▲THETAシリーズ最上位機種Z1。“Z”は究極という意味。

 

ワンショットで360度の撮影を可能とするリコーの全天球カメラ〜THETAシリーズ。初代の発売から数えて、6年目にあたる今年〜2019年は、5月24日に発売されたフラッグシップ機THETA Z1(以後Z1)、そして、12月13日に発売されたエントリー機THETA SC2の2機種が登場した。今回、最上位機種Z1の開発に関わったリコーのキーパーソンたちに、非常にレアなインタビューが実現した。筆者はZ1を発売前からテストしているが、動画機能も含めアップデートを続けるZ1について、最新の検証と合わせて、ご覧いただきたい。Z1は動画撮影で“使える”のか?

◉インタビュー&検証:染瀬直人

 


▲右から
株式会社リコー
清水 祐輔 氏
SV事業本部 THETA事業部 THETA開発部 企画グループ (商品企画担当)

佐藤 裕之 氏
イノベーション本部 光システム応用研究センター 光学技術開発室
兼SV事業本部 THETA事業部 THETA開発部 開発1グループ (光学設計担当)

北條 大輔 氏
SV事業本部 THETA事業部 THETA開発部 開発2グループ (画像処理担当)

吉田 和弘 氏
SV事業本部 THETA事業部 THETA開発部 開発2グループ (ステッチ/スタビライズ担当)

千秋 正人 氏
SV事業本部 THETA事業部 THETA開発部 開発2グループ (ステッチ担当)

 

THETAらしさとは何か?

ー2013年にTHETAが発売されてから、今年で6年目ですが、初代から関わっている方は現在何名くらいいらっしゃいますか?

佐藤「現在、開発で残っているのは、当時のプロジェクトマネージャーと私の2名です。当初、THETAは横浜仲町台の研究所で開発が進められ、初号機のRICOH THETA、m15、Sを発売しました。その後、事業部化し、後継機種を毎年発売しています。当初の開発者の何人かは研究所に残り、何人かは事業部に移動し、更に新規にメンバーを増やし、現在のSV事業本部が出来上がりました」

ーどのような発想から、このような全天球カメラが生まれたのですか?

佐藤「THETAはカメラではないというのが、もともとのコンセプトでした。他にないもの、”こんなの持ってるぜ”と、人に自慢したくなるものをつくろう、という発想です。アプリで何かやるとかでもなく、撮る時の設定もいらなくて、誰でも簡単に扱えるのがTHETAでした。そういう意味では、最近のモデルは多機能になってきて、THETAらしくない、とも言えます(笑)」

清水「確かにどんどん多機能になっていますので、THETA本体だけでなく、アプリの使い勝手にもこだわってつくり込んでいます。ポケットから取り出して、さっと撮影できるスタイルは、THETAの特長ですので、これからも大事にしていきたいと考えています」

ーこれまでのTHETAの歩みを改めて振り返ってみると、どのようにお感じになりますか?

佐藤「Sを出した当初、段々と他社の360度カメラも増えてきました。僕らは開発のために、すごく時間がかかる検証を繰り返して、なるべく良いものをつくっていきたいと考えています。ぱっと出すということはしなくて、完全につくりこむまで出さないという会社です。しかし開発に数年がかかっても、出した時にそれが時代遅れでは困ります。その時、他のメーカーが絶対に出せないものを企画する必要があるのです」

ーーV以降で大きな変化は何でしょうか?

清水「V以降で一番大きい変更は、それまでのカメラ系のエンジンをスマートフォンなどで使用されているチップに変更し、OSをAndroidにした点です。それによって、動画性能が向上したり、プラグインの機能が追加できるようになったところが大きな進化かなと感じます。また動画撮影で4Kを達成し、さらに空間音声もプラスして映像品質を上げることができました」

▲Z1はVと同様、SoCにQualcomm社製のSnapdragon 625プロセッサが搭載され、OSはAndroidベースである。起動には15秒程度かかるが、プラグインの利用が可能になっている。

 

ーーAndroidのOSを搭載したことで、ユーザーの反応はいかがでしたか?

清水「通常の撮影においては、それほど意識せずにこれまで通りに使っていただいているのではないでしょうか。一方で、プラグインの認知度はまだまだ低いので、これから頑張って広めていきたいですね」

ーー「起動が遅い」といった声はありませんか?

