「架空の映画予告編」というYouTubeチャンネルがおもしろい。2023年4月から一人で企画・脚本・編集・音声・照明・映像・監督をして、映画を作り始めたchavoさん。いかにもな予告編に笑いながら拝見していたchavoさんのチャンネルだったが、2024年3月号で取材したSAMANSAで、日本人監督作品としてはじめて作品が登録されたのが、chavo監督の『ヒコットランドマーチ』だった。chavo監督は何を考え、どこを目指しているのか、お話をうかがった。

取材・編集部 一柳

chavo監督

写真、漫画、そして映画に至る道のり

北九州の生まれで、18歳で東京に出て、写真の専門学校に行ったんですけど、専門学校を卒業ぐらいの時に賞をとって写真家としてデビューして、企業広告などを撮り始めました。でも、23歳くらいのときに、「なんか写真じゃないんじゃないだろうか」と思うようになりまして。当時はデジタルがいまのようなレベルに達していない時代で、フィルムで撮影していたんですが、撮影には経費がかかるし、どうしてもお金がかかってしまうと作品をつくる上で量産ができないんです。

そんなとき、漫画だったら紙とペンだけがあれば、ひとりでコストを抑えてできるんじゃないかと思いました。そこからまったく絵も描けなかったのに漫画を始めました。ちょうどそのころ家族が病気になって、熊本の方に行かないといけなくなったという理由もあって。

漫画は全然上手くはなかったのですが、たぶん3年くらいしたら賞にひっかかるだろうなと思って描き始めて、実際にちばてつや賞の大賞(2009年/山村武大名義)をとることができました。そこから短期集中連載などをいただいたりしたんですが、あまり人気が出なくて。別の短編を描いてスペリオールでも大賞をいただいたのですが…。

今思うと絵が下手だったからということもありますが、漫画というのが量産できないということがすごく大きかったですね。1ページ描くのに、1日かかってしまうような感じでしたから、漫画家としてやっていくには生活が難しいだろうなということで、漫画家を一度やめました。

そこから30歳くらいになって地元の北九州に戻って、会社を立ち上げて、物販だったりエステ事業などを始めました。それから6、7年、会社も成長して、社員も増えていったのですが、なにか自分の中で何もスタートを切れてないような感覚があって、そこからもう一回写真のほうに戻ったんです。スタジオを作って写真を撮りはじめました。やっぱり人に喜んでもらうっていうのが一番嬉しいということに気がついたんです。

でも、それでもまだ始まっていないぞという感覚があって、そのころ流行っていたシネマティックVLOGを始めてみたんです。それで半年くらいは頑張っていたんですけど、なんかこれでもないな…と感じていて、あるときふと映画を作ればいいんじゃないだろうかと頭が切り換わりまして。もう人生の最後までこれで行こう!という感じで、やっと自分が目指すものが見えてきた感じです。

 19歳の時に映画を作っていた友達が学校にいたんですよ。一緒に映画を作ろうという話になって。自分はストーリーを提案したんですよね。でも、人が集まらないとか、いろいろな条件が揃わなくてできなかったんです。でも、いつかは多分映画をやるんだろうなということはなんとなく思っていました。今はほんとに時代がちょうどいいといいますか、素晴らしい機材があって、なによりもYouTubeではやり方を教えてくれる人がいる。この時代であれば、ひとりでできるのではないかと思ったんです。

なぜ架空の予告編なのか?

実はいまは架空の予告編ではなくて、短編映画制作に移行しています。予告編を量産していたときも、月に1本のペースでした。これを毎日のように出せたら、人の目に触れる可能性がすごく増えてくるじゃないですか? それが多分一番の理由でした。

自分はこれまで写真と漫画をやってきて、さらに大きいのは、経営をしたという経験です。事業をやる上で一番重要なのは、需要に対してどれだけ供給するか。それがもうすべてだと思っているので、その需要を見るというところでは、若い頃とはだいぶ違うかなと感じています。

