中・高・大と映画に明け暮れた日々。あの頃、作り手ではなかった自分がなぜそこまで映画に夢中になれたのか? 作り手になった今、その視点から忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。最近の作品には『百円の恋』『リングサイド・ストーリー』、『銃』等がある。現在、NETFLIXでオリジナルシリーズ『全裸監督』が公開中。1月31日より『嘘八百 京町ロワイヤル』が公開。abemaTVと東映ビデオの共同制作による『アンダードッグ』も製作開始。

第61回 カイロの紫色のバラ

イラスト●死後くん

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原題: The Purple Rose of Cairo
製作年 :1985年
製作国:アメリカ
上映時間 :82分
アスペクト比 :ビスタ
監督・脚本・:ウディ・アレン
製作総指揮:ジャック・ローリンズ/チャールズ・H・ジョフィ
製作:ロバート・グリーンハット
撮影 :ゴードン・ウィリス
編集 :スーザン・E・モース
音楽 :ディック・ハイマン
出演 :カーク・ミア・ファロー/ジェフ・ダニエルズ/ダニー・アイエロ/エドワード・ハーマン/ジョン・ウッド/デボラ・ラッシュほか

1930年代の大恐慌時代のアメリカが舞台。失業した暴力亭主と暮らし、ウエイトレスで生計を支えるセシリア。惨めで愛のない暮らしのなかでの唯一の楽しみが映画館に通うことだった。劇中劇『カイロの紫色のバラ』をリピートする日々。仕事をクビになったある日、映画館へ足を運ぶと…。

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4月1日、100年に一度のウイルス襲来という未曾有の危機の中、拙作17本目の映画のダビングを済ませることができた。共に従事してくれたスタッフに深謝したい。次作撮影も撮済みの編集作業も中断してしまっている。映画館の休館も相次いでいる。僕は映画館に行くのが大好きだ。映画館で映画が観たいという欲求が、自分の仕事への欲求になっている。

僕が一番映画館で映画を観たのが19歳のときで、1987年に上京した年だ。毎日のように映画館をふらついていた。『ぴあ』という雑誌を毎日眺め、握りしめてはどの劇場に行くか模索していた。

文芸坐、文芸地下、ルピリエ、並木座、三百人劇場、大井武蔵野館、笹塚京王、下高井戸京王、中野武蔵野ホール、三鷹オスカー、イメージフォーラム、アテネフランセ…の2本立て、3本立て上映。渋谷パンテオン、渋谷東宝、渋谷東急には映画研究部の先輩たちにチケットをもらいロードショーを観せて貰った。僕も新宿武蔵野館、文芸坐のオールナイト興業の売店のバイトに週末従事した。5本立ての最後の一本を観るのが楽しみだった。

ウディ・アレンの黄金時代を 支えたゴードン・ウィリスの存在

ウディ・アレン監督作品の『カイロの紫のバラ』という映画館が舞台になる作品がある。ウディが出演しないほうの映画だ。三鷹オスカーで『カメレオンマン』『サマーナイト』『ブロードウェイのダニーローズ』の3本立てという幸福の時間を過ごした僕は、撮影が3本とも『ゴットファーザー』のゴードン・ウィリスであることに気づく。『アニー・ホール』『マンハッタン』もこのコンビだ。

僕は『ブロードウェイのダニーローズ』がとりわけ大好きだ。これがきっかけで現在に至るまでウディ・アレンの作品を毎年楽しみに観続けているが、ゴードン・ウィリスと組んだ『インテリア』『スターダストメモリー』『カイロの紫のバラ』を含む8本を撮った、1977年から1985年はウディ作品の黄金時代時代だったのではないかと。

室内、屋外における人物のシルエット撮影が僕は大好きだ。『マンハッタン』『スターダストメモリー』『ブロードウェイのダニーローズ』のモノクロの美しさに憧れた。この気持ちは今も変わらない。