清水「コールドブート(電源オフの状態から立ち上げる)は15秒程度かかるので、Vをリリースした当初はそのようなお声をいただきました。最近はそういった声もあまり聞かなくなってきているので、スリープ機能をうまく活用していただいているのではないかと思います。スマートフォンも、そういう形になっていますし、意外と違和感なく使われているのかなと思います」

千秋「アンドロイド端末なので、”画面のないスマートフォンです”と言うと、皆さん納得いただいているかんじですね。 それでも、コールドブートは課題の一つではあります」

 

THETA Z1開発の経緯について

ーー今年はVの発売以来、およそ1年半ぶりにZ1が発売された訳ですが、Z1が開発された経緯をお聞かせください。

清水「ユーザーの関心事を調査したところ、”写真を撮ることが好き”という割合が大きかった事実があります。またTHETAに期待されている点では、高解像度化、高感度時の画質向上などがありました。そこで、今回のZ1では静止画画質の大幅な向上、ガジェットから作品がつくれるツールへ、といったことを意識して企画しました」

佐藤「Sの時にユーザーや社内も含めて、まわりから言われた意見については、なるべくそれを改善した方向で次の機種に活かしていこうという方針で、VやZ1は開発を進めてきました。パープルフリンジが多い、ゴーストがあった、周辺の解像が甘いという声がありましたので、それらをメインのターゲットとして、改良していくような設計思想で開発を進めています。そういった前提を踏まえた上で、何とかサイズもコンパクトにして、なるべく視差が出ないような構成として、Z1は最終的に二眼三回屈曲光学系としてまとめたというわけです 」

▲Z1の内蔵部が把握できるスケルトン・モデル。

 

ーー開発のコンセプトにおける比重としては、やはり、その光学系の部分というところが特に大きいですか?

佐藤「僕のスタンスとしては、最初に決めるのは、CMOSセンサーの選定から始めます。Z1の開発のスタートと言うと4~5年前の話になりますが、その時には選定できるセンサーもあまりないし、高解像度で高感度なものと言うと、センサー自体を大きくする方向性しかない。今みたいにスマホ向けの小型のセンサーで高画素のものなどはなかった。あっても買えない。選択肢が少ないという状況でした。現実的に購入できるものはデジカメ用のセンサーで、これを使えば良い結果が得られるだろうとういうもの、それが1.0型のCMOSセンサーでした。それに合わせてレンズの方も設計して構成していきました。それがSを出したすぐ後です」

▲Z1では、Vの1/2.3型イメージセンサー(写真:右)から、4倍以上大きい1.0型裏面照射型CMOSイメージセンサー(写真:左、撮像素子の有効画素数約2000万画素)が採用された。出力画素数は、これまでの1200万画素から2300万画素にアップしたが、センサーが大型化されたことで、1ピクセルあたりの面積は従来のおよそ2.4倍程度となっている。その結果、S/N比が向上、ノイズが低減し、低照度の撮影に有利になった。ダイナミックレンジも拡大し、白飛びも抑えられている。

 

ーーそれは時間をかけた壮大なプロジェクトでしたね。

佐藤「もっといいものをつくりたい。もっとみんなが満足するものをつくりたい。多少高くても満足して、納得してくれるユーザー層は一定数いる。そういう思想で Z1をつくりました。まあでも、なかなか売れないこともあるので、それはどっちの方向性で行くかはまだわかっていないところがあります。まだ模索中です」

 

レンズユニットについて

ーー今回のZ1は開発において、色々と苦心されたと思うんですけれども、その最たるものが光学系、レンズユニットではないかと考えます。レンズの構成や部材について、教えていただけますか?

佐藤「もともとスタートは、Z1の企画がない段階から、次はこういうのがやりたい!と言う、私の勝手な提案から始まったんですよ。前機種も製造のばらつきが収まらないなど苦労しているのがわかっていたので、それを踏まえて、さらに難しいだろうというのがあって、実はこの光学ユニットだけ別テーマとして開発がスタートしているんですね 。本体の開発が始まる2年前から光学系レンズの設計だけ、試作品づくりがスタートしています。その頃からレンズの構成は変わっていないのですけれど、14枚のガラス部品の内、ガラスモールドが6枚入った構成となっています。初号機の最初だけプラスチックモールドを使っていて、あまり市場の受けが良くなくて、やはり画質に影響が出るねという声が多かったので、SやVやZ1については、すべてガラスモールドを使用して、ちょっと高いですけれども、それで構成しています」

