熊本地震をきっかけにビデオグラファースタイルで映像制作を始めた
今後はドキュメンタリーにシフトし、全国、海外にも目を向けていきたい
取材・文/編集部 一柳
中島昌彦 さん https://masanakashima.com/
中島さんの作品
『阿蘇神社 拝殿再建までの歩み』
2016 年の熊本地震で被災した阿蘇神社をボランティアで撮影・編集した動画。これがライフワークとなり、後に首里城の修復も映像も手掛けることになる。
『ビジネスレザーファクトリー』
『働く』という共通項で、世界を「共創」していることを、バングラデシュのものづくりと、日本のビジネスシーンの「共奏」で描いた、ブランドムービー。
『Mizunara Founder’s Collection15-Year-Old Cask Strength KY Straight Bourbon Finished inJapanese Oak』
アメリカ・ケンタッキー州にあるウィスキーメーカー「ラビットホール」より依頼され、宮崎の樽を作る会社を撮影。コロナ禍でクルーを日本に送れないということで九州のビデオグラファーに依頼が来た。
熊本地震がきっかけになり
阿蘇で生まれ育ち、アメリカの大学で映画制作を学んだ中島さん。帰国後は東京でテレビ関係の仕事をしていたが、2016年、ちょうど実家に戻ってくるタイミングで熊本地震が起きた。自宅は無事だったが、熊本は甚大な被害を受け、熊本城や阿蘇神社など文化財が被災した。そこで自分が関わってきた映像を通じてなにか復興の手伝いができないかと、ビデオグラファースタイルで撮影を始めた。実は東京ではテレビの仕事はしていたが、自分でカメラを回すことはなく、VIDEO SALONなども読みながら少しずつ機材などの制作環境を整えていったと言う。
地元の阿蘇神社の復興のために動画を撮影して発信して資金を募るというボランティア活動は高く評価され、2017年度のグッドデザイン賞を受賞。この撮影は現在まで続き、これがライフワーク的にその後の映像の仕事に繋がっていった。
「ここで建設系の動画では何をどうやって撮っていったらいいのかを学びました。映像記録として残すと制作過程までわかって価値があるというだけでなく、映像自体が仕事をされている方のモチベーションを上げることにも繋がります。阿蘇神社の動画をきっかけに火災で消失した沖縄の首里城の復興映像も手がけるようになりました」
▲熊本地震で倒壊した阿蘇神社の復興を映像で記録し続けている。この映像が全国からの支援に繋がるだけでなく、建築現場の方々にとってもモチベーションになり、さらに新規採用にも繋がっていく。
九州の仕事、海外からの仕事
その流れで熊本や九州全土からのプロモーションムービーの仕事をするようにもなった。実は阿蘇という場所は、九州の真ん中に位置するので、福岡や宮崎にもクルマで行きやすいという利点があると言う。
「コロナをきっかけに九州各地のビデオグラファーと夜な夜なZOOMをすることがあって、それを機に九州ビデオグラファーギルドを作って連携するようになりました。撮影の応援やモーションやタイトルを依頼したりと、協力しあっています」
仕事は九州全土から主に西日本に広がってきた。代理店を通さず、直接依頼されることも多い。それだけではなく、コロナで海外から撮影クルーが来られないという理由で、撮影を依頼される案件も出てきた。WEBサイトに作品のみならず、英語表記もあることで、問い合わせに繋がっているのかもしれない。
▲阿蘇で弦楽四重奏を撮影。
▲ビジネスレザーファクトリーのブランドムービーをバングラデシュで撮影。
ドキュメンタリーに挑む
被災地復興を掲げて7年間撮り続けてきたが、それも今年でちょうど区切りがつく。ちょっと落ち着いてこれからのことを考えたいと言う。
自分がドキュメンタリー映像が好きなことが分かってきたので、Yahoo! JAPANクリエイターズプログラムに参加して、プロデューサーからの視点を入れてもらって切磋琢磨しようと思っている。
「これまでは九州中心に動いていたのですが、せっかく英語もできるので、海外のプロジェクトにも自ら出ていくということにも挑戦してみたいと思っています」
撮影機材と編集環境
▲カメラとレンズはキヤノンを使用。EOS R5の導入をきっかけに、EFからRに変更した。レンズはいわゆる大三元のズームレンズに単焦点、マクロなどすべてキヤノンのRシステムに。EOS R5ではC-Log撮影することが多い。
▲阿蘇の自宅の一部を改装して、仕事部屋に。北九州出身のアシスタントと、経理を担当する奥様のデスクが。撮影では九州でつながりのあるビデオグラファーと一緒に行動することも。
主な機材リスト
●VIDEO SALON 2023年4月号より転載