中・高・大と映画に明け暮れた日々。
あの頃、作り手ではなかった自分が
なぜそこまで映画に夢中になれたのか?
作り手になった今、その視点から
忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に
改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイ・ミーツ・プサン』にて監督デビュー。最新作『百円の恋』では、第27回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門作品賞をはじめ、国内外で数々の映画賞を受賞。

第17回『炎のランナー』
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イラスト●死後くん
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1924年のパリ五輪。ユダヤの血を引くハロルド・エイブラハムスと、スコットランドの宣教師を父に持つエリック・リデル。人種・宗教の壁を越えて夢を追う青年達の実話をモチーフに描く。81年アカデミー賞作品賞受賞。
製作年    1981年(1982年日本公開)
製作国    イギリス
上映時間   124分
アスペクト比 ビスタ
監督     ヒュー・ハドソン
脚本     コリン・ウェランド
撮影     デヴィッド・ワトキン
編集     テリー・ローリングス
音楽     ヴァンゲリス
製作総指揮  ジェイク・エバーツ
       ドディ・ファイド
出演     ベン・クロス
       イアン・チャールソン
       イアン・ホルム他
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※この連載は2016年9月号に掲載した内容を転載しています。



 8月5日からブラジルでオリンピックが始まるらしい。僕が最後に見たオリンピックは1996年アトランタ大会だった。聖火台のモハメド・アリの雄姿に心が震えた。日本サッカーの「マイアミの奇跡」も深夜のテレビの前で歓声を挙げた。2000年のシドニーは大阪で撮影していた。2004年のアテネは広島の山奥で、2008年の北京はソウルで撮影だった。前回のロンドン大会はモンゴルで夏を過ごした。リハーサル中にテレビの前で柔道競技に夢中になっているモンゴル人スタッフに「俺はモンゴルにオリンピックを見に来たんじゃない、撮影に来たんだ」と日本語で悲鳴を上げたところで全く無駄だったことを思い出した。

映画館に駆け込んでみた『炎のランナー』

 1924年オリンピックパリ大会が舞台の映画『炎のランナー』を観たのは僕が中学3年生の時だった。ウオーレン・ビューティの渾身作『レッズ』を抑えて1981年度のアカデミー作品賞を獲得した英国作品を待ち望んでいた。『レッズ』を一緒に観に行ってた友人と名古屋の駅前に駆け込んだ。
 英国の100m走金メダリスト、ハロルド・エイブラハムスと400m走金メダリスト、エリック・リデル等、胸に希望を抱き、踵に翼を持った若者ランナー達の物語だ。映画のオープニング、1924年のイギリスケント州の海岸を走る裸足のランナー達の姿が忘れられない。
 アカデミー作曲賞を獲得したギリシャ人作曲家ヴァンゲリスの名曲に載せ、荒々しい波間の海岸線を力強く、険しく、喜びに満ち溢れ、走るランナー達。ランナー達を見送る犬の散歩の老人と少年。ランナーめがけて駆け出す犬のタイミングが凄い。絵画のようなオープニングショットが素晴らしく、何度でも観てしまう。

ケンブリッジとスコットランドの両雄

 人類史上初の世界大戦で、あまりにも多くの人命が戦争によって絶たれてしまった1919年のケンブリッジ大学の入学式から物語が始まる。ユダヤ人のハロルドは友人モンタギューに、偏見を持つ人々をひれ伏せるために走るんだと語り、陸上競技にのめり込む。ハードルのアンドリュー、1マイル走のヘンリー、障害走のモンタギューと共に「ケンブリッジの4人組」が英国陸上界を席巻する。
 スコットランドでは宣教師のラグビー快速ウィングのエリック・リデルが神から与えられた自らの才能への恩恵を布教活動と共に陸上競技で神に勝利を捧げていた。1923年の競技会で両雄が対決。エリックに敗北したハロルドはプロコーチのサム・ムサビーニと共に世界一を目指す。ムサビーニ役のイアン・ホルムはテリー・ギリアム監督の『バンデッドQ』でおかしげなナポレオンをやっていたので知った顔だった。シリア系英国人のムサビーニとユダヤ系ハロルドの二人三脚ぶりが胸を打つ。

いよいよオリンピックへ

 「ケンブリッジの4人組」とエリック・リデルはオリンピックパリ大会の英国代表に選ばれる。ところが、国を挙げてのメダル争いの中、100m走予選が日曜日(安息日)と重なってしまったためエリックは棄権することに。国王への忠誠より自らの神への信仰への尊厳を選んだエリックは専門外の400m走出場を決意する。
 ハロルドはライバルのアメリカ勢に200m走で敗北し、100m走に勝負を賭ける。ライバルのアメリカ人ランナー役に『ヤング・ゼネレーション』の自転車狂のデニス・クリストファーと『ミッドナイト・エクスプレス』のヘロイン密輸青年役のブラッド・デイヴィスが出演していたのが嬉しかった。
 およそ10秒の100m走と47秒の400m走。わずか1分にも満たない時間ではあるが、偏見を打ち砕くために勝利を目指し走るハロルドと神への信仰のために走るエリックの姿は永遠の時を刻む。国家のために走るのではなく自らの尊厳のために走る2人の勝利の姿に勇気付けられた。祝福する仲間達、家族達の姿が素敵だ。
 会場で試合を観ることを許されずホテルの一室からユニオンジャックが競技場のセンターポールに「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン※」の曲と共に掲げられるのを見て感極まるムサビーニ。イアン・ホルムがチャーミングな名演を魅せてくれる。イアンはその年のカンヌ国際映画祭で助演男優賞を受賞した。
 エリックは宣教師として中国に渡り1943年日本軍に抑留され、1945年収容所で病死する。1978年のハロルドの葬儀でこの映画の物語は終わる。エンデイングはオープニングタイトルカットと同じあの海岸線を走る裸足のランナー達の姿が名曲と共に再びスクリーンに映し出され幕となる。

今だに世界は偏見と戦火に満ちているが…

 2つの大戦によってオリンピックは3度開催を中止している。そのうちの1つに東京も含まれている。今だに世界は偏見と戦火に満ちているが、オリンピックが平和の祭典であり続けることを切に願いたい。僕達が『炎のランナー』を観た2年後のロサンゼルス大会はソビエトを中心とする東ヨーロッパ諸国がモスクワ大会の報復として参加ボイコットを行なった。この大会からオリンピックのショウビジネス化が始まり現在に至る。ナチス政権の国策に利用された1936年のベルリンオリンピックの映画も間もなく公開される。今夏のオリンピックも撮影のため、見ることができそうもない。参加するすべての競技者の健闘を願う。
 『炎のランナー』を観終わった僕と友人は、名古屋駅前の横断歩道を雨の中を駆け出して渡っていた。なぜだか無性に走りだしたくなったのだ。今アメリカでスポーツライターをやっているという友人はあの時のことを今も覚えているだろうか。書店で高校野球の名将についてのルポルタージュを手に取った。著作者名にその友人の名があったからだ。書店でその本を読みながら、僕は34年前の雨の横断歩道の信号が赤から青に変わった瞬間を思い出していた。

 

●この記事はビデオSALON2016年9月号より転載
http://www.genkosha.co.jp/vs/backnumber/1593.html