vol.1「空にあこがれて… 挑戦と挫折の日々」
文●野口克也(HEXaMedia)

東京都生まれ。空撮専門会社「株式会社ヘキサメディア」代表。柴田三雄氏への師事の後、ヘリコプター、モーターパラグライダー、無線操縦の小型ヘリなど、空撮に関わるすべての写真、映像を区別なく撮影。テレビ東京系地上波『空から日本を見てみよう」、BS JAPAN『空から日本を見てみようPlus』などTV番組やCM等の空撮を多数手がける。写真集に夜景の空撮写真集「発光都市TOKYO」(三才ブックス)など。

空を飛びたい
空から撮りたい

 空を飛び交うヘリコプターを見上げたことはありますか? 旅客飛行機と地上の間を縫うように飛ぶヘリコプター。救難や要人等を運ぶ自衛隊機、人や物資を運ぶ輸送機、そして報道機。僕は様々な機体の中でも報道機ではない「空撮用ヘリコプター」に乗って空から映像や写真を撮影しています。
 空を飛んでみたい…男の子なら誰でも持つ夢ではないでしょうか。高校で写真の勉強を始め、写真専門学校へ通った後、僕は小学生の頃からの夢を実現するべく、20代前半からバイク便や夜間のトラック配送などで資金を貯め、自家用のヘリコプターの免許を取得に挑戦しました。ヘリコプターの持つ自由な航路、救助などで人の役に立つ、それでいてどこか泥臭い回転翼が好きだったのです。
 実は今に至るまで挑戦と挫折の連続でした。取ったのが事業用ではなく自家用ライセンスだったこととバブル崩壊後の航空業界のパイロット就職難という時代でプロパイロットへの道は諦めざるを得ませんでした。これが最初の挫折。結果、郊外の邸宅の写真を空から勝手に撮影して販売する会社のスチル写真のカメラマン兼パイロットとして日本全国を数年飛び回りました。その後、家庭の事情で離職、離婚。また挫折です。
 頭のモヤモヤが取れないまま、カメラを持ってネパール、エベレストの麓までトレッキングの旅に出ました。そこは標高5500mというヘリコプターですら到達したことのない高度。薄い空気の中この目で見たのは限りなく黒に近い蒼空と見渡す限りの8000m峰。それまで自分が見てきたものとはかけ離れたスケール感の大地でした。そんな被写体に直に接し、写真を撮り続けた僕の胸の中は改めて「写真を撮りたい」という想いでいっぱいになったのです。
 その帰り道、ぶらりと立ち寄ったバンコクの書店で最初に目に入ってきたものはフランスの有名な航空写真家ヤン・アルテュス・ベルトラン氏の『Earth from above』という世界中の絶景を集めた航空写真集。鮮やかな空からの風景。これはもう航空写真をとことんやれという何かのお告げでしかない! と頭の中を電気が走ったのは言うまでもありません。そして帰国後、「航空写真家」として改めて名乗りを上げたのでした。
 数年後、ヘリコプターによる安価な空撮映像の需要が増え、次第に撮影の軸足が写真から映像に移るようになった頃、空撮専門のヘリコプター航空会社「ヘリテック・エアロサービス」を東京ヘリポートに設立しました。そこで航空写真、映像の空撮をしながら航空会社の共同経営をすることとなります。それも未知の挑戦でした。

