プロデューサーの仕事とは?

それぞれのプロデューサーの役割の違い

エグゼクティブプロデューサー(EP)

出資元の代表として、資金調達や企画の承認など事業判断を担う。プロジェクトの方向性に大きな影響力を持ち、複数作品を同時に統括することも多い。



プロデューサー(P)

企画から公開・配信まで、作品の全行程に伴走する。監督や脚本家の選定、キャスティング、出資者との調整など、クリエイティブとビジネスの両面をつなぐ役割。



ラインプロデューサー(LP)

制作現場の実務を統括する。決まった予算の中で、スケジュール管理、スタッフ・機材の手配、ロケーション調整などを行い、撮影から納品までを回す。



「プロデューサー」は企画の最初から最後までずっと並走している人

まず、映画のプロデューサーには、大きく分けて3つの種類があります。

「エグゼクティブプロデューサー」とは基本的にお金を出す側の代表で、そういう意味では権限を持っている人です。会社がお金を出している場合は、その会社のある程度偉い人がクレジットされることが多いです。

「ラインプロデューサー」は、例えば3億円の映画で制作費2億円・宣伝費1億円という配分になった場合、その2億円が入る制作会社側にいる人になります。脚本から納品までの制作工程を管理し、衣装合わせや美術打ち合わせなどの段取りも行います。脚本の途中から入る場合が多いですが、私としては脚本の初期段階から関わったほうがいいと思っています。

そして、一般に「プロデューサー」は基本的に企画の最初から最後までずっと並走している人です。お金の集め方はいろいろありますが、製作委員会方式の場合、PR・配給・音楽などを担当する複数の会社が共同出資し、各社からプロデューサーが立つため、クレジットに複数のプロデューサーが表記されることがあります。私自身はプロデューサー兼ラインプロデューサーとして仕事をする場合が多いです。



いろいろなプロデューサー




もうひとつ、プロデューサー業をする上で大事なのは「ちゃんと生活する・遊ぶ」こと。私自身、かつては14日間寝ずに働くような時代もありましたが、今はピラティスに通えるくらいの状況にはなっています(笑)。スタッフに対しても、そういった習い事などができるような環境を整えたいなと常々思っています。

というのも、自分で料理をして自炊をするなどの日々の生活が作品に良い影響を与えることは本当に多いんですよ。だから、作品を作りながら「遊ぶ」時間があってもいいんです。例えば、『量産型リコ』では、私自身も現場でずっとプラモデルを作っていました。ほかにもミニ四駆をサーキットで走らせたりしていましたね(笑)。

そうした経験が、結果として作品のリアリティや熱量に活きてくるところが必ずあるんですよね。








オリジナル作品が⽴ち上がる瞬間

 立ち上がる瞬間1

CS日テレオリジナルドラマシリーズ 『新しい怖い』  

新しい実験的なホラーやりたい。一緒に開発しましょう。
©CS日テレ




CS日テレさんのホラーシリーズ『新しい怖い』は、全4話のオリジナル作品です。私が「実験的なホラーをやりたい」と思っていて、しかもそれを映画用に編集して、海外の映画祭にも出したいというかなりわがままな企画でした。

企画書を作って持っていき、配信先や上映の形まで含めて、CS日テレさんや同じプロデューサーの今井さんに、プレゼンをしたところ「一緒に開発して、一緒にやっていこう」と言ってもらえて実現した企画になります。



立ち上がる瞬間2

映画『ジャパニーズ スタイル / Japanese Style』 

大晦日に映画をつくろう。
©2020映画「ジャパニーズ スタイル」製作委員会




映画『ジャパニーズ スタイル』のときは、完全に勢いでした。俳優の吉村界人さんと武田梨奈さん、アベラヒデノブ監督と、飲み屋で「大晦日に映画を作ろう」という話になり始まった企画です。

お金の工面にはいろいろ工夫をして、映画のメイキング映像を動画配信プラットフォームに提供して、その収益を映画本編の制作に充てるというトリッキーな方法を取りました。最終的には脚本を凝縮して、トゥクトゥクに乗るロードムービーを5日間で撮りきりました。



