8月1日と2日の二日間、名古屋の同朋大学において、中江裕司監督(現在、最新作『真夏の夜の夢』が公開中)の指導のもと、小学校3年生から高校生までを対象にした映画のワークショップ「スクールシネマワークショップ」が開催された。
主催:なごやえーぞー実行委員会、同朋大学
中江監督は、2009年に同朋大学客員教授に就任。
春休みにも同様のワークショップが開催され、今回は第2回目となる。
第1回目は、1日で企画から撮影、編集、上映まで行なったが、第2回目の今回は、
2日にわけて開催された。
参加は名古屋近辺の小学生から高校生が約20名ほど。
まず1日めの午前中に班分けがあり、
ドラマを制作するA、B班とドキュメンタリーを制作するC、D班に分けられた。
中江監督から提示された全体のテーマは「愛」。
何を作っても自由だが、常にテーマから外れていないか立ち返るようにと指示があった。
こどもたちはちょっと困惑気味だ・・・。
まずはカメラとマイクの使い方を大人のスタッフから簡単にレクチャーされる。
カメラは各班にパナソニックの業務用AVCHDカメラAG-HMC155とマイクブームとガンマイクがセットが与えられ、基本的な操作をマスター。
次にA班とB班は、監督ストーリー自体からみんなで話し合って、作るところから始まる。いつ、どこで、誰が、どうした、ということを全員が出し、プロットを決め、セリフを決めていく。当然、絵コンテまではない。プロットが決まったA班はドラマの中で使用する時計を段ボールで自作し始めた。
ドキュメンタリーのC班は中江監督から愛は愛でも「深い愛」を撮るようにという指示を受ける。具体的には、その子供たちにとって一番身近な親からの愛をテーマに、メンバーの親のところにいって、愛について訊いてくるようにという指令が出た。
もうひとつのD班は、「たくさんの愛」。街に出て、カップルに直撃インタビューして、二人が恥ずかしそうにしている様を撮れという指令。最後に、愛の証として、往来でキスをしてもらうこと。最低10組は撮るようにとのこと。
午後からは実際の撮影になる。監督、カメラ、音声、役者すべてを自分たちで行う。大人はあくまでサポート役に徹する。
二日目は、初日の収録状況を見て、足らないカットを撮影していき、すぐに編集に入る。編集は大学の教室内にあるアップルのFinal Cut Proで行なった。さすがにここは大人のサポートスタッフがオペレーションはするが、全員が参加し、とくにドラマ部門は「監督」の指示が優先される。ここで中江監督が途中段階で全作品をチェックして、指示を出していく。「ここでは最後に音楽を入れよう」というアドバイスで、実際にピアノを弾ける子が、大学にあるピアノを弾いて、それを収録。カットポイントなどもアドバイスによってぐんぐんよくなっていく。タイトルは、子供たちが書いた黒板の文字を撮影。つまりすべて素材は手作りである。テロップ、ナレーションはいっさいない。
一通り完成すると、今度は上映会の準備に入る。ポスター制作から役割分担までその場で決めていく。映画は公開上映して、お客さんの反応をもらって初めて成り立つものという中江監督の考えからだ。
上映会は二日目の夕方から大学内のホールで、父兄や一般のかたまで招いて行われた。作品は4作品とも力作。ドラマはとてもその場で集まった子供たちがストーリーから考え出したとは思えない凝った展開。ドキュメンタリーの2作も、決して予定調和ではなく、いい表情や発言をうまく引き出すことに成功していた。
中江監督のワークショップは名古屋だけでなく、各地で開催されて評価されてきたが、その最大のポイントは、子供たちが作った作品に見応えがあること。今回の4作品も見事に、感動作に仕上がっていたのが不思議だった。たった二日間で駆け足で作ったものでも、なにか魔法がかかったように「作品」になっている。取材した記者も思わず目頭が熱くなってしまうような記憶に残るようなシーンがちゃんとあった。あらためて映画とは何なのだろうと思わされるような体験で、子供だけでなく、参加した記者や大人のスタッフにも得るものがあったと思う。
◆中江裕司監督のインタビュー
スクールシネマワークショップの初日終了後に特別に時間をとっていただき、中江監督にお話を聞きました。
――学生時代に8ミリで自主制作をやられていたそうですか? 当時はこういった類のワークショップはありましたか?
いや、なかったですね。あったとしても、僕は知らなかったですね。
――では、どうやって映画作りを学んでいったんですか?
完全に独学です。僕は撮るところから始めたのですが、大学生の頃、まず親がもっていて使わなくなった8ミリカメラがあって、それで勝手に撮ってたんですよ。シナリオの書き方も何も知らなかった。最初は、撮っていて、どこで止めたらいいのか、それすら分からなかったですね。当然カット割りもわからない。だから同ポジで撮ると、なんでつながらなくなってしまうか、分からない。そんな状況でしたね。
――今回のワークショップで子供たちの様子を見てると、カット割りの感覚がある子が結構いますね。
はい。そうですね。それはテレビとかを見慣れているからでしょうね。
――中江監督が中高生の頃は、映画に興味があったのですか?
