中・高・大と映画に明け暮れた日々。あの頃、作り手ではなかった自分がなぜそこまで映画に夢中になれたのか? 作り手になった今、その視点から忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に改めて向き合ってみる。

文●武 正晴
愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。最近の作品には『百円の恋』『リングサイド・ストーリー』、『銃』、『銃2020』、『ホテルローヤル』等がある。ABEMAと東映ビデオの共同制作による『アンダードッグ』が2020年11月27日より公開され、ABEMAプレミアムでも配信中。現在、NETFLIXでオリジナルシリーズ『全裸監督』シーズン2が配信中。

第80回 ダーティハリー

イラスト●死後くん

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原題: Dirty Harry
製作年 :1971年
製作国:アメリカ
上映時間 :102分
アスペクト比 :シネスコ
監督:ドン・シーゲル
脚本:ハリー・ジュリアン・フィンク/R・M・フィンク/ディーン・リーズナー
製作:ドン・シーゲル
撮影 :ブルース・サーティース
音楽 :ラロ・シフリン
編集 :カール・パインジタ
出演 :クリント・イーストウッド/アンディ・ロビンソン/ハリー・ガーディノ/ジョン・ヴァーノン/レニ・サントーニほか

サンフランシスコの屋上プールで泳いでいた女性が何者かに狙撃される事件が発生した。捜査にあたるのは、いつも汚い仕事をまかされることから“ダーティハリー”と名づけられたハリー・キャラハン刑事。やがて“スコルピオ”と名乗る犯人から「十万ドルを渡さなければ市民を殺す」という脅迫が…。

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34回目の東京国際映画祭が今年からは有楽町で開催されている。六本木会場の昨年は拙作『アンダードッグ』がオープニング作品に選ばれるという、大変な栄誉をいただいたことが懐かしい。

今年は出品できる作品が撮れない1年で、ちと寂しい限りだ。今年の映画祭のオープニング作品はクリント・イーストウッド監督の新作『クライ・マッチョ』だ。心待ちにしていた91歳の御大の41本目の新作を早速観ようと有楽町の駅前に駆け込んだ。が、チケットは完売。残念無念。

イーストウッドとの出逢いは『荒野の用心棒』をテレビの洋画劇場で観た時からで、『荒鷲の要塞』『戦略大作戦』など度々TVの洋画劇場で活躍を目にしていた。小学4年の時に監督出演作『ガントレット』を正月の映画館で、初めて英語を話すイーストウッドの声を聞いた。共演のソンドラ・ロックと付き合っているという噂もこの時知った。

映画史に残る刑事と連続殺人犯に邂逅した

翌年、小学5年になった僕は遂に『ダーティー・ハリー』と出逢ってしまう。1978年4月23日「日曜洋画劇場」でのことだ。公開から6年遅れで、ハリー・キャラハンと“スコルピオ(さそり)”という映画史に残る刑事と連続殺人犯に邂逅した。

サンフランシスコ市警のハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)は自殺志願者の説得や凶悪犯の身代金受け渡しなど汚い(ダーティー)仕事を任されている。ホットドックを頬張りながら、44マグナムを両手で構えるスタイルは世界中で真似された。

映画の冒頭、連続殺人犯スコルピオが構えるライフルの銃口がスクリーンに広がる。高層ビルの屋上にあるプールで泳ぐ金髪美女の背中に穴が空き、沈んでいく。アメリカにはあんなにデカい個人プールが屋上にあるのかと驚いた。

現場捜査に現れるハリー・キャラハン。犯人が狙撃した場所を推察して、胸ポケットに挿したペンを空薬莢に差して拾い上げる仕草が面白い。ダーティーハリーと呼ばれているが、ハリーの服装は洗練されて実に洒落者なのだ。ツイードのジャケットにウールのベストを着込み、細身のウールスラックス。イーストウッドの着こなしも完璧だ。衣装デザイナーのグレン・ライトの仕事ぶりが見事だ。

