北ドイツの農場を舞台に、1910年代・1940年代・1980年代・現代という4つの異なる時代に生きる4人の少女たちが、同じ土地で体験する不可解な出来事を描く映画『落下音』。ドイツ出身の新鋭マーシャ・シリンスキ監督が、監督・脚本を務め第78回カンヌ国際映画祭にて審査員賞を受賞した注目作だ。4つの時代を行き来しながら、土地の記憶を覗き見るような映像表現がされる本作の撮影監督のファビアン・ガンパー氏にインタビューを行った。

ファビアン・ガンパー

撮影監督
ベルリン在住。スイス生まれ。チューリッヒ芸術大学で映画の学士号を取得後、さまざまな長編映画やテレビ映画でセカンドカメラアシスタントとして活動。その後、バーデン=ヴュルテンベルク映画大学で撮影を学び、撮影監督として、マーシャ・シリンスキ監督の前作『Die Tochter(Dark Blue Girl)』に参加。

過去を思い出す時、私たちの頭に浮かぶ映像の質感を求めて

――今回の作品は、物語の構成はもちろんのこと、映像表現としてもさまざまな試みが行われている作品だと思います。撮影にあたり、監督とはどのようなコミュニケーションがあったのでしょうか?

 かなり早い段階から監督とは話し合っていて、この映画の語りの構造としてさまざまなものが連想として紡がれていくことから、独自の美学が必要だということは初期の段階から議論していました。観客に正しく読み取ってもらうためにはどうすればいいか。その中で主たる目標としたのは、記憶がそもそもどのような感触の映像なのかを探ることでした。

 そしてある程度抽象化するという方向に落ち着き、少しベールがかかったような映像を目指しました。それは今まさに自分の目で見ている出来事や物事ではなく、目を閉じて過去を思い出した時に浮かぶ映像とはどのようなものかを考え、それを技術的にどう実現していくかという方向で進めていきました。

©︎ Fabian Gamper – Studio Zentral

――そのようなベールがかかった、あるいは記憶を思い出した時の映像を表現するにあたって、どのようなカメラやレンズを使用されましたか?

 撮影にあたり、さまざまな技術をまず試すところから始めました。最初はカメラの露出を長めにとって、動きをあえてブレさせるということを試みましたが、それはあまり気に入るものではありませんでした。

 次に試したのがピンホールカメラです。カメラにレンズではなく、センサーの前に小さな穴がある状態にする、言ってみれば写真技術の原点に返るような試みです。やってみると、全然シャープではなく、フォーカスもはっきりしていない感じがとても良かったです。ただ、映画全体をこの手法で撮ってしまうにはブレすぎということで、一部のシーンで採用することにしました。

 また、古いレンズのフロントエレメントを外して逆向きに付けてみるということも試しました。そうすると歪んだブレになり、特定の場面にはなかなか良いということになったのですが、こちらも全編それというわけにはいきませんでした。さらに、ビンテージルックが特徴のCookeのシネレンズも試してみました。これを最終的に通常の場面に使用したりしながら、さまざまな手法を組み合わせて全体的にやや抽象的な質感で統一するという形に、落ち着いていきました。

――具体的に、ピンホールカメラはどういった場面で効果的に使用されていたんでしょうか?

 ピンホールカメラを使用した一番長いシーケンスは最初の方にある、現代の場面で母親がふたりの娘を連れて川遊びに行く場面です。後ろから家族三人を捉えて、カメラが近寄っていき、まるで三人を観察するようなカメラワークのシーンがあります。この場面は、ずっとピンホールカメラを使っています。

 また、後ろからピンホールカメラをクレーンに付けて、上空からひとりの登場人物を捉え、だんだん人物から離れていって建物の方に視線が向かい、最終的には太陽の方に向いて、太陽の光線が散らばるような場面があるのですが、そこもピンホールカメラがとてもうまく機能しています。

©︎ Fabian Gamper – Studio Zentral

撮り方ではなく、“光源”で時代を表現していく

――今回は4つの時代が作中に出てきますが、撮影するにあたって、明確に撮り方の変化などはあったのでしょうか?

 そのこともかなり初期段階で話し合って決めていました。複数の時代があるからといって、時代ごとに異なる技術を当てはめるということはしていません。通常、複数の時代を描く映画では、現代がメインでフラッシュバックとして過去を思い出す時に、時代の違いを明確にするために異なる技術を使うことがよくあります。しかしこの映画では、現代という時間軸もありますが、それがメインというわけではなく、4つの時代すべてが同じだけ大切な作品です。

 しかも、私たちはとにかく「記憶」をこの映画の中心に置いていますから、たとえ現代の場面があったとしても、それがさらに記憶として、100年後、1000年後に誰かが思い出す記憶となるかもしれない。全てが記憶なので、どの時代の記憶も混じり合う。そういった考えのもと全ての時代を同じアプローチで撮っています。

 各時代の特徴、つまりこれが古い時代だということをどうやって表現するかというと、それは他のさまざまな要素で示唆しています。衣装や登場人物の数、あるいは畑仕事でどういう道具を使っているか、現代であればスマートフォンを使っているかどうかといったところから時代の違いはおのずとと分かるようになっているので、カメラの映像技術で違いを出す必要はありませんでした。