特に、映像、映画というわけではなくて、モノを作るのは好きでしたね。漫画を描いたり、文章を書いたり、写真を撮ったり。でも、映画はやっていなかったですね。なかでも特に漫画が大好きで、漫画少年でしたね。
――それが今の映画制作にいきている部分はありますか?
完璧にありますね。ものすごく影響を受けていますね。樹村みのりさんという漫画家からの影響はあると思いますが、まず、映画関係の方々は知らないですね。高校一年くらいかな、樹村みのりさんの『贈り物』という作品で、その中で「目に見えるものがすべてじゃないのにね」というセリフがあるのですが、それがずっと僕のなかに残っています。実は最新作の『真夏の夜の夢』もそれを考えながら作ったんです。
――中江監督は独学で映画を始められたわけですから、何かしら今回のようなスクールがあったほうがよかったのに、という思いはありますか?
その気持ちはあるのですが、僕自身学校の勉強は好きじゃなかったので、学校みたいなものがあっても仕方がないかなと。だから、このスクールシネマも学校の勉強のようにはしたくない。サークルみたいなモノであればいいなと思います。今、同朋大学で教えているのも、サークルみたいなのりで単位がとれればいいなと。
――ということは、座学というよりは実践的な内容なのですか?
完全に実習ですね。座学は一回もやってないね。ふつうは座学をやってから、実習をやるじゃないですか? 映画に関しては逆だと思います。実習をやって身をもって体験してから、座学をやるとなるほどと理解できることが多いと思うんですね。クリエイティブなことは体で会得することですから、映像の実感をつかんでから話をきけば、頭への入り方も違ってきますよ。
――こういった子供向けのスクールは以前からやられていたのですか?
金沢でやったことがあります。4年くらい前。東京でやって、川崎でやってという感じですね。まず最初に金沢でやったワークショップがたぶん好評だったと思うのですが、作った子供たちの映画が話題になったんですね。それで各地で「あ、2日間でもこれだけのものができるんだ」ということで、始められるようになりました。今、どんどん増えていますよ。まず最初は私がやるのですが、あとは次の人に任せたほうが、おもしろくなるはずです。やる人によって、やり方が全然違いますから、そのほうが、子供たちもおもしろいでしょう。同じことはできないですね。
――今回のテーマは「愛」で、ドキュメンタリー班に与えた指令というのも前もって用意されているのですよね。
はい。考えています。でも全部の場所で、僕の与えるテーマは「愛」です。愛以外のテーマはないですね。僕、すべて映画の根底にあるものはそれではないかと思っているんですけどね。子供たちが愛について考えるのって、なんかいいかなと思います。友情だと分かりやすすぎるじゃないですか? 愛は、ちょっとエッチな感じもあって、想像たくましくもしますしね。
実は最初は漠然とした感じで「愛」というテーマにしたのですが、それを子供たちに与えることで、本気で考えてくれたので、いいテーマだということに気づかされましたね。カップルにインタビューしてキスさせるというのはずっとやっています。コミュニケーションをとらせる入門編としては一番いい。漠然と君たちの好きなことをやってごらんではだめなんで、刺激的なことをやっていかなければならない。
――ドラマにしても、その場でプロットを考えて、撮らせるわけですから子供たち大変ですね。
あれを時間をかけてやらせると、大人が作るモノに似てきてしまう。本来は映画って絵コンテも必要なくて、自分が思うようにやらばいいと思うんです。そういった原初的な作り方に近いものにしたいという気持ちがあります。
テーマを決めたり、時間制限はしますけど、やり方はあえて言わないようにしてます。こんなことをやったらおもしろいよとはたまにいいますけど。普通はこう撮って、こうまとめるとおもしろいよ、とアドバイスすると思うのですが、それは大人のやり方を教えることになって、子供はそれをなぞってしまう。そうなると映画がおもしろくなくなる。
基本的におもしろい作品が増えればいいと思っています。そのことが結果、映像をやる人が増えることにつながればいいのです。専門学校的に技術を教えて、こうやらなければいけない、という人を増やすのではなくて、自由に発想できる人を増やす。
脚本だって、本来であれば、今回のようにみんなでプランを出し合ってということはないのですが、物語って適当にパズルのようにはめていって、それでおもしろくしてしまえばいいわけじゃないですか? その場で変えていってもいいわけだし。ただ、テーマは愛ですから、そこに愛があるかどうか、立ち返ることが重要ですけどね。
――このイベントでは2日間で企画から撮影、編集、そして上映まで驚くべきスピードで進んでしまったのですが、自主制作で映画を作っているっている人は多いと思いますが、なかなか完成しないということがありますよね。
何をもって完成かということですよね。完成というのは公開ですよ。どんな映画でも公開を前提とすべきです。
――なるほど。だから今回のイベントも、最後はばたばたでしたけど、どうしても上映会が必要だったわけですね。しかもポスターまで作らせて。発表会を重視していますね。
そうです。そうしないと映画は完成したことにならないと思います。そうしたら強制的に完成することになります。自分たちが作ったものがどういう結果だったのかということは、自分たちだけで見ても分からなくて、お客さんと一緒に見ることでしか分からない。自分たちの映画に笑ってくれて、という体験ってなかなかないですよ。そういうことがあって、映画の完成と言えるのではないでしょうか?
