中・高・大と映画に明け暮れた日々。あの頃、作り手ではなかった自分がなぜそこまで映画に夢中になれたのか? 作り手になった今、その視点から忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に改めて向き合ってみる。
文●武 正晴
愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。最近の作品には『百円の恋』『リングサイド・ストーリー』、『銃』、『銃2020』、『ホテルローヤル』等がある。ABEMAと東映ビデオの共同制作による『アンダードッグ』が2020年11月27日より公開され、ABEMAプレミアムでも配信中。現在、NETFLIXでオリジナルシリーズ『全裸監督』シーズン2が配信中。
第85回 舞踏会の手帖
イラスト●死後くん
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原題: Un carnet de bal
製作年 :1937年
製作国:フランス
上映時間 :144分
アスペクト比 :スタンダード
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ
脚本:ジュリアン・デュヴィヴィエ/アンリ・ジャンソン/イヴ・ミランドほか
製作:ジャン・レヴィ=ストロース
撮影 :フィリップ・アゴスティーニ/ミシェル・ケルベ/ピエール・ルヴァン
編集 :アンドレ・ヴェルサン
音楽 :モーリス・ジョベール
出演 :マリー・ベル/モーリス・ベナール/フランソワーズ・ロゼー ほか
未亡人になったクリスチーヌが、20年前に16歳で初めて舞踏会に出た折、ダンス相手の男の名を書き記した手帖を見つける。もう一度人生を新しく出直すため、その手帖を頼りに彼らを訪ねてまわる旅にでるが、20年ぶりに会う面々と、彼女の中で美化された記憶が交錯する。
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3月17日、映画評論家の佐藤忠男さんが91歳の生涯を終えられた。お会いする機会はなかったが、その膨大な著作、映画解説は僕にとっての映画の先生であった。
特に幼い頃から見始めたNHK教育テレビ「世界名画劇場」での解説を忘れない。数々のクラッシックの名作を僕達に紹介してくれた。
学校では教えてもらえなかった人生の機微を学んだ
『会議は踊る』『巴里の屋根の下』『カサブランカ』『地上より永遠に』『灰とダイヤモンド』『未完成交響楽』『情婦マノン』『アパートの鍵貸します』『ライムライト』『ヘッドライト』『独裁者』『かくも長き不在』…、記憶の中で覚えている映画解説の数々。小、中、高と学校では教えてもらえなかった人生の機微を学んだ。CMなし、吹き替えなしの字幕放送が貴重だった。名画劇場の最初の記憶は『舞踏会の手帖』だ。小学4年の夏休みだった。僕は大学生になって、アテネ・フランセのスクリーン上映を観に行った。
フランスの古典映画のビックファイブのひとりジュリアン・デュヴィヴィエ監督作。イタリア、コモ湖畔の古城に住むクリスチーヌ(マリー・ベル)は16歳で古城の主人に嫁ぎ20年が過ぎた。年上の夫を失い、未亡人となったクリスチーヌは失われた20年の青春を振り返る。孤独な古城の生活には恋も友人も得られなかった。夫の遺品整理の中、自分の一冊の手帖に気づく。そこには1919年6月18日、16歳の初めての舞踏会で、自分に恋の言葉を投げかけてくれた10人の男達の名前が記してあった。
クリスチーヌがかつての舞踏会を思い出す場面が素晴らしい
36歳のクリスチーヌが青春を取り戻し、これからの新しい生活に期待して、彼らを訪ねる旅に出る。執事の調査で10人のうちふたりは亡くなっていることが分かる。10人の中で最も会いたい初恋の相手ジェラールの住所だけが不明だった。クリスチーヌがかつての舞踏会を思い出す場面が素晴らしい。舞踏会の「思い出のワルツ」が聞こえ始め、クリスチーヌの寝室の壁に踊る男女の影が幻灯機のように映し出される。第二次大戦の戦場に散った伝説の音楽家、モーリス・ジョベールのワルツが耳から離れない。
