18世紀にイギリスで生まれアメリカへと渡ったキリスト教系の共同体「シェーカー教団」。質素と労働を信仰の柱とし、神への奉仕として作られた家具や建築物は、一切の無駄を排した美しさで今も世界中で評価されている。映画『アン・リー/はじまりの物語』は、その教団を創設した実在の女性、アン・リー(マザー・アン)の生涯を描いたミュージカル作品だ。撮影監督のウィリアム・レクサーは、監督モナ・ファストヴォールドとともにバロック絵画の光とフィルムの魔法を手がかりに、信仰の世界を映像へと刻み込んだ。そのルック作りのプロセスや考え方についてお話を伺った。

取材・文●編集部 萩原

『アン・リー/はじまりの物語』2026年6月5日公開

18世紀のイギリス、貧しい鍛治職人の家に生まれたアンは信仰心の厚い女性として育つ。4人の子供を授かるも、全てを幼くして失うという悲痛な体験の中、自らが“キリストの女性の姿の生まれ変わり”である、と確信的な啓示を得る。彼女の性別、人種の平等を説く生き方は多くの人々を惹きつけていくのだったが、反感や警戒を感じる勢力から苛烈な迫害を受けていく。そして、 わずか8人の信徒とともにアメリカに渡り、理想の生活を実現するユートピアを求めるのだったが、そこでも大いなる困難が待ち受けていたのだった。

  • 監督・脚本・製作モナ・ファストヴォールド
  • 脚本・製作ブラディ・コーベット
  • キャストアマンダ・セイフライド、ルイス・プルマン、トーマシン・マッケンジーほか

公式サイト

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モナ・ファストヴォールドとの出会い——「惚れ込むのに時間はかからなかった」

 

 

——監督とはTVドラマ2本でご一緒されていますが、今回初めて映画でのコラボレーションとなりました。どのような経緯で参加を決めたのですか?

『The Crowded Room』と『Long Bright River』の制作中から、モナとはすでにこのプロジェクトについて話し合いを始めていました。脚本を読む前から存在は知っていて、リサーチも動いていた。本や美術、写真を調べたり、シェーカー教徒の定住地があったマサチューセッツ州ピッツフィールドへ何度か足を運んだりもしました。

それから脚本を読んで……「これは大変なことになった」と思いました(笑)。ミュージカルをやるのか、と。でも、モナと仕事をすること自体が、まず何より夢のようなことです。彼女は非常に協力的な人ですから。2本の作品を経て、私はもう確信していました——できる限り長く一緒に仕事をしたい監督だ、と。私がモナにすぐ惚れ込んだと、妻はよく笑うんです。彼女のプロジェクトなら何でも飛び込みたいくらいです。

——制作はどのようにスタートしたのでしょうか?

最初は4日間の撮影からでした。本制作に入る前に、資金調達のためのコンセプト実証用映像を撮ったんです。小さなクルーで、私がこれまでに仕事をしてきた仲間たちが自分の時間を自主的に提供してくれた。その最初の撮影から、これは単なる仕事ではなく、共同制作の芸術作品になると分かっていました。振付師のセリア、プロダクションデザイナーのサミュエル・ベイダー、オペレーターのサム・エリソン、そして私——本当に愛情を注いだ、真の意味での共同制作でした。

 

カラヴァッジョ、ハンマースホイ、そして映画『木靴の樹』——ビジョンを共有するための「共通言語」

 

 

——映像のルックや方向性はどのように固めていったのでしょうか? 他のインタビューでカラヴァッジョやデンマークの画家ハンマースホイ、イタリアのネオリアリズモなどを参照されていたと伺っています。

面白いエピソードがあって。モナと最初に本格的に話し始めたとき、彼女の家でブランチをしながら議論していたんです。私はカラヴァッジョのリファレンスを2点持っていき、プロダクションデザイナーのサミュエル・ベイダーはハンマースホイの作品を持ってきた。私が映画のオープニングのリファレンスとして持っていったのは、若い頃に観て大好きだった作品——エルマンノ・オルミ監督のイタリアのネオリアリスト映画『木靴の樹(1978年)』でした。

そしたらモナも「それ!」と言って同じ作品のリファレンスを取り出してきた。しかも開いたカラヴァッジオの画集を見たら同じ絵だった。最初のブランチの打ち合わせから、私たちはすでに完全にシンクロしていたんです。2本の作品を一緒に手がけて、同じ映画を愛しているから——彼女が話し出した瞬間に「これはカラヴァッジョだ」と直感していました。

——その後、具体的にどのようにビジョンを共有していったのですか?

私は膨大な量の写真集を持っていて、モナも同じくらい持っている。それを棚から引っ張り出して、共通言語を作っていくんです。監督に「もっとデサチュレーションして」「もっと暗くして」と言われても、人によって意味が違う。写真のリファレンスを積み上げることで初めて、共通の語彙が生まれるんです。

さらにプロジェクトが深まった段階では、映画の全カットについて、ロケハンの場でモナが自ら役を演じ、私がiPhoneのアプリ「Artemis」を使って撮影するというワークを徹底して行いました。時にはモナとプロデューサーのマディが役を演じることもあった。それをすべてプリントアウトして、モナのオフィスのボードに貼り出したんです。全シークエンスの最初と最後のフレームを——本番撮影が始まる何週間も前に——並べて把握していた。

予算1,000万ドルでこれだけ野心的な作品を作る場合、撮影できる量にも照明に使えるリソースにも限りがある。それだけ具体的に詰めておくことで、誰も見ないような場所に無駄にお金をかけることなく、すべてをスクリーンに反映できる。そしてクルー全員が「これが撮る画だ」と共通認識を持てるようになる。これは本当に大きかったと思います。