そもそもYouTubeは映画を見る媒体ではないと思うんですよね。SNSで上げると考えた時に、やっぱり1本の映画、もしそれが短編だったとしても絶対見てくれないなっていうのがあって。その需要がどこなのかと考えると、広告費を使わないで再生数が伸びてるのはやっぱり予告編というところがあって。とにかくSNSとの相性がいいという理由で架空の予告編というところから始めようと思いました。

chavoさんの予告編のプレイリスト

ないですね。でも、自分の頭の中ではなんとなくあるんですけど、その部分だけを集めてきて、詰めていくという感じですね。

最初は他の人の予告編を見て、まったく同じ流れで、切り替えとかテロップの入り方とか、同じものをそのまま自分のストーリーに当てはめて作りました。

映像、映画を作りたい人は、みんなやったほうがいいんじゃないかというぐらい勉強になりましたね。一気にレベルが上がっていきますし。ただ、労力的には短編を作るのとそこまで変わらない。その1本作るまでにテーマを設定したり、イメージを作るというところが一番大変なので、実は短編を作るのにそんなに変わらないなということに気づきました。

予告編から短編へと、活動をシフトしている

最初はそれを考えてはいたんですけど、ふつう、本来の予告編というのは、大事なところは隠すじゃないですか? ただ、自分の予告編の場合は、ある程度出さないとひとつのエンタテインメントとして成立しないので、出し過ぎてしまっている部分があるんです。ここから、本編を作っていくのは厳しいぞということに気がついてからは、予告編とはまったく違う短編を作っていこうという方向転換をしました。

『ヒコットランドマーチ』を作って、SAMANSAには自分からメールをしました。その次の日にはお願いしますというお返事があって、すごくありがたいなと思って。『ヒコットランドマーチ』は最初にYouTubeに出したんですが、最初に言いましたが、YouTubeは短編映画を見るような媒体ではないんですよね。

それから予告編を出し続けるというのは思ったよりも時間がかかって、5年、10年たってはじめて評価の対象になってくるのでは遅すぎる。早めに次の段階に行くには、短編でSAMANSAなどのプラットホームに入れてもらったり、賞をとったりという、人の目に触れることをしないといけないと思いました。

もっと急ごう、急ごうと思っています。

それを5年以内にと思ってるんですけど、僕みたいなやり方で長編映画で世に出た人というのは多分いないと思うんです。だから未知数なんですけど。もう僕の中ではそのくらいを目処に考えてるんで、だいぶ急いでいる感じですね。

全然不思議じゃないルートですね。いまの時代、本当にひとりでできるっていうことで、本当に素晴らしい時代になっているなと思います。

役者さんを先に決めて、そこからストーリーを作っていく

テーマがあったとしても、実際の撮影となると役者さんが揃えられないので、僕の場合はまず役者さんを先に決めてしまうんです。撮影日程でこの日のこの時間と決めて、ネットで募集をして、出ていただける人に合わせて、ストーリーを作ります。だから普通の映画の作り方とは逆になっているんです。もしかしたら、これが自分のスタイルになるのかなともちょっと思っています。

1本目を作ってからは、集まるようになりました。役者さんが決まってから、脚本を作り、撮影の数日前に送ります。当日、会ったら、すぐにじゃあ今から撮影しますという感じで3分後にはもう撮影しています。役者さんにとっては結構きついかもしれないですね。

メイクは一回つけたことがあるくらいで、衣装は基本的にその人の普段の格好を撮ってもらって、それでストーリーを考えているんで、その格好でできる範囲内でしかできないですね。脚本の読み合わせともなくて、当日、セリフを言ってもらってから、もうちょっとこうして、という感じで演出しています。

ひとりで撮影する

カメラは自分が仕事用に撮影するのに使っているソニーのα7SIIIなどで、手持ちだったり、ジンバルに載せて自分で撮影します。他のスタッフということでいうと、一応アシスタントをつけることはあるのですが、お茶をもってきてもらうという制作の役割で、技術的なことは全部自分ひとりですね。

以前はカメラマイクで音声を録っていたのですが、今は32bitフロートのレコーダーを用意して、音声は別録りするようになりました。音声はピンマイクとショットガンマイクで録っていますが、そこがいま一番困っているところですね。

大体はそうなんですけど、イメージどおり行けるところもあれば、そうじゃないところもあります。カット割がいままでは漫画っぽいところがあったのです、それをもうちょっと映画っぽくしたほうがよりいいんじゃないかとは思っていて。今作っている短編の3作目はそういうところを微調整しながら実験しています。