スコルピオはサンフランシスコ市相手に身代金を要求する。金を払わないと、次に黒人か司教を殺すいう脅迫状に市長たちは震え上がる。そこで身代金を犯人に渡して逮捕しろという、汚れ役をハリーに任せる。

サンフランシスコという都市の闇をカメラに収めている

スコルピオと名乗る殺人犯はサンフランシスコという都市が生み出した様な男だ。ハリーが相棒チコと夜の街をスコルピオに金を渡すために彷徨する。夜の街に生きる住人達をまとめて逮捕したいと吐き捨てるハリー。監督のドン・シーゲルはイーストウッドが師匠と称える名匠だ。この名人監督はハリーとスコルピオの対決を巡ってサンフランシスコという都市の闇をカメラに収めている。

当時、サンフランシスコも巻き込んでの「ゾディアック事件」という無差別連続殺人事件がアメリカ全土を震撼させていた。脅迫状を送りつけ、警察を愚弄する不敵なゾディアックと名乗る劇場型愉快犯がスコルピオのモデルなのだ。『ダーティーハリー』はそんな未解決事件を解決してほしいという希望も込めてハリー・キャラハン刑事を登場させた。

デヴィッド・フィンチャー監督の『ゾディアック』はその事件を映画化したものだ。劇中、マーク・ラファロ扮する殺人課の刑事が『ダーティーハリー』の完成試写を観る場面がある。途中で映画を我慢できず、退出する場面に笑った。知り合いの客から「早く犯人が捕まるといいですね」と言われて、映画の結末を聞いたラファロ刑事は「違法捜査だ」とつぶやく。『ゾディアック』も大変良くできた面白い映画なので、ぜひ観てほしい。

この映画の発明はアンディ・ロビンソンが演じたサソリ野郎だ

スコルピオに翻弄されるハリーが彼の居所を突き止めて追い詰める場所が、アメリカンフットボールチームの49ersのカザールスタジアムだ。無人のスタジアムに照明が付いて、ハリーの44マグナムが炸裂する空撮を駆使した名場面が素晴らしい。

この映画の最大の発明はアンディ・ロビンソンが演じたサソリ野郎だ。追い詰められると泣いて命乞いをし、弁護士呼んでくれと嘆願する。ミランダ警告という、犯罪者の権利などダーティーなハリーには関係ない。

このサソリ野郎が傑作なのは、闇の殴り屋に金を払って、自分をボコボコに殴ってもらい、ハリーにやられたと不当逮捕をマスコミに訴えるという呆れる程の不届き千万な野郎ぶりだ。黒人の殴り屋が実に不気味だった。

「俺はやってない、俺だったら殺してる」というハリーは社会、警察からも孤立して追い込まれる。ドン・シーゲルとイーストウッドは何か面白い映画を作りたかっただけだというが、50年前の社会問題は未だ現在に続いている。コンプライアンスの今の時代にはハリーは完全にアウトだろうが…。

実際のゾディアックもスクールバスから降りてくる子ども達を襲うと予告したそうだ(実際には行われなかった)スコルピオはスクールバスをジャックして身代金と脱出用の飛行機を要求する。「もっともっと漕げよもっと漕げよ♪」と子ども達にボートの唄を歌わせるアンディのスコルピオの狂気に僕は戦慄した。TVの吹き替え版が本当に怖い。子ども達が泣き叫ぶ場面はものすごい。ドン・シーゲルとイーストウッドは自分達の得意とする西部劇で、このサソリ野郎を迎え撃った。ラストシーンでは埃まみれのイーストウッドの仁王立ちに痺れた。

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ドン・シーゲルが亡くなった翌年に、イーストウッドは『許されざる者』という西部劇でアカデミー作品賞をゲットする。エンドロールに「ドン・シーゲルに捧げる」というクレジットが美しいメロディーとともに流れた時はたまらない気持ちになった。ドン・シーゲルが亡くなって30年。弟子のイーストウッドは未だ映画を撮り続けている。

VIDEO SALON2021年12月号より転載