立ち上がる瞬間3

中京テレビドラマ『おじさんだけど、キレイになってもいいですか?』、『迷子のわたしは、諦めることもうまくいかない』

40代男性主人公の美容ドラマつくりたい。
Ⓒ中京テレビ




四日市を旅するドラマつくりたい。
Ⓒ中京テレビ




中京テレビさんとは複数の作品を一緒にやっていて、40代男性が主人公の美容ドラマ『おじさんだけど、キレイになってもいいですか?』や、三重県四日市市を旅するドラマ『迷子のわたしは、諦めることもうまくいかない』を作りました。これらは、テレビ局サイドから「こういうドラマを作りたい」というオファーがあって、そこから脚本家と監督を私がアサインして落とし込んでいくというパターンの企画でした。 



立ち上がる瞬間4

かが屋単独ライブ 『かが屋の大カロ貝展』 

オープニングとエンディング映像をつくってほしい。
©マセキ芸能社




少し変わったところで言うと、お笑い芸人のかが屋さんから、単独ライブのオープニングとエンディングの映像の制作依頼をいただき、携わらせていただきました。映画やドラマとはまったく違うフィールドですが、彼らが紡ぐコントの温度感を映像に落とし込めるようにつくるのはおもしろく、新しい監督との巡り合わせにもなっています。



お金の流れや出口がなければ結果的にお客さんはついてこない

オリジナル作品を作っていると、「オリジナルってどうやって立ち上げるの?」とよく聞かれます。正直に言えばそれは稀なことで、私自身が「オリジナルをつくりたい!」と言い続けていたことで機会に恵まれた部分が大きいです。ただ、映画もドラマもお金がないと作れないので、企画とお金は常に同時に考える必要があります。例えば、『量産型リコ』では畑中翔太プロデューサーがバンダイさんに協力してもらうことで、「プラモデルをもっと普及させたい」というバンダイさんの想いも汲んだ上で、そのファンがドラマを見てくれるという流れを作っていました。このように、お金の工面の仕方と同時に宣伝も考えられるとよりいいですね。そういった流れや出口を考えていなければもちろん失敗することもあるし、結果的にお客さんもついてこないと考えています。

ただし、自分がお金集めに特別強いわけではないので、本当に大きな作品をやるときはそういったことが得意なプロデューサーをパートナーとして入れるようにしています。また、海外との共同制作であればフランスのプロデューサーと組むほうが現地のお客さんには見てもらいやすい面があるなど、自分ひとりでやるのもいいですが、プロデューサーをふたり立てることでお金の工面以外にもいいことは本当にたくさんあります。



創作において「最初期(乳幼児期)」が重要だと考えている理由

「これを作りたい!」と思ったときのコンセプトや衝動を最後まで守り続ける

プロデューサーとして最も大切にしていることがあって、最初に「これを作りたい!」と思ったときのコンセプトや衝動を最後まで守り続けるということです。私はそれを「乳幼児期」と同じだと考えているんですが、赤ちゃんの8カ月ぐらいまでの記憶は脳の構造上基本的にはないと言われています。でも、そこでの体験はその後の人生に相当な影響を及ぼすとも言われているんですよね。

作品も同じで、最初に生まれた瞬間のコンセプトを知っているのは、プロデューサーや監督、企画者や原案者など、そのときその場にいたメンバーだけなんです。どこを削ってどこを残すにしても、「最初のこの部分だけは失くさない」というものを最後まで大切に持ち続けられるかが、プロデューサーの手腕のひとつだと考えています。

だからこそ、原作のある作品を映画化やドラマ化することに対しては、もっと慎重に考えるべきだと思うんですよね。なぜなら、編集者と漫画家さんの間で共有されたものが、後から入ったプロデューサーには分からないということが往々にしてあるからです。私は基本的に原作者の方と直接お話しできない状況では原作のある作品をやりません。原作者の想いや、0から1を生み出す瞬間の熱量を見ていない状況でプロデューサーが入ることには私の中で怖さがあります。原作者やプロデューサー同士でコミュニケーションを尽くした上で、どう新たに生むのかという考え方を大事にしたいと思っています。






