「暮らしの映像」入門 第2回 〜無形民俗文化財の映像記録 その1


●今井友樹(ドキュメンタリー映画監督)

◉第1回はこちらから  https://videosalon.jp/serialization/kurashi_1/

 

無形民俗文化財の映像記録 その1

表現者/記録者

暮らしの映像を記録するにあたり、僕は問い続けていることがあります。それは自分が「表現者」なのか、それとも「記録者」なのか、ということです。

例えば、ある神社の祭礼を撮影するとします。拝殿内に氏子が集まり、神主が祝詞をあげています。祈りの対象は、神殿に祀られている神様。その神様と氏子の関係性を撮りたいと思うとき、どう撮るのが良いでしょうか。劇映画だったら、神様と氏子の間にカメラが入って両者をカットバックで撮影するのかもしれません。しかし映像記録の場合は、状況が変わってきます。相手が敬う対象の前に立ちはだかって撮影することは、撮影者のモラルとしてどうなのかという問題が出てきます。また「ここから先は秘儀だから撮らないでほしい」と言われることもあります。何をどう撮るのか。あるいは、撮らないのか。現場では常に判断を迫られます。

この例は、民映研にいた頃に澤幡正範カメラマンからよく言われていました。カメラマンなら誰しも良い映像を追求したい。おのずと神様と氏子の間に入り込みたくなる衝動にかられるでしょう。しかし、それをしないという律し方を、澤幡カメラマンは「表現者」として、また「記録者」として選んでいます。澤幡さんは、神様と氏子の関係性がわかる形で、拝殿内なら、後ろから、あるいは斜め前から撮影します。一方で、あえて神様と氏子の間に入って撮影するという撮影者もいます。どちらが良いか悪いかではありません。撮影者と取材相手の信頼関係で、その立ち位置に入って撮影することが望ましい時だってあります。その場に居合わせたからこその直感で決まることもあります。しかし、取材対象者の立場にたって、あえて撮影しないというカメラマンとしての澤幡さんの判断を僕は支持しています。

実のところ、民俗文化財の映像記録において、僕は「表現者」より「記録者」でありたいと願っています。それは、一歩間違えると「表現者」としての我欲に自惚れてしまいそうになるからです。そもそも、表現と記録は対峙するものではないのかもしれません。しかし「記録する」、「表現する」とはどういうことなのか。毎回考えずにはいられません。だから、せめて映像に対し、取材対象者に対し、謙虚でありたい。現場では毎回迷うことから始まって、そこから思い定めて判断していきます。僕はそういう撮影をしています。

 

暮らしの映像(=無形の民俗文化財の映像記録)

暮らしに欠かせないお祭りや、習わし、道具づくりなど…。これらは無形の民俗文化財と呼ばれています。現在にいたるまで、文字や写真、映像による記録手法で保護がなされてきました。世代を越えて受け継がれ、また社会の変化とともに変容していく人々の暮らし。映像でいかに記録していくのでしょうか。

無形の民俗文化財の映像記録に関して、俵木悟さんがまとめた『文化財/文化遺産としての民俗芸能: 無形文化遺産時代の研究と保護』(2018/勉誠出版)が参考になります。この本を読むと、映像が活用されてきた歴史や映像制作の大まかな流れがわかりやすく紹介されています。

本の中で、映像の記録媒体がフィルムからビデオに変化したことが、映像記録作成に大きな影響を与えたことが記されています。これまでフィルムによる映像記録作成には、コストや撮影時間など制約がありました。しかしビデオの出現により、製作面の制約がなくなりました。結果、映像記録作成の本数が飛躍的に増え、その過渡期が2003年から2004年だったことを、この本で初めて知りました。僕が民族文化映像研究所に入ったのも、ちょうどこの時期でした。

 

時代とともに常に変化し続ける

皆さんのライフスタイルが時代とともに変化し続けているように、お祭りや習わしなども時代とともに常に変化し続けるという性格を持っています。

僕の生まれ故郷の岐阜県東白川村五加地区では、五加神社の春の例大祭で杵振り踊りが奉納されます。子供たちが担い手となり、臼に見立てた笠を被り、杵を手に踊ります。僕自身も子供の頃に体験しました。踊りに参加できることは、故郷の長い歴史の時間軸と自分自身をつなぐものとして、子供ながらに誇を持っていました。しかし、このお祭りが昭和30年代に他所の地域で伝承されていた杵振り踊りを真似て始まった歴史の浅いお祭りであったことを、大人になって知りました。その事実は、僕にとっては大変にショックでした。

▲杵振り踊りの撮影動画より。

しかし考えてみれば、どこのお祭りも、ある時代に、他所の地域から伝わり始まったものです。伝承されてきた歴史的背景が違うように、地域的特色も違ってきます。東白川村の杵振り踊りと他所の踊りを見比べてみると、衣装も踊り方も、伝承方法も、似ているようで実は全く違っています。祭りを担う故郷の人びとの思いを、祭りの歴史の深さだけで測ることはできないということを知りました。

この杵振り踊りを映像記録するとします。その記録目的は、大まかに3つに分けることができます。①記録保存、②伝承・後継者育成、③広報・普及です。

 

無形の民俗文化財の映像記録、3つの目的

以下は、杵振り踊りを例に、俵木さんのまとめた本をベースにして書いています。

①記録保存

杵振り踊りの現在の姿を記録することは、後の世代の人々にとって記録当時の様子を知る貴重な資料となります。その資料価値を高めるために、可能な限り事象を忠実に捉え、客観性を意識して記録によって保存するという目的です。

②伝承・後継者育成

杵振り踊りは、笛と太鼓に合わせて踊ります。祭りに向けて公民館に集まり、練習をしたことが思い出されます。当時はカセットテープで音を聞き、先輩たちに指導を受けながら踊りを覚えました。そして生の吹奏で本番さながらに通し稽古をしました。こうした後継者育成にも映像は役に立ちます。伝承者の協力のもとに、踊り方やコツなど具体的に映像で記録しておくことは、文章や口伝だけでは表現できない教材になり得ます。

③広報・普及

杵振り踊りを知らない人にも興味や関心を持ってもらうことを目的に、わかりやすくまとめた映像作品です。伝承地域の紹介から、歴史、背景、お祭りの一連を、要点を絞ってまとめることができます。また、杵振り踊りの現状を伝え、未来へどうつなげていくか、伝承者の願いを願いも記録することも可能です。

このように映像記録は文章や音、写真など他の記録手法と比べてさまざまな利点があります。映像は高い表現性を持っています。その一方で、製作者の視点のありようによって、同じ対象が相当に異なった姿で記録される可能性は常に存在すると、俵木さんは指摘しています。

それが具体的にどういうことなのか。次号では、映像記録の特性と限界について書きます。

 

 

今井友樹監督プロフィール

1979年岐阜県生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)卒。2004年に民族文化映像研究所に入所し、所長・姫田忠義に師事。2010年に同研究所を退社。2014年に劇場公開初作品・長編記録映画『鳥の道を越えて』を発表。2015年に株式会社「工房ギャレット」を設立。https://studio-garret.com/

 

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