぶすま)駅から川越までやって来る。衾とは布団のことで意味深だ。
名優達のタイトルクレジットにワクワクさせられる
オープニング、埼玉の片田舎のカメラワークが瑞々しく、川越の印刷屋までの道のりに名優達のタイトルクレジットにワクワクさせられる。川越の路角に、今も健在の川越スカラ座の上映ポスターに嬉しくなる。今はなき、川越ホームラン劇場のオールナイト上映の看板にも驚きだ。『コンボイ』、イーストウッド『ガントレット』の二本立ての看板を曲がると、竹内印刷屋がある設定だ。ペキンパーの『コンボイ』は僕も小学5年の1978年に劇場で観ている。
宗吉の地獄が始まる
『復讐するは我にあり』の希代の殺人者から一転して、どこにでもいそうな、小心者の竹内宗吉を緒形 拳が見事に演じる。印刷作業で汗まみれのノースリーブお梅役の岩下志麻の二の腕に色気と女の強さを僕は強く感じた。この野村監督演出は僕も継承させてもらっている。従業員役の蟹江敬三の「地獄だねえ」の台詞が見事すぎて、吹き出した。『男はつらいよ』森川 信の「馬鹿だねえ〜」に匹敵する見事さ。宗吉の地獄が始まる。
子供ができない自分に隠れて、愛人と3人の子供を囲っていた宗吉に般若のような形相の岩下志麻が凄い。対して、和服姿の色香の小川真由美も甲斐性のない宗吉に般若の形相で対抗する。『八つ墓村』の恐ろしい小川真由美を思い出す。茶の間のテーブルを挟んで下手に岩下志麻、真ん中に小川真由美、上手に緒形 拳のワンシーンワンカットは凄まじい。子役3人がその間、部屋をうろつくが、岩下、小川の迫力にたじろぐ様が垣間見られる。この野村演出の凄さに僕もいつか挑んでみたい。
今の時代では絶対に無理な撮影
「旦那は返すから、子供は置いてくよ」と菊代は深夜の川越に姿を消す。「父ちゃん、父ちゃん」と子供達は宗吉に懐いている。宗吉は子供達を可愛がってきたことがよく分かる。それ故に「似てないよ、本当にあんたの子かい」と宗吉に毒づくお梅は育児放棄して子供達からオニババと称され、虐待を行う。
赤ちゃんの次男、庄次が食べ物をぐちゃぐちゃに炊飯器に混ぜている、それをみたお梅はグチャグチャのご飯を無理矢理口の中に押し込む。今の時代では絶対に無理な撮影がどのように行われたのか。野村芳太郎監督、岩下志麻、撮影クルーの胸中と子役の赤ちゃんの現在を思い図る。
人間の狡いところがやりたい
長男の利一は原作にあるように、頭の大きな、発育不良の男の子という役柄に、よくぞこの子を探し出したと感心する。棒読みのような感情のない台詞回しは野村監督の狙いだろう。親達、大人達の都合で人生を翻弄される6歳の男の子に僕は感情移入していく。僕が子供の時と同じように『科学忍者隊ガッチャマン』の主題歌を口ずさむ利一にとって妹の良子、弟の庄次しか繋がるものがないのだ。
お梅の「似てないよ」の言葉に宗吉はこの子達が自分の子ではないのかと勝手に疑い始める。まさに「鬼畜」と化して行く宗吉の弱さ、狡さを緒形 拳が見事に魅せてくれる。「人間の狡いところがやりたいなあ」とは緒形さんとご一緒した時に聞いた金言だ。
野村組の真骨頂
栄養不良の次男、庄次が衰弱死すると、長女の良子を東京タワーに置き去りにしてしまう。宗吉が東京タワーから飛び出してくると、タワーのライトが点灯するカットには震えた。僕も東京タワーのライトアップのタイミングを助監督時代に合わせたことがあるが大変困難だった。庄次の好きだったオルゴールの曲が物哀しく流れる。ふたりを失い、孤独になった利一がひとりで男衾まで戻る場面に芥川也寸志の劇版テーマ曲が流れる。『砂の器』を思わせる構成に胸が熱くなる。野村組の真骨頂だ。
姿を消した利一に、宗吉とお梅夫婦が利一が自分達のことを警察に言うのではないかと、6歳に怯えている様が滑稽だ。パトカーに乗って帰ってきた利一にふたりは戦々恐々。お巡りさん役の田中邦衛が好演。「坊やはここの住所もお父さんの名前も全部言えましたよ、偉いなあ」の言葉に、ふたりは利一殺害を企む。負けじと勝ち誇った利一の表情が凄い。棒読み台詞の子役が徐々に凄みを増していく。
宗吉が利一を連れて北陸の東尋坊、能登金剛の遊覧船に乗って、福浦へと「鬼畜」の旅が美しく物悲しい。海が見たいと断崖絶壁の崖の端まで利一が覗くのも、父が自分の手を掴んでいる、安心感故だ。それに気づく宗吉の葛藤。関野鼻の断崖の夕陽の美しさが恐ろしい。川又 昴撮影監督の断崖カットは『ゼロの焦点』をはじめ、探し出した日本の景観を僕達に教えてくれる。風景は創れない、見つけるのだと。
脚本の井手雅人の仕事に救われた
福浦の旅館で酔った宗吉が子供時代の哀しみを利一に語る名場面。そして驚愕のラストシーンのふたつは原作にない。脚本の井手雅人の仕事に僕は救われた。婦警の大竹しのぶ「男でしょ、元気出さなきゃだめよ」の台詞に僕は慟哭した。映画の終焉、利一を乗せたライトバンが北陸の海岸線を行く。彼の人生はきっと困難に違いない、だが涙顔の彼の表情から強い意志を感じた。大丈夫だ。
北陸の能登金剛の景観は度重なる地震のため変貌してしまったと聞く。しかし映画の中で観た夕陽は今も変わらないはずだ。
●VIDEO SALON 2024年3月号より転載