 

フィルムという選択——「魔法のある素材」への敬意

 

 

——本作はフィルム撮影を選択されました。その理由を聞かせてください。

この映画の主人公アン・リーは、自分たちが作り上げたものすべてを神の反映として、完璧さを追求した人物です。作った納屋はどれも完璧な直角。マサチューセッツやニューヨーク州北部に行くと、シェーカー教徒が建てた建造物が今も残っていますが、すべてが今でも正確で狂いがない。完璧な職人技によるものだからです。

彼らとその制作プロセスへの敬意として、フィルム撮影は非常に理にかなっていると感じました。フィルムには、伝統へのリスペクト、職人の技へのリスペクト、そして何かを変容させる力がある。

ヴェルナー・ヘルツォークがうまく言い表しています——フィルムには魔法がある、と。シャッターが閉じている暗転の瞬間に、観客の頭が映像を補完する。スピリチュアルな性質があるんです。スティーヴン・スピルバーグも言っています——フィルムで撮ると、何が撮れているか分かると思っていても、現像所で驚くことがある、魔法がそこに宿っている、と。

宗教についての映画であり、深くスピリチュアルな人物についての映画である以上——ある種の魔法を与えることが正しいと感じました。フィルムはその魔法を提供してくれます。

 

SIGMAレンズのブラインドテスト——10セット以上の比較から導き出した答え

 

——レンズ選定についてお聞きします。ブラインドテストで10セット以上を比較し、最終的にSIGMAのHigh Speed CinemaとClassic Primeを選んだと伺っています。その経緯と決め手を教えてください。

最初のテストでは10セット以上のレンズを用意しました。被写体をフォアグラウンドに配置し、650のフレネルをカードにバウンスさせて照明を当てながら、手前にろうそく、バックグラウンドには大量のろうそくを並べ、S60の柔らかいバックライトを加えた。ピントを前後で送りながら、様々な焦点距離で試しました。

ブラインドテストにしたのは、私たちは皆バイアスを持っているからです。特定のブランド名を聞いた瞬間に先入観が生まれてしまう。だからアルファベットの符号だけを振って撮影しました。明るい窓に向けてのハレーションテストも行い、照明なしで被写体をそのまま撮るテストもした。

その後ラボでスクリーンに投影して、プロデューサー、オペレーター、カラリスト、私自身——全員で投票しました。結果には正直驚きました。すべての評価項目で総合的に高いスコアが出た——顔の映り方、肌の再現性、ろうそくのボケ(アウトフォーカスの点光源)の処理——不自然なフレアが出ない、ピント送りの際のブリージングの少なさ、レンズの速さ、そしてハンドヘルド多用時の扱いやすいサイズ感。他の9セットのレンズを総合的に凌駕していました。

レンズ選びに「これが正解」という決まりはありません。たとえば、この後に撮影したレオナルド・ダ・ヴィンチをモチーフにした映画では、PANAVISIONのUltra Panatar IIを選びました。作品のトーンがまったく異なるからです。私が大切にしているのは、監督やプロジェクトに自分の好みを押しつけず、「この物語にとって何が正しいか」を常に問い続けること。今回の『アン・リー』にとって、SIGMAはその答えでした。余計なフレアで観客の集中を削ぐことなく、肌や素材を自然に、美しく描写してくれる。コントラストの再現性も申し分なく、この映画の世界観にピタリと合っていたんです。

 

「モダン・ロック」という照明哲学——すべては見えない光源から

 

——あなたが「モダン・ロック」と表現した本作のルックについて。ネオリアリズムとマジカル・リアリズムを融合させたような映像ですが、照明において意図したことと、技術的な挑戦を教えてください。

まず大前提として映画の中でライティングしていないシーンはひとつもありません。すべてライティングしています。ただ、観客に「すべてが自然光で撮っているのではないか」と感じてもらうことがポイントでした。

窓の外からは通常、10Kのモールビームを差し込ませて日光をエミュレートしていました。たとえば、アンが出産するシーンは、窓から差し込む10Kのモールビームとわずかにブルーを加えたHMIでライティングしています。タングステンの定常光——通常なら夜間シーンでしか使わないような照明を、日中のシーンにあえて使うこともありました。アンが目覚める朝の光が、まさにそれです。タングステンの質感が日の出のように感じられた。

プリズン・シーンの夜明けは、20Kフレネルをドリーに乗せてゆっくりと引き上げることで、彼女が歌を歌う中で太陽が昇っていくように表現しました。すべて人工的なものですが、できる限り自然に感じさせようとしました。これはバロック絵画から着想を得て作り出したスタイルでもあります——光から暗闇へと落ちていく、あの光の哲学です。

 

 

——船上のシーンは特に難しかったと伺っています。

あのシーンは2日しかありませんでした。嵐の船内と、デッキ上の大規模なダンスナンバーの両方を。屋外のダンスシーンでは晴天、雪、雨——複数の異なる天候を作り出さなければならなかった。技術的な挑戦は膨大でしたが、本当に楽しかった。スウェーデンで船のパートを担当したガファーのヨナスが、撮影後にこう言ってくれたんです。「40年間、この仕事をやってきて、なぜこれを仕事としてやりたくなったのか、原点を思い出させてくれるような現場だった」と。それでいて、ものすごくハードに働いた現場でした。

全員に「彼女と一緒にやりたい、彼女のビジョンを形にしたい」と思わせる力が、モナにはあります。現場のみんなが彼女を「マザー・モナ」と呼んでいました——まるで映画の中のアン・リーのように。そういう人と仕事ができたこと、それがこの映画のすべての出発点だったと思います。