映像編集者のリアル 第6回 ─ 佐藤敦紀[後編]


映像編集者のリアル

〜クリエイティブの“余白” で演出する編集者たち〜

第6回
『ガルム・ウォーズ』『シン・ゴジラ』編集
佐藤敦紀[後編]

この連載では、作品のクオリティを左右する重要なポジションであるにも関わらず、普段なかなか紹介されることのない映像編集者たちの"リアル"に着目し、制作過程や制作秘話、編集にかける思いなどを前後編の2回に分けて聞く。今回は、VFXスーパーバイザー・予告編ディレクターとしても知られ、第40回日本アカデミー賞の最優秀編集賞に輝いた佐藤敦紀さんの後編。ビジュアルエフェクトとデジタル編集の黎明期に立ち会った佐藤さんが独自のキャリアを語る。

写真=中村彰男 取材・構成=トライワークス

 

プロフィール
佐藤敦紀・さとうあつき/1961年生まれ、愛知県豊橋市出身。アニメ制作会社・スタジオディーンの演出助手としてキャリアをスタート。IMAGICAの特撮グループ、イマージュのVFX部門・Motor/lieZなどを経て、自身のVFXスタジオ・TMA1を設立する。共同編集を手掛けた『シン・ゴジラ』で、第40回日本アカデミー賞の最優秀編集賞を受賞。

最初から東京でアニメ業界に
潜り込むつもり満々だった

—— そもそも佐藤さんはどんな少年時代を過ごされたんですか?

愛知県豊橋市生まれなんですけど、親父が国鉄職員だったのであちこち転々としてたんです。沼津にいたり、静岡にいたり。中学の時はブラスバンドをやっていたんですが、音楽が好きだったので、将来は音楽教師になろうと思っていたんですよ。音楽教師をやりながら、ブラスバンドの顧問をやるのも悪くないなって(笑)。当時は音楽理論を勉強したり、ベートーベンのソナタを練習したり…。

—— 確かに佐藤さんが手掛けた予告編を見ると、音楽と映像のテンポがマッチしているように感じます。

確実にその影響はあると思います。ただ、大学の教育学部の音楽科を目指していた高3の時に、富野(由悠季)さんの『機動戦士ガンダム』がオンエアされて。ちょうどその時期、テレビアニメがすごく面白くなり始めたんですよ。いつからか「東京でアニメの仕事に就きたい」って思うようになりました。

—— 「ガンダム」との出逢いが進路選択に影響したんですね。

そうですね。でも、上京していきなりアニメの仕事に就けるわけがないので、まず早稲田大学に入りました。当時の早稲田の文学部って、岩本憲児さんっていう有名な映像論の専門家の方がいて、その人の授業がすごく面白そうで、もうそれだけで選んだんです(笑)。日本大学芸術学部とか明治大学とかも選択肢にあったんですけど、最初から業界に潜り込むつもり満々だったので、昼間に時間が作れる早稲田の第二文学部っていう夜間の学部にして…。

—— お昼にバイトしながら、夜は大学へ行く生活だったんですか?

大学に入ってしばらくすると動画を教えてくれるアニメの専門学校にも通うようにもなったので、午前中は専門学校、昼間はバイト、夜は大学に行く生活をしてました。そんなことをやってたら、たまたまアニメ制作会社のスタジオディーンが仕上げのバイトを募集してて、”マシンがけ”のバイトとして潜り込めた。マシンがけっていうのは動画さんが描いた絵の線をセルにカーボントレスで転写する仕事で、当時は1枚6円でしたね。

—— 6円というのはアルバイトの金額として多いんですか?

うーん、頑張れば当時で月7〜8万円ぐらいにはなったと思いますよ。現場でマシンがけをしながら「演出助手をやりたい!」ってずっと言ってたら、演出家の下に付いてお手伝いをさせてもらえるようになって。仕事を覚えるまではタダ働きでしたけど、だんだん給料をもらえるようになって、演出の仕事も少しずつやらせてもらえるようになっていきましたね。

—— 演出助手、演出として当時担当されたのはどんな作品ですか?

最初は『忍者ハットリくん』です。あとは『パーマン』『銀河漂流バイファム』とか。当時スタジオディーンが『うる星やつら』のグロス受けをしていたので僕も担当したんですが、その時に押井(守)さんと会ってるんですよ。押井さんは覚えてないみたいですけど(笑)。でも、いろいろあって、『うる星やつら3 リメンバー・マイ・ラブ』を最後に、いったんアニメの仕事は辞めたんです。

振り返ると、いつも二足、
三足のわらじを履いていた

—— その後、映像の世界に戻ってきます。きっかけは何だったんですか?

ちょうどCGやSFXが台頭し始めた時期だったんですよ。日本は遅れてましたけど、それでも80年代前半に『ゴルゴ13』『レンズマン』みたいな特殊な映像を使った作品が作られ始めて。やっぱり映画、映像は面白い世界だなと再認識して、そういう仕事に関われないかと思ってまた上京して、1年間ビデオのポスプロのバイトしながらCGの専門学校に通っていたんです。大学時代もそうだけど、なんで僕はいつも二足、三足のわらじを履くのか…まあ、今でもそうなんですけどね(笑)。

—— イマジカ入社はその後ですか?

