中・高・大と映画に明け暮れた日々。あの頃、作り手ではなかった自分がなぜそこまで映画に夢中になれたのか? 作り手になった今、その視点から忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。最近の作品には『百円の恋』、『リングサイド・ストーリー』、『銃』、『銃2020』、『ホテルローヤル』等がある。ABEMAと東映ビデオの共同制作による『アンダードッグ』が2020年11月27日より公開され、ABEMAプレミアムでも配信中。現在、NETFLIXでオリジナルシリーズ『全裸監督』シーズン2が配信中。2023年1月6日より『嘘八百 なにわ夢の陣』が公開!

第104回 八甲田山

イラスト●死後くん

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製作年 :1977年
製作国:日本
上映時間 :169分
アスペクト比 :シネスコ
監督:森谷司郎
脚本:橋本 忍
原作:新田次郎
製作 :橋本 忍 / 野村芳太郎  /田中友幸
撮影 :木村大作
編集 :池田美千子 / 竹村重吾
音楽 :芥川也寸志
出演 :高倉 健 / 北大路欣也 / 加山雄三 / 丹波哲郎ほか

新田次郎の山岳小説「八甲田山死の彷徨」が原作で、自然の猛威や組織の不条理さなどが描かれている。1902年(明治35年)、対露戦に備えて厳冬期の八甲田山での行軍演習が行われた。計画は青森と弘前の双方から出発した各部隊が八甲田山ですれ違うというものだったが…。

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5カ月に亘る撮影も残暑厳しい中、ようやく終わりを告げ、連日編集の日々が続く。感染病、台風、無理難題を乗り越えてくれたスタッフ、キャストに深謝します。

四季とは何かを教えてくれた映画

10月になり、酷暑は通り過ぎ、秋はいつ到来するのか、という暑さの東京の毎日である。春、夏、秋、冬。四季とは何かを教えてくれた映画に『八甲田山』という映画がある。

小学4年の夏休み、自宅から一番近い古びた二番館の映画館「シバタ劇場」で大ヒットしていた『八甲田山』を観に父親に連れて行ってもらった。雪とは何か? 寒さとは何か? ということを10歳の僕は教えてもらった。

121年前の1902年(明治35年)の日露開戦の陸軍耐寒訓練の青森5連隊と弘前31連隊の冬の八甲田山踏破を、『砂の器』を撮影中の野村芳太郎監督と脚本家の橋本 忍が製作に挑み、3年の年月をかけ1977年の興行1位、25億円を叩き出した。「天は我々を見放した」は流行語となり、夏休み明け、教室の授業で失態を繰り返す僕たちは何度となくこの言葉を呟いてみた。

監督は森谷司郎。『日本沈没』で僕ら少年達を震え上がらせた名匠だ。黒澤 明監督の『用心棒』『天国と地獄』『赤ひげ』のスーパーチーフ助監督だ。『天国と地獄』の特急こだまの身代金受け渡しシーンの仕切りぶりは伝説となっている。監督作の『海峡』『動乱』『漂流』といった大自然相手の大作映画を得意としていた。『八甲田山』公開から7年後の53歳での夭折は日本映画の次期4番打者の喪失に、せめてあと10年…と残念でならない。十数年前、ラピュタ阿佐ヶ谷で、森谷司郎特集上映に通った。『首』という物凄い映画を観ることができた。 

受付ロビーに「映画『八甲田山』の世界」という橋本 忍の制作ノートとシナリオが掲載された古本が展示してあった。この本を売ってほしいと関係者に嘆願した。「売り物ではないので」と困惑顔のスタッフに原価の3倍で売ってもらった。制作ノートの橋本 忍の檄文が凄まじい。「森谷、なんでもお前の思うようにやれ。その骨は俺が拾ってやる」昭和の映画作りは凄まじい。橋本 忍、1918年生まれの大正男。『羅生門』『生きる』『7人の侍』等、世界で最も知られている日本人シナリオライターだ。

