中・高・大と映画に明け暮れた日々。あの頃、作り手ではなかった自分がなぜそこまで映画に夢中になれたのか? 作り手になった今、その視点から忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に改めて向き合ってみる。
文●武 正晴
愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。最近の作品には『百円の恋』『リングサイド・ストーリー』、『銃』、『銃2020』、『ホテルローヤル』等がある。ABEMAと東映ビデオの共同制作による『アンダードッグ』が2020年11月27日より公開され、ABEMAプレミアムでも配信中。現在、NETFLIXでオリジナルシリーズ『全裸監督』シーズン2が配信中。
第86回 死刑台のエレベーター
イラスト●死後くん
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原題:Ascenseur pour l’échafaud
製作年 :1958年
製作国:フランス
上映時間 :92分
アスペクト比 :ビスタ
監督:ルイ・マル
脚本:ロジェ・ニミエ/ルイ・マルほか
製作:ジャン・スイリエール
撮影 :アンリ・ドカエ
音楽 :マイルス・デイヴィス
編集 :レオニード・アザー
出演 :モーリス・ロネ/ジャンヌ・モロー/リノ・ヴァンチュラ/ジョルジュ・プージュリイ/ヨリ・ベルタン/ ジャン・ウォールほか
ノエル・カレフの小説を元に、ルイ・マル監督が弱冠25歳で手掛けた犯罪サスペンスの傑作。全編にわたってマイルス・デイヴィスのジャズが奏でられ、美しいモノクロフィルムを名手アンリ・ドカが撮影。物憂げなジャンヌ・モローの表情が美しくも儚い。
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33年ぶりに『死刑台のエレベーター』を観た。2010年のデジタルリマスター再上映を見逃していたので、京都みなみ会館の上映には感謝しかない。僕は大学入学で上京した年に、池袋の文芸坐で初めて観た。
完全犯罪を計画実行した男が、エレベーターの中に閉じ込められて、計画が狂っていくプロットが魅力だが、それは単なるきっかけで、観終わった時に男女の愛の物語だったことに気づかされて身震いした。
女の愛の告白で始まり、愛のモノローグで終わる映画。女、フローランス役にフランスの至宝ジャンヌ・モロー。かつて東京国際映画祭の審査員で来日した時に「マイノリティーはいつも正しい」と発言していたのが印象的だった。
25歳の若さで監督を務めたルイ・マル
タイトルシーンの音楽はマイルス・デイヴィス
「ジュテム、ジュテム…」とジャンヌ・モローのあまりにも有名なクローズアップからこの映画は始まる。電話ボックス中で愛を語るジャンヌ・モローのタイトル・ショットでただならぬ予感がした。電話先の相手、ジュリアン役のモーリス・ロネが会社のオフィスに登場するクレジットカットが続く。
電話ボックスのジャンヌ・モローをカメラがズームバックすると、監督ルイ・マルのクレジット。そこにトランペットの音色が響き渡る。嗚呼、マイルス・デイヴィスのクレジットに痺れる。この瞬間が堪らない。始まったなと。名作にはタイトルシーンの手順に間違いがない。
ルイ・マル監督は25歳でこの仕事をやってのけた。恐るべし。50を過ぎた僕は手も足も出ない。悲劇をスタイリッシュな名作へと創り上げる天才監督。僕は『ルシアンの青春』『さよなら子供たち』『地下鉄のザジ』など子供を主人公にした作品が好きだった。
ルイ・マルはジャズの巨星マイルス・デイヴィスに音楽を依頼するも多忙を理由に一旦は断られるが、パリに来ていたマイルスのホテルに、映写機とフィルムを持って押しかけ、彼の部屋でラッシュフィルムを上映して、即興で演奏してもらい、録音したという信じ難い伝説の逸話を残している。