漫画を描いていたら自然にコマ割りしていた部分はあって、人を飽きさせない一番良い構図というのは漫画の構図だと思っていて。とにかく飽きさせないようにするにはどうしたらいいのかということは意識していますね。でも、ひとりで撮っていることもあって、後でみたら、これはカメラが近すぎるなということはあるんです。その場で一瞬で決めてしまっているので。カメラマンだからそれは得意ではあるんですけど、後で見て、もうちょっと下がって、レンズをこれにしておけばよかったということはありますね。編集段階で寄ることはできても、引くことはできないので。自分のなかで、ここは何ミリでということは全部想定としてあるんですけど、それがなかなかできなくて、ズームレンズを使って撮ってしまうことも多いですね。そのあたりはひとりでは難しいところだと思います。

スタッフが増えればレベルは上げられるイメージはある

ひとりで始めたので、映画制作の仲間はいないんですよ。映画祭とかで初めてプロデューサーさんとか監督さんと会う機会をいただいてる感じで、本当にもうずっとひとりぼっちです。こういうインタビューを受けることによって、誰かに気づいてもらえたら嬉しいなと思っています。

スタッフが増えれば増えるほどレベルが上がっていくことは間違いないですね。まず一番必要なのはやっぱり制作、そしてカメラマン、音声、衣装さんもそうだし、増えれば増えるほど、僕のなかでスケールも広がっていくので。

その作品の中に入れてもらったのはありがたいと思っていて、自分の作品と海外作品のクオリティの差はわかるんですよ。ひとつひとつをどれだけ丁寧にやるのかということで、僕は本当に時間がないなかでやっているので、やっぱり雑なんです。でも、自分のなかではクオリティを上げていくイメージはあるので、時間とスタッフがあればできると思います。一方で、そのひとりでやっている雑さを生かして、ドキュメンタリータッチな映像とか演技とかにしていくことも、これから実験していこうと思っています。

映画の良さは、映画を見て学べること

コメディに関してはすごく作りやすいですね。そこから、どれだけでも足していけるので。だからどちらかというネットドラマとかテレビドラマの連続ものとして作れるなと思うんです。『42分ヨシノリ』とかは、そういうのに生まれ変わったら、結構人気出るんじゃないかなとは思っていたりするんですけど。

それ以外はちょっとシリアスな方向に行きたいかなと思ってますね。そちらの方が需要がいろいろとあるかなと思っています。映画を作るにしても、最終的な需要を一番重視していて、何歳くらいの人が見るのか、男性なのか女性なのか、そういうところは結構意識して作るようにしています。ただどうしても男性が作っているんで、男性のお客さんが増えるんだろうなというところは漫画と同じで、少年誌はやっぱり少年が読むし、少女漫画は女性が読みますから、そこはもう割り切っています。

これまでYouTubeで架空の映画予告をやってきたのですが、このペースだと10万、20万登録に行くのは、5年や10年かかってしまいそう。このままやっていったとして、もし自分がプロデューサーだとしたら、この人にお願いしたらどのくらいのものができるかと想像がつかないと思うんです。だから、もうちょっと具体的にイメージできるような方向に持っていく方がやっぱりいいなと途中で思い始めていて。

架空の映画予告というのは、どちらかというとファン集めとか話題集めみたいな感じをしようとしてたんですけど、プロ目線をちょっと意識した方がいいかなとか。

同じテーマで、同じ素材だったりしても、コメディにしたり、シリアスにしたりにできると思っていて、それは映画の良さだと思っています。映画の良さは、たとえ現場を経験していなくても、映画を見ればある程度学ぶことができる。映画そのものが参考書になっているということころだと思うので、日々勉強しながら作っています。僕はある作品を分析して、そのエッセンスを受けついで再現するのが自分では得意だと思っていて、たとえば、その映画の質感や感触をその通りに再現することができるんです。

そうなんです。それはパクっているということなんですけど(笑)、自分のフィルターを通して出せば、誰も気がつかないくらい違うものになっているので。たまにコメントでそれをぴたりと指摘してくる人がいますが。