コントラスト設計が素晴らしい

プロデューサー、野村芳太郎。『砂の器』の名匠。助監督時代、黒澤 明監督から日本一の助監督と称賛された映画人。撮影には名匠 木村大作。そのデビュー作がなるほど『八甲田山』とは。映画のロケーションはどれだけ引いた画が撮れるかで勝負が決まるのだと言わんばかりの見事なショットの数々。八甲田山連峰の春夏秋冬が美しい。厳寒の十和田湖と夏の美しい十和田湖の対比。この映画の素晴らしい撮影はこのコントラストの設計だ。 

同じ土地が季節によって天国と地獄の有り様と化す。シナリオの冒頭シーン1には、「エメラルド、いや緑に少しコバルトのかかった厚い水である」と始まる。美しい十和田湖と八甲田の山々のオープニングショットにタイトルインして、あの芥川也寸志作曲の永遠のテーマ曲が鳴り響く。この映画の影響で、僕は20歳の時に夏の思い出に八甲田と十和田湖を巡った。

戦争訓練のための雪中行軍は、普段の人間生活にとって必要のない行為だ。210名の中隊編成で青森5連隊は自然を征服しようと挑むが、準備不足と人災とも言える指揮系統の混乱によって199名が白い悪魔に飲み込まれ全滅していく。悲劇の指揮官、神田大尉役に北大路欣也。モデルとなった神成大尉にそっくりだ。混乱の元凶山口少佐役の三國連太郎に10歳の僕でさえイラつくほどの名演技の愚将ぶりが素晴らしい。生還した11人のひとり、神田大尉を支える、倉田大尉役に安定の加山雄三。小4の僕は倉田大尉の人柄が大好きになった。助監督時代、ジャッキー・チェン主演映画の撮影で加山さんとお仕事できた時は感無量だった。

37名の小隊編成の弘前31連隊は自然に逆らわず、恐れ、折り合い、猛威と厳しさに耐え、克服するのではなく、生きるための自然との妥協点こそが、強い勇気だと示してくれた。ひとりの犠牲者も出さず隊員達を生還させた指揮官徳島大尉役に、我らが高倉 健さんだ。

昭和の撮影隊は冒険とロマンに満ち溢れていた

初めての東宝作品出演は当たり役だった。「この仕事をやったらなんでもできる」と思ったという。冬の八甲田山でのロケは12月の23日から始まり、正月三が日を挟んで、1月4日から2月15日まで続いた。昭和の撮影隊は冒険とロマンに満ち溢れていた。緻密な計画と、忍耐力。令和の時代ではCG処理で終わってしまう。もはやロマンは見当たらない。

風雪と極寒の苦境に耐える徳島大尉の少年時代のフラッシュバックショットが素晴らしい。岩木山のリンゴの白い花、弘前のねぷた、川倉の地蔵祭…子どもの時に見た春や夏の風景を思い、厳しい冬の寒さに耐えている。子どもながら僕は感動した。人間が生まれてから、死ぬまで、この春夏秋冬の繰り返しでしかないということがスクリーンから眼前に迫ってくる。

橋本プロの魂ここにあり

僕が最も好きな場面は、徳島隊を暴風雪の難所を道案内する秋吉久美子演じる滝口さわとの別れのシーンだ。風と雪の狂乱を抜けきり、村落を進軍喇叭で進軍する。原作では、徳島大尉はさわを最後尾につかせて、50銭玉一個を与え別れる。橋本 忍は健さんにそんなことはさせない。案内人を最後尾にと言う部下に対して、「いや、このままでいい」と先頭を歩かせ、別れのシーン、「気をつけ! 案内人殿に敬礼、頭アー右ーっ!」という語り継がれる名場面を用意してくれた。木村大作のカメラが優しい。健さんが最高だ。秋吉久美子も可憐だ。絶望的な場面が続く中でなんと美しい人間模様かと。史実にはない虚構ではあるが、橋本プロの魂ここにありだ。

雪と寒さの地獄から生還した徳島大尉、倉田大尉達がロシアとの戦争で極寒の地で戦死したことを告げられる。義手、義足の生還者の村山伍長役の緒方 拳が八甲田山を睨んでこの映画は終わる。軍隊、軍人の愚かさ、戦争の虚しさを自然の四季が教えてくれた。

VIDEO SALON 2023年11月号より転載