レポート●山下大輔
12月12日にMotion Plus Design WORLD | JAPANESE EDITION 2020が初のオンラインイベントとして行われた。日本選りすぐりの7人のモーションデザインアーティストが登壇し、熱狂のうちに幕を閉じた。今回はその中でオープニングセッションを担当した佐藤隆之氏のこれまでの活動内容のセッションレポートをお伝えしていきたいと思う。
Takayuki Sato氏。アメリカでは[ TAKA ] と呼ばれる。ポストプロダクションやWEB制作会社で映像やデザインの経験を積み、ポートフォリオサイト OTAS.TV の完成を機に2004年に渡米。Art CenterやOtisなどロサンゼルスにある美術大学にて海外のモーショングラフィックスについて学ぶ。その後米国のプロダクションで経験を積み、2009年にモーショングラフィック界の大手Prologue Filmsに入社。学生の頃から仕事をしたいと願っていたタイトルデザイン界の巨匠、カイル・クーパーのもとでタイトルシーケンスやVFX、TVCMなどの制作に携わる。
少年時代からSFが好きだった
自分がワクワクする物を作ったりすることが好きだった小学生時代。『聖闘士星矢』や『ドラゴンボール』のような SF風のアニメがとても大好きで、この頃からすでに自分でもオリジナルのアニメを作っていきたいって思うようになっていった。
ターミネーター2の衝撃
14歳の時に見たターミネーター2がCGに興味を持つようになったきっかけだった。高校に入るとMacを使って作曲やCGを勉強するようになり、高校卒業前にCGアニメーションを初めて作った。その後、当時最先端だったシリコングラフィックスのワークステーションが使いたくて専門学校に入った。
OTAS.TVと留学
卒業後は映像とデザインを学びながら約6年の実務経験を積みOTAS.TVというポートフォリオを完成させた。これを機にロサンゼルス留学にチャレンジすることを決めたが難しい問題にも直面した。
英語力の大切さ
実際にロサンゼルスに移ってみると留学は想像していた以上に難しいことに気づく。留学すれば短い期間でもある程度英語力が向上していくと思っていた。しかし、実際には半年間全く理解ができず、1年経ってもまともな会話ができない日々が続いた。
自分の指針になる計画書を作成
焦りとプレッシャーが日々積み重なるなか、このままではいけないと感じ、LAで出会ったアーティストのアドバイスをもとに今後の計画を立てた。ゴールの設定〜必要なソフトや業界の動向まで気づけば、計画書は約60ページを超えていた。作成してみてわかったのは目的を達成するために必要なのは英語の訓練と学業だけでなく、実際にLAで流行っているモーショングラフィックスを深く研究してみるということだった。それからモーショングラフィックスの様々な表現やスタイルを研究する日々が続いた。その期間はずっと毎日のように刺激を受けワクワクが止まらなかったことを覚えている。
就職活動と就労ビザ
アメリカのスタジオに就職が決まり、そこからアメリカでの社会人生活が始まった。テレビのオープニングやコマーシャルなど数多くのモーショングラフィックスの制作に携わり、本当に多くの経験を積むことができた。また、この時にスタジオから就労ビザの提供の提案もあり、1年以内に帰らなければならないということもなくなり充実した毎日が続いた。
経済危機と転機
しかし、数年後に状況が一変。2008年周辺にリーマン・ショックに端を発する世界的な経済危機が発生した。その影響もあり、徐々に社員であり続けることが難しい状況になってしまう。当時、他のスタジオにコンタクトをとってみても、フリーランスの形のオファーしかなかった(当時 VISA 持ちでフリーランスになることは許可されてなかった)数カ月ほど大変な日々が続き、帰国も考えなければいけない状況にもなりつつあったある日、友人からメールが届いた。
カイル・クーパーとの出会い
「今夜カイル・クーパーの公演があるんだけど、TAKAさん行きますか?」という内容のメール。「このメールを送ってくれた人物は僕が当時LAで一緒に住んでいたルームメイトの彼女のお友達でした。ルームメイトと出会い、その彼女から友達を紹介されていなければ、メールを送ってくれた人物と出会うこともなく、Prologue Filmsにたどり着くきっかけもつかめてなかったかもしれません。そう思うと、本当に不思議な出会い・出来事でした(佐藤氏)」。最後のチャンスと思いながら急いでデモリールを片手に公演会場へ向かった。幸いにも講演の後カイルに会うことができ、LAに来た理由と自分の口から「チャンスがあるならPrologue Filmsで仕事を一緒にしたいです」と伝えた。その頃はまだ英語力は充分ではなかったが、カイルは真摯に耳を傾けてくれた。
