パナソニックDVX100の登場から10年を記念して都内でイベントがあったのですが、
残念ながら、別件があっていけませんでした。
そのお誘いのメールがあったときに「え、あれからもう10年も経つのか」という感慨とともに
その後の出来事を振り返ってみると、
いかにDVX100がエポックメイキングだったかがよくわかります。


個人的にDVX100は本当に大好きなカメラでした。
そんな思い入れもあって、DVX100が出た当時、
ビデオサロンでは別冊付録の小冊子を作りました。
付録をつけたから販売部数が伸びたというような効果はあまりなかった記憶があるのですが、
後に撮影監督の高間さんが、あれはよくまとまっていて、取説と一緒に撮影現場にもっていったよ、とおっしゃっていて嬉しかったのを覚えています。
(つまり一部の人に受けたわけですね)
こんな感じの冊子でした。


DVX100がエポックメイキングだったところはいくつかありますが、
突き詰めると、シネライクガンマと24pでしょう。
当時、このクラスのカメラでガンマカーブをいじるという発想はまったくありませんでした。
そもそもガンマカーブってかえちゃっていいの?というのが当時の大半の反応ではなかったでしょうか?
もう一つが24p。それ以前はビデオの生っぽさを抑えるために、シャッタースピードを1/30にしてコマ落とし感を出すなどという今からすると笑い話のような話なのですが、岩井俊二監督もそうやっていたというくらい、切実で涙ぐましい工夫がありました。
ですから24pというのは待ち望んだ機能だったのです。
ただ、両方ともビデオとしては邪道と思われていて、
あれがでたときは批判的な人がかなりいました。
しかし、
シネライクガンマと24pはある層に猛烈に支持され、ソニーもキヤノンも追随し、
いまや当たり前の機能になっています。
だから今のデジタルシネマカメラの礎を築いたのがDVX100だといっても
過言ではないでしょう。
もうひとつ地味ながら画期的な部分がボディバランスです。
当時のこのクラスのカメラは細長くて大半がレンズがある前が重いスタイルだったのに対して、
DVX100はややずんぐりして、グリップ部をできるだけ前にもってきて、
前後バランスの中心になるようにした。
このグリップ位置もその後スタンダードになります。
ハンドヘルドカメラに残した功績も大きいわけです。
イベントに行けなかったので、その功績を振り返ってみました。
パナソニックにはGH3ベースでいいので、
画期的なデジタルシネマカメラを作ってほしいものです。