「暮らしの映像」入門 第3回 〜無形民俗文化財の映像記録 その2


●今井友樹(ドキュメンタリー映画監督)

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(7月14日 文章を一部修正しました)

 

無形民俗文化財の映像記録 その2

映像記録の特性と限界

暮らしの映像は、表現者として記録者として対象とどう向き合うか。常に問い続けなければいけません。作品を効果的に伝えるには表現は欠かせませんし、記録も同様にまた然りです。今回は、民俗文化財の映像記録の特性と限界について触れます。記録において、映像記録は万能ではないということです。

 

映像のメリットとデメリット

記録の方法には、主に文字・写真・音・映像があり、それぞれに特性があります。例えば稲作を記録する場合、文字ならある時期にまとめて話を聞いて書くことが可能です。しかし映像だとそうはいきません。春の田植えから秋の収穫まで実際に足を運んで現場を撮影しなければ意味がありません。また写真は、動く動画より的確な情報を与えることができます。

一方で、映像は文章や写真だけでは捉えることのできない画面情報や動作を時間経過とともに伝えることが可能です。

例えば、現在高知県いの町で楮(こうぞ)から和紙ができるまでを追いかけた『明日をへぐる』(2021年春完成)というドキュメンタリー映画を制作しています。「へぐる」は和紙の原料をつくる工程の一つあり、高知の方言です。へぐる工程を説明するとき、文章なら「特殊な包丁で楮の皮から表皮部分を削ぎ取る作業のこと」と表現するのが良いでしょう。また写真なら、実際に特殊な形をしたへぐり包丁を楮の皮に当てている静止画を紹介するのがわりやすいと思います。

↑特殊な包丁で楮の皮から表皮部分を削ぎ取る作業

 

これが映像なら、音・時間・空間も含めて、より多くの情報を的確に伝えることができます。また編集段階で文字と写真のメリットを活かし、テロップ(文字)ナレーション、静止画を挿入することも可能です。多くの表現が可能で、これらは映像のメリットと言えるでしょう。

しかし映像文化は、文字文化に比べて圧倒的に歴史が浅い現実があります。映像記録も構成・編集段階では文章で考え、台本など文章で相手に伝えることで映像作品を仕上げています。映像も結局は文章表現によって成り立っている前提がある。これは映像の限界の一つと言えるでしょう。

前号で紹介した俵木悟さんが指摘した、同じ対象が相当に異なった姿で記録される可能性は常に存在するに通じます。制作者の視点による問題です。

 

映像の視点

我々が映像記録をする映像も、スマホで撮影したプライベートな動画も、すべて撮影者の視点が含まれています。お天気カメラも、定点観測カメラも例外ではなく、視点に客観性はありません。

個人的な視点で撮影された映像が映像記録としてふさわしいかどうかは、利用のされかたによって違ってきます。少なくとも映像記録として新たに撮影する場合、パーソナルな部分を越えた、より客観的な視点で記録することが望ましいとされています。矛盾する言い方ですが、この「より客観的な視点」が制作者によって異なるために、同じ対象が相当に異なった姿で記録される可能性は常に存在するということになるのだと思います。

作品は観る人に委ねられる

映像記録の特性と限界がある。より客観的な映像とは何なのか。求められる表現は何なのか。常に悩みながら撮影していくものです。

ただ前提として理解しておきたいことは、映像は観る人がいて成立するということです。作品をどう読み取るか。それは作品を観る人に委ねられるものです。取材対象を前にして、所詮、僕ら作り手も最初は素人です。試行錯誤を重ねがなら取材をし、体験し、実感します。その姿勢は、作品を観る側の気持ちと同じなのかもしれません。

次号では、無形の民俗文化財の三つの目的(①記録保存、②伝承・後継者育成、③広報・普及)の具体的な紹介をします。

 

今井友樹監督プロフィール

1979年岐阜県生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)卒。2004年に民族文化映像研究所に入所し、所長・姫田忠義に師事。2010年に同研究所を退社。2014年に劇場公開初作品・長編記録映画『鳥の道を越えて』を発表。2015年に株式会社「工房ギャレット」を設立。https://studio-garret.com/

 

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