大学受験で上京した時に観た 『カイロの紫のバラ』

大学受験で東京に滞在していた1987年の2月、すべての試験が終わった日にテアトル池袋のオールナイトで『カイロの紫のバラ』と『未来世紀ブラジル』の2本立てという2度と訪れないであろう至福の時を過ごせた。両作品とも素晴らしい映画だった。特にヒロインが2作品ともキュートで僕はやられてしまった。

『カイロの紫のバラ』のヒロインはウディ・アレンのファム・ファタル※、ミア・ファロー。映画好きの主婦セシリアを演じている。ウディ作品以前に『ローズマリーの赤ちゃん』や『フォロー・ミー』『ジョンとメリー』の作品で僕にはお馴染みの顔だった。ウディ作品には13本出演している。

映画のなかの登場人物が スクリーンから飛び出す

1930年代の不況のニュージャージー。失業中の粗野な夫(ダニー・アイエロ)を支えるべく、ウエイトレスをしているセシリア。唯一の楽しみが好きな映画を映画館で観ることだ。今上映中のお気に入りの映画が『カイロの紫のバラ』というロマンチックコメディー。

主役のトム・バクスター(ジェフ・ダニエルズ)という冒険家に夢中のセシリア。ウエイトレスをクビになった日、泣きながら5回目の観劇に。劇中のトム・バクスターが台詞の最中、目線が彼女に、「また来てくれたんだね」とスクリーンから語りかける。ここに至るまでの劇中劇『カイロの紫のバラ』の構成と見せ方が実に巧みだ。ウディのこだわりと丁寧な撮影がすごい。

彼女に一目惚れした冒険家トムはスクリーンを飛び出して彼女を口説き始める。劇場内は大騒ぎ。スクリーンの劇中の登場人物たちもスクリーンの中で大騒ぎ。「冗談じゃない」と共演者がスクリーンの外に出ていこうとするが出れないというギャグも秀逸だ。突然の不条理な出来事も当たり前のようにウディは描いていく。

トムが戻って来ないと話が進まないと劇場支配人にスクリーンの中から共演者達、ちょい役の役者が悲鳴のような文句をたれるのには笑った。そんな様子をおもしろがったマスコミが押し寄せたり、映画会社の重役、監督達がハリウッドから駆けつけたり、手塚治虫の漫画に出て来るようなキャラクター達がいちいち可笑しい。

役を演じる本人も ハリウッドから駆けつける

劇場からセシリアを連れ出した冒険家トムは、セシリアと高級レストランでデート。撮影用の贋札で支払いのギャグはフェイク・マネーシーンとして永遠だ。食い逃げで2人は追いかけられる。ついにはトム・バクスターを演じているギル・シェパード(ジェフ・ダニエルズ一人二役)がニュージャージーに冗談じゃないとやって来る。

トムを廃墟の遊園地に匿ったセシリアは本物のギルと出会い恋に落ちる。トムと粗野な夫も乱れての四角関係から逃れるべく、トムと劇場に戻り、スクリーンの中に逃げ込む。

『カイロの紫のバラ』の世界を共演者達と体感するセシリア。映画はモノクロの世界に。歌あり、踊りあり。1930年代をこよなく愛するウディの大好きな物が詰め込まれている。このモンタージュシーンが素晴らしい。観て欲しい。

映画は人を救う。 間違いない。

程なくセシリアの冒険奇譚は終わりを告げ、『カイロの紫のバラ』の上映も終わりを告げる。失恋した彼女は家庭も失い、寄る辺なき者として映画館の座席に。ロードショーはご存知、アステア&ジンジャー・ロジャースの『トップ・ハット』名曲「Cheek to Cheek」と共に映画が終わる。

ラストカットのセシリア、ミア・ファローが素晴らしい。82分の奇跡。どんな事があっても主人公は救ってやるのだという作り手の気持ちが伝わってくる。

「映画は人を救う。間違いない」僕は人気のない夜の撮影所の門をくぐりながら、あのラストカットを観ていた自分自身を思い出していた。

VIDEOSALON 2020年5月号より転載