ーー今回、Z1にターレット型の絞り機構が入りましたけれど、そのあたりは、どういう意図によるものでしょうか?理由は、いくつかあると思うのですが。

佐藤「それはもちろん絞りをいじることによって、ゲイン以外の方法で、光の制御をしやすいとか、そういった効果が得られる。そういうことがあるんですけれども 、そもそものモチベーションには、全天球カメラに絞りが載っているカメラは存在しないから、搭載したら面白いのではないか、というチャレンジングな発想がありました。とても載せられないようなスペースに対して、挑戦的に載せていこうということ。実現させて、周りに載せてやったぜ!と言ってみたかったのです (笑)」

▲Z1のレンズユニット。Vのレンズの絞り値はF2.0のみであったが、Z1ではF2.1、F3.5、F5.6と、3段階のターレット型の絞り機構が実装された。

 

ーー入れたことによる実際の効果をどのように評価されていますか?

千秋「撮影条件は広がったと思いますよ。明るすぎるとか、暗すぎるといった部分を光学系で吸収してくれるので画像処理は楽になっています」

清水「今まで撮れなかったもの、撮るのが難しかったものを次の機種では撮れるようにしたいね、というのがありました。その手段の一つとして、絞り機構の搭載を選択しました。明るさの制御であるとか、フリッカーの対策、パープルフリンジの抑制などに有効だと思います」

 

 

二眼三回屈曲光学系について

ーーTHETAでは、プリズムを使って入射した光を90度曲げる屈曲光学系を採用することで、レンズ間の距離を短縮して、視差を少なくすることを実現してきましたね。THETAの代名詞ともなった屈曲光学系ですが、他のデジタルカメラでも使われている例はありますよね?

佐藤「昔のデジカメでは結構ありますね。防水用のコンパクトカメラでは、ほぼ全てに使われています」

清水「弊社のモデルですと、リコーG900やWG-6などで採用しています」

佐藤「二眼屈曲光学系は、最近では他社の360度カメラでも使われているようですね。ただし、安価なものや大きくなってもいいと言う発想だと、ストレートな光学系を採用しているようです」

ーーイメージセンサーやレンズに小型のものを採用している場合や、逆に筐体が大きいものは、ストレート光学系にしたり、センサーやレンズの配置をずらしているものがありますよね。屈曲させることで、苦労する点はどこですか?特にZ1では狭い内部に大型の1.0型のイメージセンサーを二基搭載させるために、新たに二眼三回屈曲が採用された訳ですが。

佐藤「屈曲はプリズムを使うんですが 1回屈曲すると光路が短くなる分、感度や性能に与える影響が2倍きつくなる。1つプリズムを入れると2倍きつくなるので、それがZ1では3個入っていますから…」

 


▲フロントとリアに3つずつ、計6つのプリズムを実装。入射した光を最初に横、次に下、そして、最後に内側へと、3回光軸を曲げて、 イメージセンサーに到達させる二眼三回屈曲のアクロバティックな仕組みが実現された。

 

ーーやはり、開発には試行錯誤や紆余曲折があったんですか?

佐藤「そうですね 。設計自体はここに入れるためにどういうふうなパワーバランスを持たせるとか、どのようなレンズ形状にしようかとかあるんですけれども、やはり、辛いのはモノづくりになってくるので。しかも結構な部品点数がある中で、それを突っ込んでいくというところですね。正直、最初につくった試作機は画がボロボロでした。出来るだろうと思って、時間をかけてつくってみたけれども、全然、画がでなくて…。1点1点の部品の解析から始めたぐらいですね。どの部品が出来てないんだろうと 」

ーー屈曲光学で得られる光学性能のメリットとは、具体的にはどのような点になりますか? 

佐藤「レンズのMTF解像ですね。光は直進して進んでいくわけで、それを曲げるとそれなりに影響を受けるわけです。光学全長の短い中で光線を曲げるためには、レンズによって急激に曲げなければいけない。それに対し屈曲を用いる事で全長に多少の余裕が出来て、光線をゆっくり曲げていくことが可能になるので、解像の劣化としては抑えられる。その分、他の影響もあるんですけれども」

ーーメリットとしては解像感と、視差が少なくなるということですよね。デメリットは光が減衰したことから、ノイズが発生してくるというようなことですか?

