中・高・大と映画に明け暮れた日々。あの頃、作り手ではなかった自分がなぜそこまで映画に夢中になれたのか? 作り手になった今、その視点から忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。主な作品には『百円の恋』、『リングサイド・ストーリー』、『銃』、『銃2020』、『ホテルローヤル』等がある。ABEMAと東映ビデオの共同制作による『アンダードッグ』が2020年11月27日より公開され、ABEMAプレミアムでも配信中。現在、NETFLIXでオリジナルシリーズ『全裸監督』シーズン2が配信中。2024年10月25日よりアマゾンPrime Videoで『龍が如く〜Beyond the Game〜』が全世界同時配信!


第115回 おとうと

イラスト●死後くん

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製作年 :1960年
製作国:日本
上映時間 :98分
アスペクト比 :シネスコ
監督:市川  崑
脚本:水木洋子 
原作:幸田  文
製作:永田雅一
撮影 :宮川一夫
編集 :中静達治
音楽 :芥川也寸志
出演 :岸  恵子 /   川口  浩  / 田中絹代 / 森  雅之 / 仲谷  昇 /  浜村  純 /  岸田今日子ほか

幸田 文の原作を市川 崑監督が映画化。げんと碧郎は3つ違いの姉弟で、作家の父と病気の継母のもとで暮らしている。子どもたちに冷淡な継母に代わり、げんは弟の世話を焼くが碧郎は不良仲間と付き合うようになる。時に大喧嘩をしながらも共に生きる姉弟だったが、碧郎は結核に倒れてしまう。

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1960年公開の市川 崑監督作品『おとうと』を最初に観たのは中学2年の時だった。土曜日、学校から戻りTVをつけたら映画をやっていた。途中からだが、何やら暗い室内で、岸 恵子扮する主人公が、母親から叱言を言われている場面だった。途中からなのでタイトルが分からない。主人公の父親は小説家で、母親は後妻の継母だった。

当時の僕はこの父親役の森 雅之と継母役の田中絹代が溝口健二監督『雨月物語』の名優コンビであることなど知りもしなかった。市川 崑監督作品『悪魔の手毬唄』等や化粧品CMで岸 恵子は知っていたので、若き岸 恵子かあと思わず見惚れた。不良の弟役に川口 浩。僕らにとってはTVの木曜スペシャル『川口探検隊』隊長の若き時代。それぞれ実年齢より10歳若い大正時代の女子高生、中学生を可憐に演じる。

銀残しの撮影方法で名匠宮川一夫が撮り上げていく

文豪、幸田露伴の一家がモデルで娘の幸田 文原作。大正末期の東向島が舞台だと知るのは、僕が大学生となり上京した頃だった。上京後、池袋の文芸坐のスクリーンで初めて最初から観た。冒頭の雨の東向島桜堤のシーンが脳裏に焼き付いた。番傘の隙間から覗く、姉げん役の岸 恵子のアップショットの美しさ。雨垂れが絶妙にレンズ前のシズルとなって蛇目から滑り落ちる。劇場で思わず姿勢を正す。弟、碧郎役の川口 浩に傘を渡せない。走り去る弟を見送るげんからフォーカスアウトして、雨雫にオーバーラップしてのタイトルクレジットに僕は思わず「かっこいい……」と唸ってしまった。大正時代をモノクロでもカラーでもない銀残しの撮影方法で名匠宮川一夫が撮り上げていく。僕は撮影に入る前には必ず観るようにしている。近年もシネマヴェーラ渋谷や神保町シアターでの貴重なスクリーン上映の度に、この冒頭の雨の桜堤を堪能してしまう。

黒の出方が市川 崑作品の真骨頂

小説家の父親はいつも書斎に籠って小説に没頭している。4人暮らしのこの家の室内が、昼夜共に暗いのだ。コントラストの効いた色彩設定。黒の出方が市川 崑作品の真骨頂。黒色を出すにも絶妙なライティングが必要とされる。闇を創るにも光が必要なのだ。市川 崑監督は好きな色は何色と聞かれて、闇、と答えるような人だ。黒が映えるように美術部の室内セットの建具へのこだわりも見事だ。僕は少年時代から何度も愛知県犬山市にある明治村に通ったが、そこに展示されている幸田露伴「蝸牛庵」にはいつも風光明媚の印象しかない。

