第74回ヴェネチア国際映画祭の脚本賞をはじめ、2017年の賞レースを席巻し、多くの映画ファンを震撼させた『スリー・ビルボード』から5年。予測不可能な展開へと突き進む本作はどのようなプロセスで制作されたのか。マーティン・マクドナー監督とふたたびタッグを組んだ撮影監督ベン・デイヴィスさんに撮影時を振り返ってもらった。

取材・文●編集部 伊藤

 

『イニシェリン島の精霊』

死を予見すると言い伝えられるアイルランドの妖精・バンシーに着想を得てストーリーを構成した本作。親友コルムから突然絶交を告げられたパードリックを通して、人間の切なさを悲劇的にときに喜劇的に描く。

 

撮影監督ベン・デイヴィス

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(14)、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(15)、『キャプテン・マーベル』(19)など、マーベル作品を多く手がけている。ほかにも『クライ・マッチョ』(21)、『キングスマン:ファースト・エージェント』(21)など幅広いジャンルの映画の撮影監督を務めている。マーティン・マクドナー監督の『スリー・ビルボード』で(17)では英国アカデミー賞、サテライト賞、英国インディペンデント映画賞にノミネートされた。

 

美しく壮大な風景のなかで機能不全に陥っていく人間関係

――マーティン・マクドナー監督とは『スリー・ビルボード』でもタッグを組まれていますが、監督にはどのような印象をお持ちですか?

とても素敵な人柄で、自分のよき友人です。会ってみたらまっすぐな性格で、いい意味で普通のイメージを受けると思いますが、書くものを見ると「これはいったい、この人の中のどこからきているんだろう」と思ってしまうことがあります。

――今回の映画もそういう印象が強い内容ですよね。

そうですね。撮影中、この映画で交わされるセリフは、マーティンの頭の中でされている会話なのかなと思うことが何度かありました。

――撮影前に2週間泊まり込みで脚本について話し合ったそうですね。画づくりに関する構想はどのように決まっていきましたか?

10日間の隔離期間を経ないと島に行くことができなかったので、アイルランドの本島で2週間過ごし、その期間を利用して打ち合わせをしました。

監督はすべての絵コンテを作って参加してくれたので、それをもとに話し合いを進めました。マーティンの言葉の使い方やセリフは非常に独特なんです。絵コンテはすでにそういったものが反映されていて、それにマッチするような彼の視覚的言語が盛り込まれているんですね。そこにはユーモアもあって、まさにマーティンだけのビジュアル言語というものがありました。

彼は島を描くときにグレーな曇り空やそういう雰囲気の島を撮りたくなかった。はっきりとした色がちゃんと見えるような美しい視覚的表現を求めていました。その一方で、物語に登場する島の人々の人間関係は閉所恐怖症的です。僕らがやろうとしたことのひとつは、美しく非常に壮大な風景のなかで人々の関係性が機能不全に陥っていく様子を描くというアプローチです。

▲美しい島の風景

――映画のなかには動物が登場するシーンが多いですよね。

絵コンテの段階で動物たちはすでにたくさん登場していました。今回の物語では重要な役割を果たしています。観客のような立場で、目の前で起きる悲劇を観察しているイノセントな存在です。あるいは、人間の狂気が展開されるのを無垢な彼らは見ているという構図です。

劇中で生き物はすべてペアで登場します。絵コンテでも脚本でも、普段マーティンは登場人物のそれまでの話を用意しません。まるで「主人公ふたりのかつての友情はこうだったんだよ」というのを体現しているかのように、ヤギや鳥や島の動物たちが現れるときはかならずペアになって一緒にいます。それはまた孤独な場所であるから誰かがそばにいてほしいという気持ちの表れも象徴しています。

▲ブレンダン・グリーソン扮するコルムとその愛犬

効果を計算して美術や衣装の色を選んでいく

――色についてはいかがですか?

カラーパレット部分でも多くの話し合いをしました。島にある色というのはそんなに多いわけではありませんでした。天候からくる色、海の色、そして木々や大地の緑だけだったので、ほかの色は、家や扉などの美術や衣装に入れていきました。

▲色とりどりの衣類

――具体的にはどのような過程でルックを決めていきましたか?

まず、絵コンテの段階ではっきりしていたのは、ドアや窓を通しての画があったということです。なので自分たちでセットを建て込まなければという話になりました。パードリックの家、そしてコルムの家の一部は実際に現地でセットを作り込んでいます。ロケハンに行くと、海風にやられるからか、海沿いの家はまったくなく、実際にはもう少し内陸に家がありました。だから私たちはあえて海沿いの場所を選びました。

そのため、セットには自分たちが好きなように色を使うことができました。たとえば、コルムの家にはゴッホの黄色をイメージした色を使っています。また、パブは暗めで、あぶらっぽい感じがするような黒い天井と濃いグリーンの壁にしています。これは、オイルランプやろうそくの火が浮き上がるような効果を計算して、空間の中の人物を浮き上がらせて撮影したときに切り取れるように、そういった色を選んでいきました。

▲パブでのシーン

少人数のスタッフだからこそフレキシブルに動きやすい撮影環境

――今回、ふたつの島で撮影をしたということでしたが、撮影面ではどのような影響がありましたか?