10年の思いが実り、Prologue Filmsへ
そして約10年の思いと願いが叶い、ついにPrologue Filmsにたどり着くことができた。最初の1年はとにかく大変だったが、カイルたちから多くを学んだ初めての映画『テンペスト』。チームで新しいスタイルのホログラムインフォグラフィック、 UI デザインアニメーションを試行錯誤しながら制作していた『アイアンマン2』、パーティクルのスキルが大幅に上がった『Through the Wormhole(モーガン・フリーマンが語る宇宙)』。帰国前最後のプロジェクトとなってしまった『Oblivion(オブリビオン)』。すべてカイルやPrologue Filmsそして所属するアーティストに出会わなかったら、これらの素敵な作品に関わることはなかったと思う。そう佐藤氏は振り返る。
家族のことと今後のこと
この帰国前最後に『Oblivion』の制作をしている間に母から「父親が倒れた」とのメールが届いた。突然のことながら家族のことを思い帰国することを上司に伝えると「家族が第一だからすぐに日本に戻りなさい」と快く送り出してくれた。日本に戻るとまず家族と過ごす時間を大切にした。それは今後の自分の仕事についても考えていくことにもなった。その結果、今までのアメリカ生活での経験を日本のクリエイターやアーティストに共有していきたいと考えるようになった。
これまでの経験を生かして制作したショートフィルム『The Moment of Beauty』
まず、今までの経験を生かしたショートフィルムを1本を作成することにした。それをベースに経験を共有していくという企画を色々なところに持ち込んだ。そんな時フラッシュバックジャパンがこの企画を全面的に受け入れてくれた。その時に制作したのが『The Moment of Beauty』となる。
2回の制作中断を乗り越え完成した『Beyond the Moment of Beauty』
そして、2作目にも取りかかった。1作目を超えるものと目標を立て気持ちが強くなりすぎ、なかなか理想通りの結果に至らず2回の制作の中断を挟み、3回目に完成した作品が『Beyond the Moment of Beauty』。私自身のイマジネーションや世界観を拡張させ自分が望んでいた宇宙を作り上げることができた。この作品は After Effects CC 2019のスプラッシュスクリーンに採用され、ユーザーとしても本当に光栄なことだった。
純粋に勉強と表現力の拡張を目的に制作した『PORTAL』
3作目は今年制作した実験的ショートフィルム『PORTAL』。本作の元となるプレビュー映像は2017年にMAXONのCINEMA 4Dユーザーミーティング東京のデモのために制作したものだったが、2020年のコロナの影響により6月のプロジェクトのひとつが延期になり、このタイミングで完成させるのが一番かもしれないと考え、制作を再開した。
『PORTAL』の2020年版は純粋に勉強と表現力の拡張のためだけに時間を費やした。2017年に作った、ほぼ全カットのほとんどを調整し、様々なリファレンスやチュートリアルをもう一度学習して1カット1カットを工夫して改善した作品となった。
最後に
「現在はショートフィルム制作にとどまらず、国内外のスタジオとコラボレーションする機会も増えました。改めて今でもアメリカで出会った仲間と仕事が続いているのはとても嬉しい。これまで本当にたくさんの素敵な作品に出会うことができ、そして関わることができました。それは今までのチャレンジを通じて仲間の存在はとても大きかったと思います。国内外にかかわらず僕やチームメンバーを信じて様々な仕事を与えてくださったことに心から感謝しています。その信頼や期待に応えていくためにも、日々勉強を続け、自分自身を成長させていくことが大切だと思います。仲間、信頼、学び、そしてこれからも新たな挑戦や出会いを大切にしながら活動そして貢献を続けていきたいです」講演を通じて良い人柄が出ている素晴らしい内容だった。これからも佐藤氏の動向に目が離せない。
●著者プロフィール
山下大輔
映像講師。Adobe Community Evangelist。主に映像制作を生業とするユーザー向けにセミナーを行う。Premiere Pro、After Effectsを得意とする。スキルシェアを主とした活動を行いつつ、Facebook上でAfter Effects User Group の運営、自身のサイトEverydaySkillShareを運営。