佐藤「そうですね。ストレートよりは光を吸収する部品などが多くなるので、明るさ的にはちょっと不利ですね。感度の高いセンサーを採用したのに3回屈曲して効率が落ちてしまうので、S/N比的にはもったいないです」

ーその分は画像処理で対応すると言うことになるわけですね。

佐藤「そこは一つのポイントで、3つプリズムが入ったことというよりは、今回複雑な光学系になったので、個体によって色収差の出方とか、シェーディングの出方とかが、製造のバラつきとして出てしまう。これは設計上仕方がないのですが、そこは解像を優先するために犠牲にしました。個体ごとに特性が変わってしまうので、工場側で調整する仕組みを入れています。そのあたりのキャリブレーションはZ1で新たに入れていますね」

 

赤玉やフレア、パープルフリンジの問題解決

ーー今回のZ1ではVまでの機種で撮影時に発生していたいわゆる“赤玉”と言われるゴーストが消え、パープルフリンジも軽減しましたが、それぞれどんな対策を施しましたか?

佐藤「赤玉の対策には、世界初の超薄型吸収&反射ガラス。フィルターの一種ですが、これを見つけてきて採用しました。それを入れないと出てしまうので、試作の途中からこういう新しいものを投入しました」

ーーそもそも、なぜ赤玉が出るのですか?

佐藤「プリズムは関係なくて、単純にレンズの構成で出てしまうのです。コートの特性を触れば赤玉を消すこともできるのですが、社内で検討した結果、これまでは幾つか発生するゴーストの中で赤玉を選んだと言う訳です。リコーはゴーストに関するシュミレーションソフトが充実していて、オリジナルのソフトを駆使しました 」

▲Z1の画質面の大きな改善点としては、ゴーストやフレアが低減されたことだ。太陽光の侵入によって発生する“赤玉”がなくなり、パープルフリンジもほとんど抑制されている。

 

ーーパープルフリンジのほうは、どのような対策を施しましたか?

佐藤「パープルフリンジについては、色収差とスポットの広がり(スポットボケ)が要因となって発生していました。それはSを出した後に解析をして判明したのですが、低屈折率の高分散ガラスを使って抑えています。異常分散ガラスとも呼ばれる蛍石のガラスで、高価ですけれども、色収差にはすごく効果があるので使っています。取り扱いが難しいものなので、入れるところを考えて、気をつけて入れています 。どこにでも使っていいわけではないので」

ーー私は以前はAdobeのLightroomの現像処理で色収差を低減させていましたが、Z1から得られた撮影データではパープルフリンジがほとんど目立たないので、その作業はやらなくて済むことが多いですね(笑)

清水 「そう言っていただけると、うれしいですね」

千秋「さらにソフトウェアでも倍率色収差の補正やフレア補正をおこなっています。特に倍率色収差補正は、Vではステッチの画像変換のときに処理していましたが、 Z1ではもっと前段階で補正処理をおこなうことによって、画質の劣化が少なくなっていますし、処理時間も早くなっています。Vはバージョンアップで、Z1と同じ処理になるようにフィードバックしました」

 

画質の向上、画像処理について

ーー画質を向上させるために、Z1では何をしましたか?

千秋「まず撮影後のフローとしては、デュアル・フィッシュアイを出して、それをステッチして、エクイレクタングラー(正距円筒図法)に変換して、天頂を合わせるために回転処理をします。それこそ、THETAの初期の検討段階では、エクイレクタングラーの前に、違う投影法に変換するというプロセスもありました。Vの初期も変形が多めでした。デュアルフィッシュアイから、エクイレクタングラーにする際に、画像の端の方の部分を伸ばすのですが、それを一回にすれば劣化を防げることになります。静止画の処理では、そのカメラ内での変形処理をまとめて一回にして画質劣化を防ぐということをやっています。いずれ動画でもそのようにできればと検討しています」

ーー測光方式はどうなっていますか?

千秋「マルチ測光と同じような事をやっています。AE担当者が、フロントとリアで二眼差(露光の差)をつけたりして、工夫してくれています。その間は違和感がないように補間する処理を入れて、ダイナミックレンジを稼いでいます。通常の撮影では、デフォルトの状態で、ユーザーがTHETAを逆に向けてる場合は、その前後を自動的に判断しています」

北條「AEに二眼間で差を付ける処理自体は、従来機種から入れています。Vまでは小型のイメージセンサーでノイズに弱かったので、フロントとリアで極端にノイズの出方に違いが出ないように工夫して制御していました。基本的にZ1でもその考え方は踏襲しています。AWBも二眼間で相互に情報をやり取りをして最適なパラメータを決めますが、これも従来機種から踏襲した考えです 。Z1で新しくやったことと言うと、ダイナミックレンジ補正(以後、DR補正)をモードを切り替えることなく、自動的に有効にするという制御を入れています。Z1ではイメージセンサーが1.0型になりノイズにすごく有利になったので、デフォルトの状態から入れることにしました」

ーーDR補正は以前から選択できましたよね?それとは違うということですね?