作品をかたちにする技術

予算の組み方が作品の地図になる

アイデアベースの一点突破型の個性を予算から見出すことができる

予算を組むということは、作品の地図を描くことに近く、非常に重要です。

例えば、私はずっとゾンビ映画をやりたいと思っているのですが、理想のゾンビ映画を作るためにはそれ相応のお金が必要だということを、まず理解しておかなければなりません。もちろん超低予算の映画にはその良さがありますが、予算規模は最終的なクオリティと直結します。もし、予算が限られているなら「ゾンビメイクを一切なしにする」という豪快な発想が生まれるということもあるかもしれませんね(笑)。映画『横道世之介』や『私の男』などの映画を手がけた西ヶ谷寿一プロデューサーを尊敬しているのですが、予算の組み方の思い切りの良さに驚いたことがあります。映画『私の男』では、北海道の四季が人間のドラマと自然を描く上で重要な演出になっています。季節を跨ぐ表現を予算の中で実現する覚悟には、プロデューサーとして震えるものがあります。ビデオグラファーの方も、「今回は美術にお金を使おう」「この機材にこだわろう」と考える瞬間があると思います。音響の方であれば、「5.1chでASMRを作ってみよう」など、アイデアベースの一点突破型の個性を予算書から見出すこともできます。だから、私は単なる数字の振り分けではない「個性的な予算書」が大好きなんです。基本的に映画の場合は、脚本と予算を照らし合わせて、もし予算を超えていたら予算超過が可能なのかどうかを交渉し、削れないのであればその分のお金を集めます。それに伴って上映館を増やしたり、宣伝を拡大したり、スターをキャスティングしたりと、全方位で考えていく必要があります。そうして制作会社と合意を取り、更新を繰り返しながら、最終的な実行予算へと落とし込んでいきます。


ショートムービー用の予算書のフォーマット。予算書を作る際は、大(1〜10億円)・中(1,000〜5,000万円)・小(200〜300万円)・ドラマ(話数計算)・その他(変わった案件)など、バジェットによって5つの型を用意し、さらに作品によってカスタマイズすることで予算オーバーを防いでいる。




創作の道中が物語になる

最初から最後まで関わっているからこそ実感を物語に落とし込める

私は、制作の道中で得た実感を物語に落とし込むようにしており、これは私自身がプロデューサー兼ラインプロデューサーとしてやっているからこそできる部分でもあります。

例えば、ドラマ『量産型リコ』でも実際にザクを組み立てるうちにマスターグレードまで作れるようになって(笑)。パーツをパチッとはめたときの気持ちよさや、その手触りってAIでは体感できないじゃないですか。そういう実感みたいなものがないと外側のドラマになってしまうと思うんです。

群馬県高崎市を舞台としたドラマ『旅するサンドイッチ』では、題材となるサンドイッチ自体もフードコーディネーターさんと何度も試作を重ねました。見栄えが良く、美味しくなければ意味がないし、高崎の名産を使えているかも重要なので、バージョン4ぐらいまで作り直したんです。そういった試行錯誤がドラマの内容にも反映されています。

また、ドラマ『迷子のわたしは、諦めることもうまくいかない』を四日市で撮ったときは、「新味覚」という餃子専門店の餃子と牛乳を一緒に食べるというユニークな組み合わせを家で味わうシーンがあります。事前に自分でも食べてみて「このリアクションだ」という感覚をつかんだ上で、主演の藤原さくらさんにも現場で初めて食べてもらい、その生のリアクションを撮っています。そのようにして「この顔が撮りたかった!」というものを作品に落とし込んでいるため、そういう意味ではAIには真似できないだろうと。

こういったことはプロデューサーが企画の最初からいて、作る過程にも関わっているからこそできることであり、私はそういった実感を物語に落とし込むようにしています。



テレビ東京ドラマ 『旅するサンドイッチ』  

ドラマの場面写真と、フードコーディネーターと試行錯誤したサンドイッチの写真。


©テレビ東京




中京テレビドラマ 『迷子のわたしは、諦めることもうまくいかない』  

ドラマの場面写真と、餃子専門店「新味覚」の餃子と牛乳の組み合わせの写真。


Ⓒ中京テレビ







新しいコンビネーションと準備が映像をつくる

海外を含めた広い範囲から「この人」というスタッフを探してみてほしい

CS日テレの『新しい怖い』のオムニバス作品のひとつ『仏像触りたい』は、ノルウェー出身のカメラマンであるピーター(Peter Jensen)と一緒に仕事をしました。というのも、海外の方と一緒にやってみたかったんですよね。監督もそこまで英語が流暢に喋れるわけではなかったので、通訳を入れつつの撮影をしたり、言葉が通じにくい部分は絵を描いてコミュニケーションを取ったりしながら進めていったんですが、それで充分に伝わるなと感じました。

また、カメラマン個人の資質も大きいですが、ズームする感覚や距離感が国やその人のバックグラウンドによって違っていて、本作では「今回はこういうルックでやりたい」という意図に、ピーターがバッチリはまった形でした。