田中絹代の見事な演技

後妻の田中絹代演じる継母はリウマチで身体が不自由なため、家事や買い物をげんに頼まざる得ない。その度にクリスチャンの厳粛な義母はげんにとって信じられないような冷淡な態度や言動を吐く。田中絹代が見事な演技を魅せてくれる。後年に同じ幸田 文原作『流れる』で文がモデルの柳橋の芸者置き屋の女中役を田中絹代が演じている。毎日映画コンクールに田中絹代賞という女性俳優への功労賞が設けられている。『西鶴一代女』『サンダカン八番娼館 望郷』の田中絹代は兎に角、ものすごい。

1925年に治安維持法が施行されて、大正デモクラシーも翳りを見せる大正末期。刑事が威張っている。デパートで万引きと疑われたげんに鞭を振るう刑事や、げんをストーカーする奇妙な清水という刑事が登場する。原作にも登場するので幸田 文が実際に経験したのだろう。この助平卑劣な刑事からげんを救うのがガチョウの集団というのが意外で笑った。このカットの迫力がすごく、カメラ前に突進してくるガチョウ軍団の撮影はスクリーンの向こうから飛び出してきそうな勢いだった。これも原作にあるのだが本当か虚構か、さて?

思春期の碧郎の不良ぶりは普遍的で僕も頷いてしまう。大正時代の不良も本屋で万引き、悪友たちと徒党を組んで他校生徒との喧嘩、モーターボートで川下り。盗んだバイクではなく、借りた馬に跨って爆走。調子に乗って転倒して馬を死なせてしまう。「可哀想に、可哀想に……」「俺は馬より役に立たない……」と碧郎も可哀想な奴だ。「うっすらと哀しいな……」と面倒見の良い姉も女学校を出たら、結婚して家を出ていくことだろう。残された自分は継母と父親とどう過ごせば良いのだという不安。姉弟喧嘩のシーンもとても良い。少し男まさりのげんの東京の方言が心地よい。

碧郎が突然画面の中で変な咳をし出す。僕はこの映画で、劇中に登場人物が咳をしたらその人物が死を迎えるのだと知ってしまった。17歳の弟の闘病は、暗かった家族に薄らと明かりを灯す。姉の弟への尽きることない献身ぶり、父と息子の釣りの思い出話、継母がお母さんと呼ばれる時。家族の機微を俳優とカメラが捉えていく度に胸が熱くなる。

水木洋子の素晴らしいシナリオ

そして映画のラストカットが衝撃だった。弟が息を引き取り、脳貧血で倒れたげんが救護室で目覚めた途端にエプロンをつけて何事もなかったかのように気丈に部屋を出ていく。映画は劇版とともに突然終わる。水木洋子の素晴らしいシナリオに出会って、市川 崑監督は手を挙げて是が非にと挑んだ。結果、キネマ旬報第1位。45歳の俊英監督が巨匠への道を歩み始めた。

35年経った今も鮮明に覚えている夢のようなひと時

僕は市川 崑監督とは遂に一度もお仕事する機会はなかった。一度だけ邂逅したことがある。1989年東宝撮影所内の仮設トイレで用をたしていた僕の隣に市川 崑監督が駆け込んできたのだ。監督はトレードマークのタバコをふかしていた。よく見ると、くわえているのではなく、抜けた下歯に差し込んでいた。なんとも嬉しい発見だった。今、『股旅』『ビルマの竪琴』『野火』『私は二歳』を撮った市川 崑と同じ場所で仕事をしているのだと思うと、初めて映画の現場に挑む僕は胸が一杯になった。35年経っても夢のようなひと時を今も鮮明に覚えている。


VIDEO SALON 2024年11月号より転載