当時、イマジカには特撮映像部っていうのがあって、入社後はそこでオプティカルプリンターをいじって合成をやったり、イマジカにあったモーションコントロール・カメラ”C-CAM”を使ってタイトル作ったりとか。5〜6年在籍したんですが、本当にいろんな仕事をさせてもらえて、すごく大きな経験でしたね。そこでひぐっちゃん(樋口真嗣)やマットペインターの上杉裕世氏とも出会いましたし。

—— 佐藤さんの予告編の仕事はイマジカ時代から始まっているんですよね。

そうですね。僕の予告の師匠である相澤(雅人)さんと一緒に作った『陽炎』『豪姫』あたりが代表作でしょうか。当時は”本編があんまり出てこない予告”っていうのがあったんです(笑)。『豪姫』の予告の演出は相澤さんがやって、僕はいろんな資料や美術品を集めて撮影をやってたんですけど、「特殊なタイトルを作れ」って言われたので、その辺で買ってきたスチールウールを燃やしたりして、工夫して作ってましたね。そういう特殊なタイトルを作るのが得意だったんです。イマジカの最後の年ぐらいにオートデスクからパソコン用の3DCGソフトが発売されて、それを個人で買ってCGでタイトルを作り始めました。

—— フリーになられた後はどんな仕事をされていたんですか?

最初は相澤さんの下で予告の仕事をお手伝いしつつ、ライトハウスっていう制作会社にも入って、また”二足のわらじ”で仕事して…(笑)。その後、僕個人に仕事が入るようになって、予告のタイトル制作やディレクターをやりながら、ビジュアルエフェクトの仕事もするようになった、という感じ。大きかった仕事は『レオン』『パルプフィクション』『セブン』『マトリックス』の予告ですね。ビジュアルエフェクトでは平成ガメラシリーズに出てくるミサイルをCGで作ったり。

—— その後、押井監督の「ガルム戦記」のプロジェクトに関わります。

始まりは『ガメラ2 レギオン襲来』の直後なんですよけど、ひぐっちゃんに「手伝ってもらえない?」って荻窪のスタジオに集められて、準備をシコシコやってたっていう。でも企画自体が頓挫して、そこにいたスタッフはもうやることないから「どうしよう…」と。その準備室にいたスタッフと一緒にやったのが『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』だったんです。

—— それがイマージュのVFX部門・Motor/lieZにつながるんですね。

そういうことです。その「ガメラ」のメンバーでMotor/lieZを作った感じですかね。今はMotor/lieZは一旦解散し、僕は自分のTMA1っていう会社でいろいろ仕事してるって状態です。自分でキャリアを振り返ってても、何をやってんだかよく分からないよね(笑)。

▲映像業界に入って35年以上の大ベテランだが、自身が歩んだ"ヘンな"キャリアを気さくに話してくれた。

僕の"新しいモノ好き"は
昔から一貫している

—— これまで手掛けてきた仕事の中で転機になった作品はありますか?

業界仲間から「いいね」ってホメられて、ある意味ブレイクスルーになったのが『ガメラ2 レギオン襲来』の3分半くらいある予告編ですね。デジタル編集に切り替えたのも大きな転機だったと思います。当時、予告のオフライン編集はVHSのデッキ2台で行なっていたんですけど、たぶん僕が予告編業界に最初にデジタル編集を取り入れたんです。

—— そうなんですか…?

同時代の作品で言うと、押井さんの『攻殻機動隊』の本編編集はAvidを使っていたはずなんですけど、かなりトラブルが多かったと聞きました。僕はMedia100っていうMacにハードウェアくっつけてデジタルで取り込める機材を個人で買って。ボード込みで40〜50万円ぐらいだったと思うんですけど、それを使って予告の編集を始めたんです。それがちょっとずつ広まって、業界全体がデジタルで編集するようになった…と記憶しています。もし「俺の方が先だ!」っていう異論があれば、ぜひ教えてください(笑)。

—— デジタル編集の導入に踏み切ったのはなぜですか?

単純に、VHSのオフライン編集って面倒なんですよ。普通の編集と同じでワンカットずつやっていって、ダビングに次ぐダビングだから全然効率的じゃない。自分でも、これからの時代、編集が非常に細かくなってくのは自覚してたし、VHSではもうやりきれんなっていう気持ちもあったので。

—— 確実にできることの幅が増えましたよね。

予告だけじゃなくて、当時のMVの編集がどんどん過激になっていく過程に、アナログからデジタルへっていう技術の移行が絶対に関係してると思います。編集そのものをすごくパーソナルな場に持ち込めるようになったのも大きいんじゃないかな。

—— それから時代も変わって、さまざまな編集ソフトが開発されましたが…。

編集ソフトは今は過渡期。僕もPremiereを使いつつ、DaVinci Resolveを使ったり、一時はSmokeにしちゃおうって思ったことも…(笑)。でも、映画業界の本編の編集っていうレベルで言えば、慣習としてAvid以外はなかなか認められないようです。『シン・ゴジラ』の編集をPremiereでやろうって言った時も、ものすごい反発があったんですよね。まずもって、なぜAvidじゃないんだ、と。『シン・ゴジラ』が日本映画史上初っていうつもりはまったくないんですけど、少なくとも東宝の大作映画でPremiereを導入した前例はなかったと思います。

—— ハリウッドでは『ゴーン・ガール』や『デッドプール』などがPremiereで編集されているみたいですが…。

ようやっと世の中が進んで来ましたかね。いずれにせよ日本で慣習を破るには、プロデューサーや監督の理解が絶対に必要です。昔から一貫してますけど、僕は”新しいモノ好き”だから、その辺をどうやって理解してもらえるか。どこまでやれるのか、現場によって模索し続けていますよ。とはいえ、年を取ると新しいソフトに乗り換えるのが本当に面倒でね…(笑)。

▲最優秀編集賞を受賞した第40回日本アカデミー賞でスピーチする佐藤さん。 ©日本アカデミー賞協会

●この記事はビデオSALON2018年2月号より転載