中・高・大と映画に明け暮れた日々。
あの頃、作り手ではなかった自分が
なぜそこまで映画に夢中になれたのか?
作り手になった今、その視点から
忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に
改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。最近の作品には『百円の恋』『リングサイド・ストーリー』、『嘘八百』がある。『銃』が公開中。最新作『きばいやんせ! 私』は3月9日より公開開始予定。

第45回『暗殺の森』

イラスト●死後くん

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幼少期の性的トラウマを抱える青年、マルチェロは哲学講師となり、決して異端児になるまいとファシズムに染まる母国の体制にも従順であり続けた。ブルジョアの家庭のジュリアと結婚し平穏な日々を過ごすが、党本部からパリに亡命したかつての恩師の監視を命じられるのだが…。

原Il conformista
製作年 1970年
製作国 イタリア・フランス・西ドイツ
上映時間 115分
アスペクト比 スタンダード
監督・脚本 ベルナルド・ ベルトルッチ
原作 アルベルト・モラヴィア
製作 ジョヴァンニ・ベルトルッチ
撮影 ヴィットリオ・ストラーロ
編集 フランコ・アルカッリ
音楽 ジョルジュ・ドルリュー
出演 ジャン=ルイ・トランティニャン
ステファニア・サンドレッリ
ドミニク・サンダ
エンツォ・タラシオ
ガストーネ・モスキン他
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11月26日、ベルナルド・ベルトルッチ監督が亡くなった。映画史において、最も重要な監督の1人として未来永劫語られるであろうマエストロの死に、この監督と同時代に生きられた幸福を改めて噛み締めた。

『1900年』は幾度も繰り返し観ている作品だが、僕が最初にベルトルッチ監督作品に出逢ったは『暗殺の森』だった。19歳の僕はテアトル新宿でのリバイバル上映での幸運を掴んだ。衝撃で溜息しか出なかった。

翌日から『殺し』『革命前夜』『暗殺のオペラ』『ラストタンゴ・イン・パリ』と観まくった。そして『1900年』と出逢い、程なく『ラストエンペラー』がやって来た。30余年を経て、今年のデジタルリマスター上映にも恵比寿まで足を運んだ。

ベルトルッチとストラーロに 打ちのめされ続けている

詩人ベルトルッチは自身の思考、哲学、歴史観を映画という媒体で視覚化し続けた。盟友のカメラマン、ヴィットリオ・ストラーロは今何を想うのだろう。2人の出逢いは『革命前夜』の現場だったそうだ。ストラーロは当時は助監督だった。ベルトルッチ22歳、ストラーロ23歳。最初のタッグは『暗殺のオペラ』。照明が哲学であることを世に知らしめた。ストラーロは光をスクリーンの上に書いてみせた。そして『暗殺の森』だ。27歳のマエストロと28歳の光の哲学者の創作物に、僕はこの30余年打ちのめされ続けている。

舞台はムッソリーニが 支配する大戦前のイタリア

1938年、第二次世界大戦目前の黒シャツ隊を率いる統領(ドゥーチェ)ムッソリーニが支配するファッショ政権が支配するローマ。哲学講師のマルチェロがファシスト党の一員になるところから物語が始まる。

反ファシズム運動をパリで展開する恩師ルカ・クアドリ教授を監視して、身辺調査する任務を与えられる。本作の原題は『Il conformista(ファシズムへの)同調者』。マルチェロ役にはジャン=ルイ・トランティニャン。僕はルイ・マルの『男と女』で知った顔だった。この煮え切らないファシスト、マルチェロを実に見事に演じている。

彼のフィアンセ、ジュリア役にステファニア・サンドレッリ。『1900年』で演じたプロレタリアートの女教師とは真逆のブルジョアジー役のコントラストに驚く。

マルチェロが訪れるファシスト党本部、ジュリアの家に向かう道中、ジュリアの部屋、出発する車と路上を舞う枯葉…1つのシークエンス、ワンカット、ワンカットがベルトルッチ監督の詩だ。

ストラーロによる光と色彩の哲学で作り上げた画面として、息をつく間もなくスクリーンに投影される。残念ながら僕にはこれらの映像を言葉や文字で表現できる能力はないので、ぜひ観て欲しい。

19歳のドミニク・サンダの 貫禄と色気には驚愕

パリに向かう列車内、官能的なマルチェロとジュリアのシークエンスに息を呑んだ。そしてパリだ。デカダンスに包まれた色調の極寒のパリで、マルチェロは恩師と再会する。

クアドリ教授の若妻アンナのドミニク・サンダが妖艶すぎて僕は困ってしまう。僕は幼い時から、家にあった父親の映画雑誌「スクリーン」のピンナップでマル裸のドミニク・サンダ嬢を拝んでいた。

『暗殺の森』のアンナ、ドミニク・サンダの美しさに毎回身震いしてしまう。撮影当時19歳にして、この貫禄と色気に驚愕だ。1年に1回はこのファム・ファタールをスクリーンで拝みたいものだ。

女同士のダンスシーンは 映画史に残る名場面

パリでの任務が監視から教授の暗殺へと進展する。煮え切らないテロリスト、マルチェロを巡る2人の女が艶かしいのだ。ナイトクラブでのジュリアとアンナの女同士のダンスシーンは、映画史に残る名場面の1つと数えられている。

人々から好奇の目にさらされるタンゴを踊る2人と、マルチェロの内面が交錯するシーン。マルチェロの同性愛のトラウマとのコントラストだ。後の『ラストタンゴ・イン・パリ』にも通じる映像芸術。音楽はトリュフオー映画の名匠ジョルジュ・ドルリュー、唯一のベルトルッチとのコラボは名曲を残した。

そして、舞台は いよいよ暗殺の森へと進む

そして、いよいよマルチェロと共に“暗殺の森”へと舞台は進む。サヴォイアの森の場面は圧巻だ。霧と陽光のコントラストがすごい。教授の車には乗る予定のなかったアンナが助手席に乗車していることに狼狽するマルチェロ。アンナの最期が壮絶だった。マルチェロが乗る車の窓にへばりついて救いを求める彼女の吐く息が車窓を曇らせていく演出、撮影に身震いした。

人を殺すことも、救うこともできないテロリスト、マルチェロが切なかった。「我は知るテロリストの悲しき心を…」という短歌を思い出し、僕も優柔不断なファシストの身の上を石川啄木と同様に想い測った。

ベルトルッチが亡くなった翌日初めて彼を観た映画館にいた

映画が終わり、劇場から出た僕は、歌舞伎町の街を1人ほっつき歩いた。ファシスト政権が倒れた寄る辺なき夜のローマの街をマルチェロが彷徨い歩いたラストを追想した。共に20代の、マエストロと光の哲学者の偉業に僕は打ちのめされていた。映画で詩を作る。そんな人々が世界にいることを知った夜だった。

ベルトルッチ監督の亡くなった翌日の夜、僕は奇しくもテアトル新宿にいた。拙作の映画『銃』のトークイベントの壇上には21歳の村上虹郎君と22歳の佐野玲於君が登壇していた。2人の映画に対する意識、洞察力の高さに感心した。

若い2人はこれからの自分達の人生を映画や音楽を通して、表現者として身を捧げていく意気込みを語っていた。イベントが終わって退出して行く頼もしい若者2人の後ろ姿を、僕は立ち見のお客さんの後ろからしばらくの間、眺めていた。

ビデオSALON2019年1月号より転載