2月7日から11日まで、第11回目座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルが開催された。今回のテーマは、ダイバーシティ〜多様性〜。
最終の11日に開催されたコンペティション部門では、入賞の5作品の上映が行われた。
『えんとこの歌 寝たきり歌人・遠藤滋』2019年/96分/カラー 監督:伊勢真一
『クィア・ジャパン』2019年/100分/カラー 監督・編集:グレアム・コルビーンズ
『人生をしまう時間(とき)』2018年/110分/カラー 監督:下村幸子
『MOTHERS』2020年/63分/カラー/日本映画大学 企画・監督:関麻衣子
『蟹の惑星』2019年/68分/カラー 監督・撮影・編集・録音:村上浩康
3時間半にわたる審査の結果、大賞は、村上浩康監督の『蟹の惑星』に、今年は特別に奨励賞として関麻衣子監督『MOTHERS』が選ばれた。
審査員の講評は以下の通り。
伊勢真一監督の『えんとこの歌 寝たきり歌人・遠藤滋』について、佐藤信氏(座・高円寺芸術監督)のコメント
「監督のご友人でもある遠藤滋さんという方を追ってらっしゃるわけですけども、発話がほとんど不可能になった状態の中で、短歌という形式を通して自分の意思疎通をしながらなさってる、非常に魅力的な、生命力が溢れる存在を中心として、その場に集まる人を描いている。一応介助者っていう名前はついているんですけれども、やはりドキュメンタリーを観てると誰が介助をして誰が介助をされているのかっていうのが分からなくなるような濃密な時間と空間を撮られたドキュメンタリーです。一番なのはもちろん被写体である滋さんの魅力的な存在っていうのがあるんですが、それに向き合う監督の視線は、そこにのめり込んで行かない、ある種の客観性を確保されている。それが、実は変わっていく介護の世界として、現在を鋭く捉えてて、また、そのことが相模原事件との関わりあいという意味で大きな訴えかけを持ってる。そういうことも内在させる作品だと拝見しました。ぜひこれからも上映が続けられて、たくさんの人に観ていただきたい作品だと思います」
グレアム・コルビーンズ監督の『クィア・ジャパン』について、足立正生氏(映画監督)のコメント
左から2人目が『クィア・ジャパン』のプロデューサー、飯田ひろみさん
「僕は一貫してこの『クィア・ジャパン』を推薦しました。今日観られた方もいると思うんですが、いわゆる性的マイノリティーLGBTの人たちの姿を捉えたドキュメンタリーです。私に言わせれば、国際的なLGBTのキャンペーン、プロモーション映画であるというように思います。日本人は彼らを変態という言い方で捉える傾向はありますが、この映画にはその変態を自分たちの個性だとして非常に謳歌している、あるいはそのパノマミックにいろんな人たちが出てきてエネルギッシュに主張することも中心に捉えてみれば、非常に日本的センスでは理解しにくいところもあると思うんですけども、僕自身はそのパノラマミックなエネルギッシュさ、それから映画としてはその面白さ、それを中心に推薦させていただきました。結果としては賞は取れなかったけども、そのくらい高い評価を我々はしましたので、どうぞ他の人たちにも観てもらいながら威張って回ってください。よろしく」
『人生をしまう時間(とき)』について橋本佳子氏(映像プロデューサー)のコメント
「審査をして11回目になるんですけども、今年ほど5本どれが大賞をとってもおかしくないよねっていう話で始まって、大変な選考会になりました。私のほうからは下村さんの『人生をしまう時(とき)』について一言述べさせていただきます。もうご覧になっている方は分かると思いますけど、80歳の小堀医師と堀越医師がそれぞれの在宅ケア、そして終末を迎えるそれぞれのご家族、それを下村さんが本当に丁寧に丁寧にすくい上げて完成した作品です。おそらく本当にあそこまで各家庭に入ってそれぞれの本当に最期の時まで立ち会うっていうのはどれだけの本当に大変さがあっただろうと。ディレクターの努力に頭が下がる思いです。それと、やはりあそこに映されているものは、今の日本の私たち一人ひとりの記録であり、それぞれの家庭の様子ですとか食べるもの着るもの、それぞれが語ってくるものがものすごく多いんですね。番組自体はそれほど饒舌ではないんですけども、そこから見えてくるいろんな細かなものの豊穣さに一つ一つに私は心を打たれました。選考の結果、今度は賞には当たらなかったんですが、本当に多くの人に観てもらいたいし、私の一番仲良かった友人が、致死率100%なんだよ私たちは、ということをよく言ってました。本当にそういう時に私たち生きてるんだっていうことを改めて思い起こさせてくれた作品でした。すごく心に残る作品で、一番心に残るよねっていうことでは全審査員一緒でした。それから実は驚いたことに審査員が5人ともテレビ番組を観ていたんですね。映画になってどう変わったんだろうという点では、もう一工夫あっても良かったんだろうか、どうだろうか? ということが多少議論にはなりました。以上です。本当にいい作品をありがとうございました」