「撮影シーンに応じて自動的に効果を切り替えています。また、任意のDR補正も変わらず選択できますが、従来機種よりも効果を強くしています」

 

独自のステッチ・アルゴリズムについて

ーZ1ではステッチについて、見直した点などはありましたか?

吉田「実は初代THETAからZ1まで、ステッチのアルゴリズム自体は大きく変わらずに、現在も踏襲しています。Z1はステッチで探索する範囲が増えましたが、基本的にはVやSと同じです。VからZ1で何が変わったかと言うと、これはあまり言っていないのですが、処理の高速化を行なっています。今までのアルゴリズムに対して、時間がかかっているところを確認した結果、例えば、テンプレートマッチングで視差のズレ量を検出する処理があり、そういったところに時間がかかっていました。そこで、処理方法を変更して高速化したので、Z1でステッチ処理が従来よりも50%ぐらい速くなっています。 時間が短縮されたことにより、静止画の撮影間隔も速くなりましたので、操作感も軽快になったのではないでしょうか。Vも今はファームアップで処理が速くなっています」

ーー滑らかなステッチを実現するために、リコー独自の”動的つなぎ処理”を開発されたのでしたね? THETAで採用している“静的つなぎ処理”と、“動的つなぎ処理”について、詳しく教えてください。

千秋「静的つなぎ処理とは特に何もしないで、ある程度の距離のところで全部の距離を合わせて、ステッチを行うというものです。これに対して、動的つなぎ処理とは、つなぎの部分を複数領域にブロック分割し、ブロック毎に画素の特徴点を抽出して合わせ込んで、視差によるステッチズレが目立たないように、それぞれが合うように処理をしています。同時に明度や色味、レンズの収差なども調整します。

Z1の静止画はTHETA内で動的つなぎ処理でステッチしています。一方、動画の場合はTHETA内で動的つなぎ処理をすると時間がかかってしまい、またスマートフォンのSoCだと処理が複雑で対応できないため、いずれも静的つなぎ処理を行なっています。PCのアプリで後から変換する場合には、動画でも動的つなぎ処理でステッチすることが可能です 」

 

▲リコー独自の”動的つなぎ処理”のテクノロジー。ちなみにステッチの最短撮影距離は、Vが約10cm、Z1は約40cm。

 

ーー動画については、PCアプリでステッチするほうが、品質が高いと言えるわけですね。それでは、特にステッチの苦手なシチュエーションはありますか?

千秋「やはり、苦手なのは、繰り返しのパターン。タイル状、格子状のパターンですね。あとはつなぎ目の部分に、遠点と近点が混在している状況ですね」

ーーステッチ処理について、高速化の他にZ1で新たに改善された点はありますか?

吉田「真下を正確につなぐモードがファームアップで追加になりました」

ーー静止画撮影時に、”カメラ写り込み軽減”をオフにできる機能ですね?

Z1発売後の7月2日には、本体のファームのバージョンアップ(バージョン 1.11.1)により、“カメラ写り込み軽減”のモードが追加された。

▲底面部の写り込み軽減の比較。発売当初は“カメラ写りこみ軽減”のモードは、デフォルトでオンであったが、ファームアップでステッチの精度を優先したい場合、任意にオフにすることができるようになった。

 

吉田「もともと本体の写り込みを気にするお客さんが多かったので、それで写り込みを軽減する思想が、THETAには脈々と受け継がれていました。その一方で、ちゃんと真下をつなぎたいというお客さんの声も増えてきました」

ーー底面が上手くつなげないという問題は、なぜ発生していたのでしょうか?

千秋「Z1の筐体の厚みが増えて、想定した以上に底面が写っていなかったのです。欠損が大きくて、歪みというか、ステッチの失敗が大きかった。単純に下が見えないので、うまくつなげなかったわけですが、真下の使える領域をフルに活用するアルゴリズムに変更したので、ステッチが改善しました」

 

▲“カメラ写りこみ軽減”のモードをオフにすることで、真下(底面)を正確につなぐことが可能になる。10月24日に実施されたファーム1.20.1のバージョンからは、さらにステッチが最適化され、精度がより改善された。

 

ーー近年、オプティカルフローによるステッチ処理のアルゴリズムを実装しているメーカーもありますが、THETAに採用する可能性はありますか?