映画というのは、みんなで一つの画面を見つめるということですから、そのことはこのワークショップの前提になっていますね。しかも、公開は別会場で晴れの舞台ですから。
僕は頭の中がすごくプロフェッショナルなのかもしれません。経過が楽しいわけでなくて、お客さんに何を見せるかという結果にこだわっている。
観客は不特定多数でなくてもよくて、家族でもいいかもしれない。その家族を喜ばせることができるかという観点で作ることが必要ですね。自分のためだけじゃなくてね。
――ちなみに中江監督はホームムービーというのは撮られているんですか?
僕は撮らないですね。映画監督でも撮る人と撮らない人がいますね。子供の記録も一切ないですね。僕はビデオカメラももってないですし、写真もほとんど撮らない。記録ということも怖いところも知っているので。
――というのは?
記録ってその人の最上の状態を撮ろうとするじゃないですか? 最上の状態というのは撮られた人は、撮られてからの人生はいい人生を生きられないんですよね。そのことが僕はすごく怖いので、撮りません。たとえばドキュメンタリー撮るときなんて、それこそ「殺してやる」と思って撮ってますからね。つまりこの人の人生の最高のところを撮って、その後がなくてもいいというつもりで撮ってしますから。それって残酷でもありますよね。僕のドキュメンタリーは年寄りを撮ることが多いのは、そのせいかもしれません。これまで成し遂げきてことがあって、これ以上よくならなくてもいい人たちですからね。
逆に子供をとることが多いのも、子供に対しては「やっつけてやる」と思って対しても、決して勝てない存在だからですよ。やっぱり未来の強さが全然違う。
――ドキュメンタリーのお話が出ましたが、中江監督はドラマ作品もドキュメンタリーも両方手がけていらっしゃいますが、作るときのスタンスは違うものなのですか?
スタンスはそんなに違わないのですが、僕にとっては両方必要なんですよね。呼吸するようなもので。ドキュメンタリーは息を吸う作業、ドラマは吐く作業。両方ないて死んじゃうような気がします。だからだいたい交互にやっています。ただ、結構曖昧なんですけどね。僕の映画の場合は。
――映画のテーマというのは長く暖めているものなのですか?
テーマは出会うというか。ただ出会っても1年くらいたつと忘れるモノが多いし、何年も忘れられないものは、これは撮らなきゃということになる。今公開されている映画『真夏の夜の夢』も、ベースになっているのは、先ほどお話しした高校一年のときに読んだ樹村みのりさんのマンガの中のセリフがテーマになっていますから、僕にとっては重要なテーマですね。
――今回の映画は、フィルムで撮られていますが、フィルムに対するこだわりというのは、中江監督はあるのですか?
モノによりますね。ドキュメンタリーではビデオのほうが量が回せるというメリットがありますから、どうしてもデジタルビデオになります。今回の映画は自然描写が多いんですよ。そういうものは、まだフィルムのほうが力があるのかなと思います。
実は高間賢治さん(撮影監督)にも、合成も多いので、「どうしてデジタルで撮らないの?」と言われたんですが、でもこの映画はどうやってもフィルムで撮るしかないなと。
――沖縄の森の緑が印象的な映画ですからね。
森の場合、シャドーとハイライトがあるので、やっぱりそこがデジタルだと厳しいですね。黒と白の諧調がまだフィルムより足りない気がします。
あと、どっちが優れているという話よりも原理そのものが違うことが大きいかもしれない。フィルムって化学反応じゃないですか? 自然現象に近いと思うんですね。デジタルはやはり人が作ったものでしょう。人が作ったモノと自然が作ったモノの差が大きいんじゃないかと、僕は密かに思っているんです。だから、自然を捉えるものって、自然現象のフィルムで捉える方が向いているのはないかと。デジタルがどれだけ諧調がよくなっていっても、最終的にそういうところは残るのではないかという気がしています。
――本日はお忙しいところ、ありがとうございました。
自主制作で映画を作っている人たち、プロの映像人を目指す人にとって、もとても有意義なお話を聞くことができました。この内容はビデオサロン10月号に掲載します。
中江裕司監督の最新作『真夏の夜の夢』公式サイト
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