僕は人を訪ねていくというシンプルだけどサスペンスを生むプロットが大好きだ。太宰 治の未完の遺作『グッド・バイ』は10人の愛人に別れを告げにいくという傑作なプロットもこの映画の影響か。
未亡人クリスチーヌは手帖に明記された順番に男達を訪ねていく。クリスチーヌの婚約を知って自殺した若者がいた。息子の死から20年の時間が止まっている狂気の母親役フランスワーズ・ロゼが物凄い。
かつて弁護士志望の文学青年はキャバレーの支配人となり暗黒街の顔役になっていた。青春と恋を失った男が20年ぶりにヴェルレーヌの詩を口ずさむ切なさ。映画嫌いのフランス演劇界の重鎮ルイ・ジュベとマリー・ベルの名演技が貴重で痺れた。
あの舞踏会のピアニストは年老いて、児童聖歌隊を指導する神父となっている。歳の差を感じてクリスチーヌの恋に破れ、自死しようとしたことを吐露する。
詩人を志していた青年はアルプスの山岳ガイドになっていた。昔を語り合い、彼との未来を想像するクリスチーヌ。しかし彼は彼女ではなく、山を選ぶ。南フランスの海岸の田舎町では、政治家志望だった男は町長を務めていた。町長の結婚式の日、女中を奥さんにした彼と太っちょの奥さんとのやりとりが微笑ましい。
彼女を思い出せない男も登場する。マルセイユではかつての医学生が闇医者となって堕胎手術に手を染めている。クリスチーヌを患者だと思い診察しようとする場面に胸が痛む。彼女の生まれ故郷では、陽気な理髪師役にフランスの至宝フェルナンデスが登場する。20年ぶりに舞踏会に理髪師とクリスチーヌは向かう。
85年前に発明された創作の数々の工夫に感心した
35年ぶりにこの映画を見直して85年前に発明された創作の数々の工夫に感心した。
彼女が訪れる場所がフランスの多種多様の場所が選択されていて飽きさせない。そこに毎回フランスを代表する名優達が登場する。各シーンで毎度撮影のアプローチも変えていく手法にも感心した。特にマルセイユの闇医者の診療所シーンではカメラを傾け、終始安定しないアングルを生み出す。効果音も工事音などで都会が精神病棟のようなあり様を表現している。各シーンのルックの差別化、コントラストを生みだす工夫は現代の配信ドラマでも重要視される作法であり、勉強になる。
過去の記憶を辿る旅は新たな発見と喪失を伴う危険な旅だ
クリスチーヌは16歳の頃の自分と出会う旅でもあったのか。僕も20年ほど前、自分の生まれ育った場所を30年ぶりに訪ねてみたことがある。過去の記憶を辿る旅は新たな発見と喪失を伴う危険な旅であることを知った。クリスチーヌの16歳のかけがえのない思い出は、もう今は存在しないことに気づく。あの素敵な豪華な舞踏会の会場は今や安手の会場と成り果てていた。
イタリアに戻った彼女の元に、行方の分からなかった初恋のジェラールの居場所が意外な場所であることを知らされる。僕はこの映画のラストのアイデアが素晴らしく、大好きで、救われる。是非ご覧になってほしい。1937年当時、ヨーロッパが戦争に突入していく不安の中、未来を若者に託すラストシーンが素晴らしいのだ。この映画に出演した俳優でレジスタンスに参加して命を落とした若者もいることを知り胸が熱くなる。
東京に出てきたばかりの頃、今はなき銀座並木座で黒澤 明特集を観ては佐藤忠男さんの著作「黒澤 明の世界」を、文芸地下で大島 渚特集を観ては「大島 渚の世界」を貪り読んだ。明快な解説と目付けの深さに鑑賞力が豊かになった。
僕が最後に佐藤先生をお見かけしたのは、3年前の東京国際映画祭の時だった。いつものように奥様とご一緒で、会場外のベンチに佇まれていた姿を想い出す。佐藤忠男先生の講義を受ける幸運に恵まれた映画学校の生徒達が羨ましく、講義を受けにいかなかった自分自信を残念に思う。
●VIDEO SALON 2022年5月号より転載