北條「通常、画像処理でオプティカルフローと言うと、複数画像を用いて、被写体あるいはカメラの動きを推定するものです。個人的にはこの考えは動画には適用できると思いますが、静止画に対しては検討はしていません。静止画では、他社製品でも動的なステッチ処理を行うものが出てきていますが、カメラ内で処理を完結させる手軽さや、ステッチエラーの少なさなど、画像品質も含めて弊社のアルゴリズムは優位性があると考えています」

 

動画性能について

ーー現在、コンシューマー向けのVRカメラでも、動画の撮影可能なサイズが、6K近いものや8Kのものが出てきています。THETA Z1の動画の4K/30pというスペックはどのようにお考えでしょうか?

清水「ユーザーの閲覧環境が整っているかどうかは、重要なポイントだと考えています。大容量の映像をスムースに見られるデバイス、環境が無いとなかなか拡がっていきませんので、今後も市場の状況を見ながら判断していくつもりです」

ーー動画性能において、他社のカメラと比較した際の優位性を、どのようにお考えですか?

清水「1.0型の裏面照射型CMOSイメージセンサーを搭載しているので、高感度でもノイズが少ないです。360度カメラは低照度の撮影に弱いものが多いので、そういった点では圧倒的な優位性があると考えています」 

▲低照度の環境下の動画テスト。Z1とVの暗所性能比較。

▲Z1とVの暗所性能比較その2。Vでは最高感度は動画とライブストリーミング時のみISO6400まで、それ以外のモードでは3200であったが、Z1では全ての撮影モードにおいて6400まで可能となり、Vと比較して高感度時のノイズ発生が1段程度低減されている。そして、遠点のデティールの描写など、解像感が上がっているのがわかる。

 

北條「出力解像度を例えば6Kに近いものにするとか、HDR用に10ビットの深度で記録するとか、その辺は選んだSoCの性能に依存します。技術的にはZ1に使用しているSoCでも、LOGガンマなら実現できる可能性はあります。Z1のビットレートはVと同じで、4Kの場合は56Mbps又は32Mbpsと2つの設定を選ぶことができます。編集前提の場合はそれでも低く、100Mbps以上欲しいというご意見もいただいていますが、これも技術的には可能ですので、今後の要望次第では検討していきます。そして、Vと比べて違う点としては、DR補正が動画にも入っています。ハイライトのレンジが1Ev程度違ってきます」

 

Z1 4K/30pで撮影して、YouTubeにアップロードした360度動画。

Z1 4K/30pとV 4K/30pで撮影したデータの描写の比較動画。

 

回転ブレ補正について

ーー動画のブレ補正は、カメラ内の3軸の加速度センサーとジャイロセンサーによって得られた情報をもとに、回転ブレ補正を施していると思います。Z1やVでは2つの方式が用意されていて、デフォルトでは、常にフロントカメラが正面に追従する形でブレ補正を施す、もう一方は、最初に向いた方向を固定して補正する(Insta360が採用している方式)というものですね?

北條「デフォルトで採用しているのは、フロントレンズが常に正面になるように、映像が追従していくスタビライズの方式です。もう一方は、デベロッパー向けに出しているAPIでのみ可能なのですが、最初に向いた方向を固定してスタビライズする方式です。これを使用するには、PCやスマホからTHETAに対してAPIを叩くパターンと、もう一つはTHETAの中にあるプラグインを開発してもらって、その中でAPIを叩くパターンがあります。後者の方ですと、開発者モードにして、自分でコードを書いて開発する必要があります。 外側からAPI を叩く場合は、公開されているAPIを叩くだけなので、誰でも使うことはできます」

 

▲歩行時のZ1の回転ブレ補正。同じ撮影データであるが、パソコンの基本アプリのアップグレードにより、補正効果に改善が見られ、ブレが低減した。

 

▲走った際のZ1の回転ブレ補正の比較。

 

RAW(DNG)現像とプラグインについて

ーー今回、Z1の静止画において、初めてRAW(DNG)データがサポートされました。現像作業のワークフローの中で、Adobe Lightroom Classicにプラグインのステッチャーを実装できるようになりましたが、このコンセプトについて、お聞かせください。