グレーディングをフランスなどの海外で行うことも、映画の世界では本当によくあることですし、海外の映画祭に出す作品では複数の国のスタッフが入っていることも多く、多様性の基準として評価されることも増えてきています。

そういった意味でも、国内にとどまらず、海外を含めたもっと広い範囲からそのプロジェクトに合う「この人!」というスタッフを探してみるのもいいかもしれません。


『仏像触りたい』の絵コンテとショットリストの一部。ショットリストは、日本語のものと英語のものをそれぞれ作成するなどして、カメラマンのピーター氏とコミュニケーションをとっていった。




最初の世界観からブレがないか見つめる

制作過程で生まれる全てのものを活用する意識を常に持つ

プロデューサーの仕事として、もうひとつ強調しておきたいのが世界観のチェックです。映画『生きててごめんなさい』を例にすると、美術部から上がってきたラフスケッチと、実際にロケ地に行ったときの写真を並べて確認する作業があるのですが、こういった作業は本来監督がメインで見るものではありつつ、プロデューサーも見るべきだと思っています。劇中に出てくる本やデザインも、基本的には演出部が考えるものですが、プロデューサーとしてはそこにも目を配っておきたいです。例えば、アーティストとのコラボにすれば宣伝にも仕込めるし、衣装を展示用に取っておいたりなど、制作過程で生まれる全てのものを活用する意識を常に持つようにしています。

特に撮影、美術、衣装といった「映るもの」に関わる部分は作品の色を大きく変えるところですし、事前にチェックができる重要な工程なんです。私が過去に感銘を受けたのは、『警視庁捜査資料管理室』を一緒にやっていた高井一郎さんというプロデューサーの方で、『踊る大捜査線』 や『ビーチボーイズ』をつくった大御所のプロデューサーなのに現場に来て美術のチェックまでしていたんです。例えば、前のシーンのアドリブで出た「ぬれ煎餅」というセリフを拾って、次のシーンに実際に「ぬれ煎餅」を小道具として仕込んでおいたり。リアルタイムで制作が動いていく中でも、映像の密度を常に上げていこうという心がけがすごくて、『踊る大捜査線』シリーズがああいった大きな作品になった理由が分かった気がしました。今思えば、こういった素晴らしいプロデューサーの現場に若い頃に立ち会えていたことは本当に貴重な機会だったんだなと実感しています。



映画『生きててごめんなさい』

美術部によるラフスケッチ




実際のロケ地の写真



劇中に登場する本のデザイン。本来は美術小道具として演出部が考えるものだが、雨無さんも細かく目を通している。







映画の呼吸で物語をつくる

未知数のことが多いこれからの映画業界で大事にしたいこと

物語に対する距離感や人間味を大切にするやり方があってもいいのではないか

最近は本当にいろんな媒体があり、Netflix作品やショートドラマ、縦型動画など形式も多様化していますが、どんな媒体や形式であっても「映画の呼吸で物語をつくる」ことはできると私は考えています。私にとっての「映画の呼吸」とは、哲学であり、映画の先人たちが築いてきた人間の雑味や、普段は手付かずになっているような深い人間性を凝縮して描く姿勢のことだと捉えています。映画プロデューサーは個性的な方ばかりで、もっと言えば「変わった人」が本当に多いです。私は、プロデュースに関係する本を読むのが好きです。伊丹十三監督の書かれた『お葬式日記』や、鈴木敏夫さんの本だったり、その記録から溢れる「映画という媒体だったからこその人間味や問いかけ、時代の反映」こそが映画の醍醐味だと感じています。ドラマはテレビ局が制作し、放送するという枠組みがありますが、映画はある種「誰が作ってもいいもの」です。助監督を経て監督になる人もいれば、俳優から監督になる人もいるし、突然映画を撮り始める人だっています。その自由な個性やその人自身の在り方と、映画の職人たちが築いてきた技術や伝統とが出会うことで、映画の呼吸が生まれるのだと思っています。

昨今では、AIによる制作やハリウッドでの脚本家のストライキなど、業界全体が大きな変化の中にあります。今後の映画業界がどうなっていくのかは未知数ですが、だからこそ物語に対する距離感や人間味を大切にするやり方があってもいいのではないかなと。表現が他者に影響を与える以上、その影響から自由ではいられません。作品が誰かを傷つけてしまう可能性も含めて、その結果を引き受ける立場でありたいと思っています。