これから始める民俗記録映像
「暮らしの映像」入門 1 〜身近な世界にカメラを向ける


 

●今井友樹(ドキュメンタリー映画監督)

◉第2回  https://videosalon.jp/serialization/kurashi_2/

 

 

身近な世界にカメラを向ける

 

何を記録しているのか

自分の仕事内容を説明するとき、どう言えば良いのか、いつも迷います。民俗映像ですで相手に伝われば良いのですが、言う本人もしっくりしないのです。回りくどいですが、僕はいつもこう答えています。

「日本各地のお祭りとか、芸能とか、伝統行事とか、土地に根ざした暮らしとか。そういう生活文化を映像で記録しています」と。

感覚的にははっきりと掴んでいるのですが、上手く言葉で言い表せない。

僕はその答えをいまだに探しています。

 

山の系譜、海の系譜を記録する

何を記録しているのか。以前、民族文化映像研究所(以下、民映研)の姫田さんに問うたことがあります。

彼はこう答えました。

「自然に依拠しながら暮らしてきた人間の精神文化を映像で記録する」

民映研の活動は、監督の姫田、カメラマンの伊藤碩男、プロデューサーの小泉修吉の三人によって1968年に始まりました。当時、「山には山の系譜がある、海には海の系譜がある。それを訪ねて歩き、映像で記録しよう」と、志を共有したといいます。以来、民映研は、これまでにフィルム作品119本、ビデオ作品150本以上を制作してきました。

僕自身も諸先輩の映像制作の系譜の上に立ち、記録の根をたやさないように続けていきたいと思っています。

 

記録したいと思う気持ちから

民映研がこれだけの作品群を残してこられたのは、志のもとに集まったスタッフがいたからこそ。その中心で、姫田さんが旅先で出会った出来事のレポートや、記録の重要性などをスタッフと共有する。そこから作品が生まれていく様を、僕は何度も目の当たりにしました。

「記録したい」と思い立った時から、映像作りは始まっているのです。僕が制作した記録映画『鳥の道を越えて』(2014年/93分)も、まさにその思いから出発しました。

 

『鳥の道を越えて』を制作したきっかけ

民族文化映像研究所に入ったばかりの頃、僕はとある山村集落の取材に同行しました。一年かけて集落の出来事や暮らしを丁寧に映像で記録していくのです。その集落は僕の故郷とも近く、見る限りは同じ生活風景に見えました。しかし、細かく取材していくと、個性的でもあり、知らない世界ばかり。自分がいかに表面しか見ていなかったかを痛感しましました。まだまだ知らない生活文化がたくさんある。この未知なる世界に引き込まれた僕は、次第に「自分の故郷を記録したい」という気持ちが高まっていきました。

 

祖父の話に耳を傾ける

2006年、正月の里帰りを機にビデオカメラを回しました。最初にカメラを向けた相手は僕の祖父。これまで改まって話を聞くという機会を作ってきませんでしたが、実際にカメラを向けて話を聞くと、不思議とコミュニケーションがとれたのです。最初は祖父も嫌がる素振りを見せました。それでもカメラを向けることで語られる内容は、初めて聞くものばかりでした。ビデオカメラの持つ可能性を僕なりに発見する瞬間でした。不思議な体験でしたが、この感覚は以来ずっと続いてゆくのです。

祖父の口から語られる生活の知恵や、お祭りの思い出、戦争体験など。それは個人の体験だけに留まらない、いわば故郷の記憶とも言うべきものでした。僕はそのすべてを記録していきました。当初は作品にしようと思っていませんでした。また取捨選択は自分からは行わず、祖父が話したいことに耳を傾けることが大事だと思いました。

 

この撮影時に聞いた話のひとつにカスミ網猟の話がありました。もともと子供の頃から聞いていた話でしたが、空を真っ黒にする鳥の大群の話は、当時から不思議に思っていました。祖父の話をきっかけに、たくさんの人に出会い、その謎を紐解いていきました。8年後、かつて故郷で行われていたカスミ網猟をめぐる物語として『鳥の道を越えて』が結実しました。

 

故郷の大先輩

いま、僕は故郷を舞台にした記録映画の第二弾として、ツチノコの記録映画をつくっています。(内容は別の回で紹介します。)ほぼ撮影は終わり、いまは編集をしているところです。

取材で訪ねたお宅で、30年前の村の行事を記録したビデオテープと遭遇しました。その数、なんと100本以上。背表紙には、夏祭り運動会など、行事名と日付が、手書きで記されていました。撮影されたご主人はすでにお亡くなりになっていました。奥様に話を聞くと、村の病院に勤務され、退職後にビデオカメラで記録を始めたそうです。一年を通した村の行事のほとんどが、10年近くに渡って記録されていたのです。大量のビデオテープに感心していると、「もう、いらないから持っていっていいよ」と奥様がおっしゃいました。しかし、ご主人が亡くなった今でも、棚にきちんとテープが保管されている。僕はその中から20本ほどお借りすることにしました。

お世辞にもうまいとは言えない撮影でしたが、圧倒されました。時間も労力もかかったはず。それも一人で。彼は一体どういう思いで撮影されていたのだろうか。中には、ご家族を映す様子もありました。しかし、ほとんどは村の行事を対象に撮影していたのです。「村の様子を記録に残しておきたい」という自分自身の思いと共通しているようにも感じられました。彼の映像に敬意を込めて、次回作に活かしたいと思っています。

また彼の映像は、村の財産です。

僕の思いとしては、①映像自体が貴重なので、まずテープのデジタル化を行う。②テーマを絞り、コンパクトに編集する。③上映会を行う。

映像が活きる場をつくり、村の人たちと語らい共有したいのです。その先に、新たな可能性が生まれることを信じて。

 

身近な世界にカメラを向けよう

僕は自分が「記録したい」と思う直感を大事にしています。実際には予算や時間の制約でできないこともあります。実際ほとんどが記録できないものばかりです。ですが、「それでも記録したい」と思うものを、実現していきます。

最初はわからないものも、だんだん調べていくうちにわかってくる。実感する。すると、より深いテーマや探究心が自然に生まれてくるものです。そこから新たな出会いが生まれ、発見があると···、いつのまにか作品に取り憑かれしまう。そんな感じで毎回作品を作っています。

身近な世界にカメラを向けると、知らない世界、知らない自分に出会える。あまり堅苦しく考えず、まずは楽しんでもらえればと思います。

 

今井友樹監督プロフィール

1979年岐阜県生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)卒。2004年に民族文化映像研究所に入所し、所長・姫田忠義に師事。2010年に同研究所を退社。2014年に劇場公開初作品・長編記録映画『鳥の道を越えて』を発表。2015年に株式会社「工房ギャレット」を設立。https://studio-garret.com/

 

◉第2回  https://videosalon.jp/serialization/kurashi_2/

vsw