北條「開発当初は、RAWを現像して、ステッチして…というワークフローの煩雑さがTHETAらしくないのではという考えもあり、RAWの実装には反対でしたが、新しい光学系と1.0型センサーを搭載して、画質が大幅に良くなったことで、自分で現像して絵づくりをしたいと考えるユーザも確実にいるだろうと言うことになり、本格的に対応することにしました。最も大きな課題は、ユーザのワークフローとして、現像された画像データをどうやってPC/Macでステッチさせるかという点でした。PTGuiなど定番のステッチソフトもありますが、RAW現像は経験があるが全天球カメラには初めて触れるような、パノラマの作法は分からない方に向けて、簡単にステッチができるようにプラグインを用意することにしました。ステッチのアルゴリズムは、THETA本体に搭載されているものをPC/Mac用に移植する形でしたので、この部分の開発の難易度は大きくありませんでした。このプラグインをどのプラットフォームで動かすか?どういう形で提供するかを一番悩みました。Photoshopは制約があり、使いにくいインターフェースになってしまうことが分かり、最終的にはLightroom Classicから起動できるプラグインにすることに決めましたが、もちろんLightroom Classicをお持ちでないユーザもいるので、別のプラットフォームでも動くような対応は考えていきたいと思います」

 

Adobe Lightroom Classic CCとRICOH THETA Stitcherのインターフェース。RAWデータを利用する大きなメリットは、ステッチする前の画像に対して、非破壊で画像編集ができる点だ。RAWデータであれば、作業の領域が広がり、手直しも容易である。Z1の発売に伴い、リコーからはLightroom Classicに実装できるプラグインとして、RICOH THETA Stitcherがリリースされたので、RAWデータの画像の調整からステッチまで、一貫して作業ができる。Stitcherでは天頂や方位、ステッチの距離などを調整することもできる。

 

 

 

その他の気になるポイントについて

ーー筐体の排熱対策はどうなっていますか?

北條「4K動画撮影の場合は発熱が大きくなるので、Vと同様にケアをしていますが、Z1はセンサーが1.0型になって、センサー周りが従来の倍以上の電力を食うようになっています。尚且つ、フロントとリアのセンサーが物理的にすごく近いところにあるので、大きな発熱源になっています。センサーの発熱を金属のカバーを通して空気中に逃がすために、グラファイトで接続されていたり、SoCの発熱に対しては放熱だけではなく、蓄熱を目的とした部材があり、それ自身が熱を溜め込んでいく構造になっています」

佐藤「カバーを金属にした理由は、THETAの最薄のところが0.3ミリの肉厚なので、プラスチックで構成できなかったからです。他にも、放熱に有利だったり、高級感があるので、金属の部材で構成しようと決めました」

 

▲Z1の構造図。

 

▲Z1の金属製のカバー。THETAでは初めて、外装の部材に金属(マグネシウム合金)が採用され、堅牢性と高級感が感じられる。

 

▲2.4GHzと5GHzの無線LANとBluetooth対応のFPC(フレキシブルプリント回路基板)アンテナが配備されているために、上部のみ樹脂が用いられている(FPC基盤は小型化にメリットがある)。

 

ー使用していると実感するのですが、Z1はバッテリーの消耗が早いのではないでしょうか?

北條「結果としてトータルの消費電力は、Vよりもかなり増えましたが、熱対策の効果で連続動作時間の観点から言うと長くなっています。Z1の場合は、電池残量が1%刻みでOLED(有機EL)のディスプレイに表示されるようになりましたので、体感的に”消耗が早くなった”感じがするということもあると思います」

 

▲撮影情報やバッテリーの消耗が、スマホのアプリなしでも把握できるOLEDのディスプレイ。

 

ーー空間音声については、改善されていますか?

清水「マイクの素子自体はVと変わりませんが マイク基板と接続ラインを短く変更したり、金属筐体の影響を考慮して、マイクの穴と外との間のスペーサーなどの構成を工夫したりすることで、音質を向上させています。マイクの位置に関してはいくつかのパターンを検討して、一番特性が出やすい位置を選択していますので、Vよりも上下左右の音の方向が分かりやすくなっています」

▲マイク穴。Vで実装された空間音声は引き続き対応しているが、4つのマイクの位置は変更され、ボディの正面と背面に2個ずつ配置された。

 

ーーストレージについてお尋ねしますが、メディアが入らない構造というのはどうなんでしょうか?内部ストレージを選択している理由はなぜですか?