空撮バラエティ番組
「空から日本を見てみよう」

 空撮をしていると、「空から見ると奇妙なモノ」を度々見つけます。元々好奇心旺盛なので、発見したものをチルトシフトレンズで撮影したミニチュア的空撮写真集を自費出版したり、江ノ電をミニチュア的に空撮した写真集が出版されたりしていたら、突然驚くようなオファーがやってきました。
 テレビ東京(当時)の名物プロデューサー永井宏明氏から、「空から変なモノを発見する空撮バラエティ番組」の撮影オファーがきたのです。毎週木曜日の20時からという時間帯で空撮メインの1時間番組。それも日本全域にわたる空撮。曇りや雨の日を避けて、必要な撮れ高をキープしなくてはならないハードな挑戦。それからはもう毎日天気図とにらめっこ。天気の良い日は必ず撮影で飛び回る毎日となりました。
 これは当時の裏話なのですが、その頃使用していた機体のスタビライザーは機体の横に装着するタイプでした。ですが、番組の基本は前進しながらの空撮。つまり、ほぼすべての直進前進撮影は、ヘリコプターを真横に飛ばし続けて撮影していたのです。横っ飛びなんて、パイロットとカメラマンが撮影方向を見やすいというメリット以外はデメリットだらけ! 速度が出せない、横風に弱い、同乗しているディレクターが酔いやすい、右方向への横ドリーカットが撮れない、燃料が偏る…などなど、今思い出しても苦笑します。
 北海道から沖縄まで、ひたすら真横に飛んで撮影していました。地上からその様子を見ても、おそらく相当怪しかったはず…(笑)。番組はテレビ東京の報道機のヘリコプターと併撮でしたが、地上波放映の72本の9割程度は僕の撮影です。その後、BS JAPANに移行してからは100%の空撮を請け負っています。

ドローンデビュー
マルチコプターによる撮影

 番組の地上波放映が一旦終了した頃。株主と経営方針の違いから自分達が設立した会社から離れ、再び個人事業主となりました。これまでのようなヘリコプター実機を駆使しての空撮は、格段にしにくくなりました。またも大きな挫折。翼をもがれた空撮カメラマンは、さすがに途方に暮れました。
 失意の中、けれどもそれを機に今でいう「ドローン」に挑戦することになります。航空会社経営時から気になっていたものの手を出せなかった、当時世の中に出始めたドローンの一種、「マルチコプター」なるものでの空撮を開始します。翼は小さくともカメラは飛ばせる。小さな翼だからこそ、撮れるものがある! そう信じて。
 まだ当時はまともな機体が日本では販売されておらず、ドイツや中国から個人輸入でパーツを買い集め、ろくなマニュアルもない中、夜な夜な機体を組み立てました。そして当時のあまり性能の良くないジンバルを装着して、空撮を再開。今でこそ20万円もあればPhantomなど高性能なジンバル付きドローンを購入できますが、当時は周りでマルチコプターを飛ばす人はほぼ皆無でした。
 初めてのマルチコプターで苦戦しながら経験を積んでいると、BS Japanで番組『空から日本を見てみよう』が、続編として再開されるという話がやってきました。空撮をノウハウのわかっている僕に任せてくれるというありがたい話です。そこからヘリコプター運航を引き受けてもらえる会社を探し、空撮機材を選定し、ヘリコプターからの空撮をスタビライザーのオペレーターとして再開。
 同時に当時やっと「使える」映像が撮れるようになってきたマルチコプターとブラシレスジンバルでの空撮のサービスを並行して始めました。まだヘリコプター以外の被写体に飛びながら近接する空撮が珍しかったこともあって、様々な場所での撮影を行いました。
 ここ2年ほどでドローンという言葉が一般に認知されてからはドローンでの空撮・運用をサービスする株式会社ヘキサメディアを設立し、航空法の改正などにも細かく対応しながら現在に至ります。
 空撮を始めてから20年、航空写真家を名乗ってから15年、がむしゃらに挫折と挑戦の日々を送っています。次号からは、ヘリ空撮の裏話やドローン空撮で役立つ知識などを紹介していきましょう。
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▲ヘリ空撮用のスタビライザーと筆者。
●この連載はビデオSALON2016年2月号より転載したものです。
http://www.genkosha.co.jp/vs/backnumber/1542.html
●連載をまとめて読む
http://www.genkosha.com/vs/rensai/sorakara/
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★○ 改正航空法概要ポスター
http://www.mlit.go.jp/common/001110369.pdf
★ 「無人航空機(ドローン・ラジコン機等)の飛行ルール」国交省HP
http://www.mlit.go.jp/koku/koku_tk10_000003.html
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