この映画の舞台となる「イニシェリン島」というものは実際に存在していないので、アイルランドのイニシュモア島とアキル島で撮影をしました。大変というよりはいいチャレンジでした。どちらも小さな島だったので運べる機材の数や人員が限られてしまうんですね。技術面でリミットがあるなかでの撮影でしたが、逆にそれが今回の撮影のなかで楽しいところでもありました。

少人数のスタッフとキャストだからこそフレキシブルに動きやすいという面もありました。パンデミック中で、いったん島に入ると出られなくなってしまうことや、自分たちのセットを建て込んだことで、撮影を完全にコントロールできるんです。なのでいつでも撮影できるという状態もすごくよかったです。

ただ、それは撮影前からもともと計算していたところでもありました。アイルランドは天候が非常に変わりやすいので、それに合わせて屋内などでフレキシブルに撮影ができるのも小さなクルーだからこそできることでした。たとえば、太陽が燦燦と照っているシーンを撮影したければ晴れ間が出たらすぐに撮ることができたし、そうでないときは室内で撮って進行をカバーすることができるような撮影環境でした。

▲マーティン・マクドナー監督(中央左)とベン・デイヴィスさん(中央)

――大規模な撮影をする現場と比べて、スタッフやキャストとのコミュニケーションの取り方にも違いがありましたか?

キャストやスタッフも含めて、今回は非常に親密なプロセスの中で撮影を進めることができました。撮影の合間に行く場所も1カ所か2カ所しかないわけで、仕事が終わってからも一緒に過ごすことが多い現場でしたね。

自分が今まで撮影してきたさまざまな作品のなかでも、異なる撮影環境だったし、毎日すごくワクワクできる現場だったといえます。それはみんなの仕事が素晴らしいということもありましたが、小さなグループで作り上げているので、誰かが何かをしているのが全部自分の目に入り、そこで何が起きているのかをすべて肌で感じられたからです。キャストの素晴らしい演技やスタッフのいい働きがいつも目の前で繰り広げられる。だから常にワクワクが止まらないような現場でした。

▲マーティン・マクドナー監督(左)と主演のコリン・ファレル
▲撮影中の一幕

顔のアップになったとき肌の質感や鋭利な影をとらえられるレンズ

――今回の撮影で使用した機材を教えてください。

カメラはARRIのALEXA LFとブラックマジックURSA Mini Pro 12Kで、レンズはARRIシグネチャーレンズを使っています。あとは35mmフィルムでも撮影をして、撮影前の段階で風景や広めの画などをフィルムで撮って、こういうルックでいこうという参考のために使いました。1、2カ所は映画の中でも使っているかもしれません。ブラックマジックのURSA Mini Pro 12Kは自分のカメラで、毎日朝や夜に現場に行って8Kの状態で風景を撮影しました。映画の中の風景のシーンはその素材が使われています。

レンズについて、シグネチャーレンズを使う一番の理由は顔のアップになったときの肌の質感や、鋭利な影の入り方がしっかりととらえられること。あとはラージフォーマットで撮影する場合、最近多くの人が使っているものだと、画面端のフォーカスが少し弱いのが気になりますが、このレンズだと幅広い画を撮ったとしても、端から端までしっかりと焦点を合わせることができます。あとは強い太陽の光に直接向けてフレアが出るレンズがほしかったのでそれも選んだ理由のひとつです。

▲撮影中のベン・デイヴィスさん

 

『イニシェリン島の精霊』

1月27日よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー

【あらすじ】
舞台は1923年、アイルランド西海岸沖のイニシェリン島。内戦に揺れる本土とは対照的に、のどかな平和が保たれたこの島の誰からも愛される素朴な男パードリックが、親友コルムから突然絶交を告げられる。理由さえわからず困惑したパードリックは、賢い妹シボーンや若い隣人のドミニクを巻き込んで関係修復を図るが、コルムは頑なに彼を拒絶。やがてコルムは「これ以上、お前が俺を煩わせたら、自分の指を切り落とす」という恐ろしい最終通告をパードリックに突きつけ、両者の対立は想像を絶する事態へと突き進んでいくのだった……。

【DATA】
監督・脚本・製作:マーティン・マクドナー、製作:グレアム・ブロードベント、ピート・チャーニン、撮影:ベン・デイヴィス,BSC、美術:マーク・ティルデスリー、衣装:イマー・ニー・ヴァルドウニグ、音楽:カーター・バーウェル、編集:ミッケル・E.G.ニールセン,ACE、キャスティング:ルイーズ・キーリィ、出演:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン ほか、配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン/ 2022年/アイルランド・イギリス・アメリカ/スコープサイズ/4K/PG12/114分

©2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.

◉公式サイト
https://www.searchlightpictures.jp/movies/bansheesofinisherin

 

VIDEOSALON 2023年2月号より転載