清水「初代THETAから続く一つの理想として、大容量のファイルを高速で簡単に転送できるUXを目指しています。無線LANの5GHzに対応したり、スマートフォンの基本アプリで“簡単無線接続”のUIを導入したりしていますが、まだまだ理想とは隔たりがありますので、今後の課題と考えています。一方、現実的なところでは、Z1は大型イメージセンサーによって筐体も大型化している上に、外付けストレージにするとさらに数ミリ単位で大きくなることが分かっていましたので、THETAのコンセプトである薄型・ポケットサイズと言うことを優先させ、搭載を見送っています。内蔵メモリーの容量を大きくする方向性もありますが、今回は性能と価格のバランスを見て、Vと同じ19GBを採用しました。また、プラグインで“USB Data Transfer”も用意していますので、沢山撮られる方は、そちらも利用してもらいたいと思っています」

 

THETAの課題と、これからについて

ーー現在、THETAの直面している課題とは、何でしょうか?

千秋「まだまだ画素数が足りないんですよね。拡大して見るので、4K、8Kといっても、全体で全然足りなくて。拡大して見た時に何画素あるかということで、見せなければいけないカメラだと思っていますが、画素が増えていきますと、処理は比例して重くなっていきますよね。それに見合ったハイスペックなものを狙っていかないと、いけないのかなと思います。割り切って安いものも結構出てきているじゃないですか。ああいう視点を変えて360度を見せるというのも有りだと思うんですけれども、やはり切り取ってみて、そこでもちゃんと見せられることが大事かなと思います」

ーーそれでは、最後にこれからのTHETAの目指す方向性を教えてください。

千秋「スタビライズの性能アップはもとより、動画の変換など、処理時間の高速化や、ボタンを押した時のシャッター間隔などを、ファームアップで、より改善していきます」

佐藤「Z1は完全に静止画に振りました。僕だったら次の機種は、動画に振ります。その方式はこれから考えます。画素数を上げるというだけの方向性ではなく、いい画質、いい動画性能にしたいですね」

清水「360度映像の使い方はまだ確立しておらず、コンシューマー向け、ビジネス向け、それぞれにおいて今後さまざまな可能性があると考えています。高画質や使いやすさをTHETAとアプリの進化で追及するとともに、これからも360度映像の新たな価値を提供し続けたいと考えています」

 

360度VRカメラの開発には、ステッチの精度、視差の解消という大きな命題がある。その他、カメラ本来の持つ問題がせめぎ合い、難題との戦いの連続だ。今回のインタビューを通じて、THETA開発の背景には、ものづくりにおけるフロンティアスピリットと、リコーのカメラメーカーならではのこだわりを改めて実感した。Z1は静止画の性能を追求したモデルであるが、動画撮影においても、S/N比やダイナミックレンジの向上はもちろん、赤玉などのゴーストやフリンジの低減は、ポスプロ編集時に取り除きにくいので大変有利だ。また空間音声についても、オリエンテーション(方向)を合わせ直す手間が省けることは、大きなメリットと言える。記事内で紹介した以外にも、度度のアップグレードにより、「手持ちHDR」他、様々な機能追加、性能改善が見られたが、今回の記事では重要なポイントと主に動画撮影に関わる部分を取り上げている。筆者の要望としては、解像度やビットレートの増強の他、録画時に低解像度でもプレビューが出来たり、ブレ補正がさらに向上すれば、動画撮影のアドバンテージがより高まると期待している。

 

(敬称略)

 

●リコーTHETA Z1 製品情報

https://theta360.com/ja/about/theta/z1.html

 

●筆者プロフィール

染瀬 直人

映像作家、写真家、VRコンテンツ・クリエイター

2014年、ソニーイメージングギャラリー銀座にて、VRコンテンツの作品展「TOKYO VIRTUAL REALITY」を開催。YouTube Space Tokyo 360ビデオインストラクター。Google × YouTube×VR SCOUTの世界的プロジェクト”VR CREATOR LAB”でメンターを、また、デジタルハリウッド大学オンラインスクール「実写VR講座」で講師を勤める。「4K・VR徳島映画祭2019」では、アドバイザーを担う。著書に、「360度VR動画メイキングワークフロー」(玄光社)など。VRの勉強会「VR未来塾」を主宰