関麻衣子監督の『MOTHERS』について金子遊氏(批評家・映像作家)のコメント
この映画は日本映画大学制作で、お父さんはヤクザ、お母さんが3人のフィリピーナ、そこに生まれた2人の姉妹と詐欺師まがいの従兄弟さん、様々なキャラクターが出てくる映画で、この作品を賞にということでは、非常に強い抵抗がありました。その理由はとしては、セルフドキュメンタリー映画っていうことで、ビギナーズラックがあったんじゃないかとか、たまたま自分の家庭に強いテーマがあったんじゃないかとか、あるいは作り手としての力量を感じないという厳しい意見も出ました。
しかし、私から見ると、映画として構成力、あるいは撮影編集においても多少未熟さはあるかもしれないけれど、フィクションすれすれの劇的な世界を作っていく、つまり映画を作る、映画にするという強い意思を感じました。確かに表面的には自分探しのようなプロットを使いつつも、お父さん、あるいは産みの母親、従兄弟を登場させてその場所を作っていく演出力というものに可能性を感じました。おそらく、私なんかだとちょっと分からないんですけど、ごく小さい頃からSNSっていうものを通じて、自分を他者にどういう風に見てもらうかっていうことのセルフ演出っていうことでトレーニングを積んだ新しいSNSネイティブ時代の監督の作品という感じがしました。
それから、戦後のセルフドキュメンタリーの中で、初めてに近いくらいミックスドレイスの方が自分の過程を撮ったという歴史的な意義もあり、何よりもカメラの暴力性、あるいはカメラの客観性にこもった機械を武器にして自分が受けてきたDV被害というものを、父親に対して向かいあっている。自分の身体、人生を切り裂くような痛みっていうのが画面から伝わってきました。つまり、映画の作品の中で、作っている作家自身が徐々に成長していく、作家になっていくというプロセスが感じられました。河瀬直美監督、ヤン ヨンヒ監督、平野勝之監督、あるいは小野さやか監督といったセルフドキュメンタリーの映画監督たちはいらっしゃいますけど、そういう先輩たちの背中を見ながら、この先も映画監督として精進していただきたいと思います。60数分の映画で満足しないで作り続けるというお話を聞いたので、この先どんな展開になっていくのか楽しみです」
村上浩康監督『蟹の惑星』について秋山珠子氏のコメント
「この作品は先ほど監督も蟹を見てもらうことに徹したとおっしゃっていましたけども、しかしながらその蟹、蟹を見つめる吉田さん、それを撮る監督の視点を通して、私たちが観るたびに発見があるような、これぞ究極の観察映画じゃないか。観るごとに新しい発見をもたらしてくれる作品でした。冒頭の印象的な月のショットがありますけれども、そうした潮の満ち引きに対応されるような長期普遍の時間と、そしてまた3.11以降の泥質の変化がもたらした個体減少、それから人為的な工事によって干潟が川崎側から東京側に移動するという変動があるということを、この蟹の観察という定点観測を通して見せていく。また社会的なことで言えば、この葦原で火事があったというエピソードが語られるんですけども、そこで想起されるのは、ここの場所ではありませんけども、多摩川河川敷で起こった2016年の多摩川中一男子の殺人事件と溺死事件でした。あの昼間の素晴らしい蟹のショットを捉えた向こう側に、そういった想像を働かせる一面もありました。最後のほうで、監督が吉田さんに『15年間ここに通う魅力とは?』とちょっと驚くような凡庸な質問をストレートに投げかけるんですが、そこで吉田さんがこれに対して驚くような答えを返すんですね。『新しい現象、知らないものがここでたくさん見つかるんだ。この環境でわかっていることはほんの一部である』と。吉田さんは15年間見続けた感想としてそういったことを漏らします。
現在ドキュメンタリーのテーマとして、カメラを向けて撮れるものがなくなっているということを言われる。例えば私は中国のことをやっているんですけども、中国社会はもういたる所に撮る素材があって羨ましいとよく日本の作り手に言われるんですけども、いや、そんなことはないと。この身近な所にこの撮るべきものはたくさんあって、そこには私たちが知らないような撮っても撮り尽くせないようなものがあるのだということを教えてくれる、そういった作品だったと思います。また私も何回もこの作品を見直して、新しい発見をしていきたいと思います。おめでとうございます」
座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル WEBサイト http://zkdf.net/