追い込まれていく主人公の描き方がシンプルで鮮やかだ
インドシナ戦争の元パラシュート部隊ジュリアン大尉は、戦争ビジネスの成金社長の右腕として大企業に勤務する。成金社長夫人フローランスとは不倫関係にあって、夫人と共謀して、社長を自殺に見せかけて殺害する。証拠隠滅のために犯行現場に戻る途中、守衛に電源を落とされてエレベーターに閉じ込められてしまう。
フローランスとの約束の待ち合わせ場所にも行けず、連絡も取れない。顔見知りの花屋の売り子ヴェロニクと不良青年ルイの無軌道なカップルに、高級自家用車も盗まれ、挙げ句の果てにジュリアンの名を騙ってモーテルで、ドイツ人観光客の金持ち夫妻を殺害してしまう。
ノエル・カレフの原作小説は読んでいないが、エレベーターに閉じ込められたジュリアンを追い詰めていくプロットが巧みだ。SNSもスマホもない時代だからこそ主人公を追い詰める手順がシンプルで鮮やかだ。便利な現代において主人公の追い込み方が困難で、作劇にはより工夫が必要になってきており、悩ましい。
セリフではなく映像で語る映画の醍醐味が 散りばめられた作品
ジュリアンが約束の場所に現れず、フローランスは彼が「計画が怖くなって逃げ出したのでは?」と邪推する。夜雨の街をジュリアンを探して彷徨うフローランスのシーンが素晴らしい。撮影にアンリ・ドガエの名前が当たり前のように登場して嬉しい。
エレベーター内を隙間から差し込む街の薄明かり、ライター、タバコの火灯りで閉じ込められたジュリアンの内情を表現していく。台詞ではなく映像で語るのが映画の醍醐味だ。
作中ではエレベーターや高級自家用車、高性能マイクロカメラなどの小道具が効果的に使われていく。大戦争が終わって世の中が安定して、豊かな暮らし、便利な道具が戦争に手を染めた英雄の完全犯罪を阻止している皮肉な作劇に感心する。ルイ・マルの厭戦気分は映画史に残る作品となったデビュー作である本作から終始一貫している。
サスペンスを最高潮に引き立てていく存在感
物語終盤から登場する、刑事役のリノ・ヴァンチュラが嬉しい。『冒険者たち』のアラン・ドロンじゃないほうのオッサンが印象的で僕が大好きな俳優だ。刑事がジュリアン、フローランスと絡み、サスペンスを最高潮に引き立てていく存在感が見事だ。
朝までエレベーターに閉じ込められていたジュリアンは動き出したエレベーターから脱出するも、朝刊に元英雄がドイツ人夫妻殺し、として顔写真入りで指名手配されている。なじみのカフェでモーニングのクロワッサンを頬張りながらも、店員、客が彼を見る目が変わっている。エレベーター内の一晩で日常が一変する恐ろしさがユーモアに描かれる。ここには現代にも通じる新聞、マスコミへの揶揄も込められている。
リノ・ヴァンチュラの刑事が、逮捕されたジュリアンを尋問する場面の撮影が素晴らしい。人物のみが浮き立つ明暗のコントラスト。ドイツ人夫妻の殺害アリバイを立証できず、エレベーターに一晩閉じ込められたと告白するものの、刑事たちには一向に信じてもらえない。エレベーター以上の閉塞感が伝わってくる。
映画はファーストカットと ラストカットが思いつけばうまくいく
結果、この映画ではジュリアン役のモーリス・ロネとフローランス役のジャンヌ・モローは一度も会うことなく終わるのが上手いなあと感心していたら、ラストシーンにどんでん返しのもの凄いカットが用意されていた。アンリ・ドガエの真骨頂。水の反射は『シベールの日曜日』を思い起こさせる。一度も見せることなかった女の笑顔が切ない。
僕の持論だが、映画はファーストカットとラストカットを最初に思いつけば上手くいく。これが思いつかないと先に進めない。33年ぶりに観た「死刑台のエレベーター」でずっと忘れずにハッキリ覚えていたのは、驚きの最初のカットとラストカットだった。25歳のルイ・マルの計算された92分の作劇は、何一つ無駄のない名人、達人による匠の仕事だった。これを手本に50を過ぎた僕も精進を重ねていきたい。
●VIDEO SALON 2022年6月号より転載