 さらに、夜の場面については、それぞれの時代の光源をきちんと使っています。例えば1910年代であれば、ろうそくの明かりやオイルランプの明かりを使っていて、1980年代になれば、蛍光灯のやや高い位置からの照明を使っています。また、現代は古い建物を自分たちでリノベーション中という設定なので、とりあえず懐中電灯で照らすような明かりを使っています。光源に関してはその時代にふさわしいものを使うことで、どの時代かが分かるように設計していきました。

©︎ Fabian Gamper – Studio Zentral

カメラの視点がもうひとりの登場人物となるように

――4つの時代がとてもシームレスに移行していく作品ですが、脚本の段階で次のシーンや次のカットがどのくらい明確に決まっていたのか、また構成や編集が現場でどこまで想定されていたのかについて教えてください。

 全体の構成はかなり最初からはっきりしていて、脚本の段階でも明確に決まっていました。例えば、どういう音がここで鳴るのか、どこでこの時代から別の時代へ飛ぶのか、時代が移るならばソフトな感じで移行するのかばっさりカットして次の場面になるのかということは、かなり早い段階で決まっていました。

 この作品ではカメラがまるでもうひとりの登場人物かのように、幽霊のような感じで常にその場にいるものとして登場しています。そういう意味で、時を超えることができる存在がカメラである、という扱い方をしています。

 ただ、実際に撮影した素材を最終的には編集で入れ替えたり、場面の構成を変えたりということはもちろんありました。そもそもこの映画は、明確な主役がいて話が展開していく作り方ではなく、さまざまな物語があって、それらが互いに関係し合っている作品です。遠い過去に起きたことが現在に何らかの形で影響していたり、あるいはこの映画で大事なテーマである「世代を超えたトラウマ」がどのように継承されていくかということを扱っています。

 けれど、そのテーマとなるトラウマも、これがトラウマだと明確な形で描くものではなく、あくまで記憶が何らかの形で繋がっているということ、そしてそれを観客が感じるということをとても大切にしています。それは撮影においても大切にした部分です。この非常にクリアなコンセプトのもと、撮影した映像素材を最終的に編集で調整していきました。

――おっしゃっていただいた幽霊のような浮遊するカメラワークが時を超える装置として、この作品ではとても機能していると思います。このようなカメラワークはどのように撮影されたのでしょうか。

 最初にいろいろテストをしている段階で、どのように撮ればいいかについてもかなりさまざまなことを考えていました。ただ、早い段階でステディカムを使うのが最も自由度が高く、自由に動けるということで多くのシーンで採用することにしました。

 けれど、特定の場面においてはステディカムの技術的な限界があり、特に低いポジションやハイポジションになるとステディカムでは厳しい場面がありました。そういった場面では、ジンバルも一部使用したり、少し高さがほしい時は非常に古典的なクレーンを使用したりと併用しながら撮影していきました。

©︎ Fabian Gamper – Studio Zentral

――最後に、撮影されていて最も印象に残っている、あるいは観客にぜひ観ていただきたいとご自身が感じているシーンについて教えていただけたらと思います。

 自分が印象に残っている場面は、ものすごく強いインパクトがあるシーンではなく、とてもシンプルなシーンで、現代の時間軸で、主人公のレンカという少女が隣に住むカヤという女の子と仲良くなるという場面です。

 カヤはお母さんを亡くしていて、レンカと仲良くなりご飯を食べに来ます。そこで「泊まっていいですか」とやや強引な感じでお泊まりをすることになるんですね。夜、リノベーション中の家でかき集めたような寝床を作って寝る場面があり、そこでカヤがレンカの母であるクリスタに「子守歌を歌ってくれないか」とお願いするんです。子守歌を歌ってもらうような年齢ではないティーンエイジャーの女の子が、でもお母さんが亡くなっているということを考えると、そのお願いにはとても深い意味があります。クリスタは、少し動揺しながらも「歌はあまり上手じゃないけれど」と言いながら歌ってあげます。そしてそれを娘のレンカがどこかヤキモチした嫉妬の混じった眼差しで眺めている。

 特に大きなカメラワークがあるシーンではないですけれど、脚本を読んだ段階からずっと心に残っていて、実際の映像でもとても印象的な場面になりました。ぜひ、作品の中で観ていただけたらと思います。

映画『落下音』

©︎ Fabian Gamper – Studio Zentral

4月3日(金)新宿ピカデリーほか 全国ロードショー
配給:NOROSHI ギャガ

<STORY>
1910年代、アルマは同じ村で、自分と同じ名を持つ幼くして死んだ少女の気配に気づく。1940年代、戦争の傷跡が残る中、エリカは片足を失った叔父への抑えきれない欲望に気づき、自らの得体のしれない影に戸惑う。1980年代、アンゲリカは常に肌にまとわりつく“何か”の視線に怯えていた。そして現代、家族と共に移り住んだレンカは、自分の存在が消えてしまいそうな孤独感に徐々に侵食されていく。百年の時を経て響き合う彼女たちの<不安>が、この北ドイツの農場を静かに覆いつくしていく――

監督・脚本:マーシャ・シリンスキ
出演:ハンナ・ヘクト、レア・ドリンダ、レーナ・ウルツェンドフスキー、レーニ・ガイゼラー
英題:SOUND OF FALLING 
2025年|ドイツ|カラー|ビスタ|5.1ch|155分|
字幕翻訳:吉川美奈子|PG-12



■公式HPhttps://gaga.ne.jp/rakkaon_NOROSHI/

■予告映像