中・高・大と映画に明け暮れた日々。あの頃、作り手ではなかった自分がなぜそこまで映画に夢中になれたのか? 作り手になった今、その視点から忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に改めて向き合ってみる。
文●武 正晴
愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。主な作品には『百円の恋』、『リングサイド・ストーリー』、『銃』、『銃2020』、『ホテルローヤル』等がある。ABEMAと東映ビデオの共同制作による『アンダードッグ』が2020年11月27日より公開され、ABEMAプレミアムでも配信中。現在、NETFLIXでオリジナルシリーズ『全裸監督』シーズン2が配信中。2024年10月25日よりアマゾンPrime Videoで『龍が如く〜Beyond the Game〜』が全世界同時配信!
第128回 素晴らしき日曜日

イラスト●死後くん
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製作年 :1974年
製作国:日本
上映時間 :98分
アスペクト比 :スタンダード
監督:黒澤 明
脚本:植草圭之助
製作:本木荘二郎
撮影:中井朝一
編集:今泉善珠
音楽:服部 正
出演 :沼崎 勲/ 中北千枝子 / 渡辺 篤 / 中村是好 / 菅井一郎 / 清水将夫 / 堺 左千夫ほか
終戦直後の東京。恋人の雄造と昌子は、いつもの日曜日のデートに出かけるが、所持金はわずか35円。貧しさと容赦ない現実の壁に直面すしながらも、ふたりは小さな喫茶店を開く夢を語り合い、野外音楽堂で”想像のコンサート”を楽しみながら希望を取り戻していく。
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38回を迎えた東京国際映画祭の、「黒澤 明の愛した映画」という特集上映で『羅生門』と『夢』が上映されていた。僕が最初に見た黒澤作品は中学一年の時のゴールデン洋画劇場TV放映『用心棒』で次週の『椿三十郎』やその後の『七人の侍』『隠し砦の三悪人』のTV放映を立て続けに観た。映画とは何か? と聞かれたら『七人の侍』を観ろと言えと。
小さな作品が僕の心に残った
1987年東京にやって来た僕は、銀座並木座の黒澤 明特集上映に連日通った。デビュー作『姿三四郎』から時系列順の2本立て上映がありがたかった。映画を観終えて、佐藤忠男「黒澤明の世界」を手に取り予習復習して、劇場に向かう毎日だった。『酔いどれ天使』『野良犬』『羅生門』『天国と地獄』『生きものの記録』『悪い奴ほどよく眠る』『赤ひげ』『どですかでん』とまだ観ぬ名作群に連日打ちのめされ、銀座へ向かう道中に心弾んだ。黒澤監督は生涯30本の映画を遺したが、『素晴らしき日曜日』という小さな作品が大作に紛れて僕の心に残った。黒澤監督は当時失敗作と自ら酷評した。しかしながら『素晴らしき日曜日』は僕の中で、『七人の侍』『羅生門』に劣ることない素晴らしい作品だと感じた。
日本映画の手だれ達の登場が嬉しい
1947年2月16日の日曜日を過ごす若者カップルが主人公。当時無名の沼崎 勲と中北千枝子が瑞々しい恋人達を演じる。中北千枝子は後に成瀬巳喜男監督作品『流れる』の米子役や岡本喜八監督の『独立愚連隊』中国人従軍慰安婦役などの印象深い名バイプレーヤーとして僕を楽しませてくれた。今作品では21歳という新人。丸顔のなんともキュートな健気な昌子役に大抜擢だ。映画初出演の雄造役の沼崎共々、名優達がアシストする。菅井一郎、渡辺 篤、中村是好、清水将夫、堺 左千夫と日本映画の手だれ達の登場が嬉しい。
ふたり合わせて所持金35円の恋人達がどんなデートを過ごせるのか。今のお金に換算すると1000円くらいか。待ち合わせ、青年はシケモクを拾おうとするがやって来た恋人に咎められる。動物園で時間を潰し、高嶺の花の住宅展示場や人の住処とは言えないような安アパートを下見するものの、ふたりが共に住むべき場所は見当たらず、よるべなきふたりは彷徨い歩く。路上で三角ベースの少年に混じり雄造はフルスイング。ボールは饅頭屋の看板を破壊してしまう。饅頭を10円で買わされ残金25円。
旧友に金を借りにキャバレーに向かうが浮浪者扱い。旧友には会えず自尊心を失う雄造。ふたりで弁当を広げていると、戦災孤児が近づいて来て10円で弁当を分けてほしいと。流石に金を受け取れない雄造は「親はいるのか? 寒くないか?」と尋ねると「みんな同じこと言うな。人の心配するより、自分の心配しろよ。お前も復員だろ、偉そうにするな」と。雄造は言い返すこともできず、下を向いてしまう。戦争の敗戦によって、自信と生きる活力を喪失してしまったようだ。
雄造を必死に励ます昌子が前向きで健気だ
カフェベーカリーの店を開く夢も戦争によって奪われた雄造を必死に励ます昌子が前向きで健気だ。クサクサしている雄造を励まそうと日比谷公会堂の音楽会に誘う。初めてのデートの思い出の曲。シューベルトの未完成交響曲をふたりで20円で聴けるのだ。雨の中、日比谷公会堂に向かうふたり。78年前の銀座が映し出される。ダフ屋が目の前で10円券を買い占め、15円で売り始める。抗議した雄造はダフ屋達に袋叩き。
ひとり取り残された雄造を映し続ける演出
すっかりしょげてしまった雄造は昌子と別れて下宿に帰る。雄造を心配した昌子は彼の下宿までついていく。四畳半の貧乏アパートに友人と同居しているのだ。友人は夜遅くまで帰ってこない。天井からの雨漏りを洗面器で受ける音がふたりの心臓の鼓動のように聞こえる。黒澤監督は男という生き物が抱える媚態を曝け出す。「僕にはもう君しかいないんだ」と言いながら迫るチロチロと雄造に流れる媚態の血を暴く。それに気づき逃げ出す昌子。ひとり取り残された雄造を映し続ける演出は流石だ。黒澤監督得意の対位法による音楽設計。向かいの電器店から朗らかな音楽がより雄造には残酷だ。彼の部屋にずぶ濡れの昌子が戻って来て、コートを脱ぎながら嗚咽する。「いいんだよ」と彼女に詫びる。
19歳の僕は観ていて胸が苦しくなった。僕の四畳半の風呂なし、共同トイレのアパートもテレビも電話もなければ冷暖房もない部屋だ。デートする相手すらいなかった僕は困ってしまった。
雨が止み、ふたりは残金でカフェにコーヒーを飲みにいく。「小さな喫茶店」という曲が観ている僕の心も和ませてくれる。戦後間もなく人々の心を和ませてくれた名曲の数々が映画で奏でられる。荒れ果てた街、人々の心には音楽や映画が殊更必要だったのだ。ミルク代の10円を追加され支払いができない。コートを形にして喫茶店をでていく。夕暮れの焼け跡で、雄造は大衆のためのカフェを開くことを決意する。あんな悪どいカフェを叩き出すためにも。
無人の音楽堂がふたりのデートの最終地点だ。僕はこのラストシーンで、映画とはね、主人公と決めた人物達は最後面倒見てあげなくてはいけないのだよ、と黒澤監督に教えられた。
彼女のために無人の音楽堂で指揮をして未完成交響曲を聴かせようと指揮棒をひとり振おうとするが、虚しさを感じ雄造はしゃがみ込んでしまう。ひとり応援団の昌子がステージに上がり、スクリーンの僕ら観客に拍手をお願いし始めた。僕は驚いた。「世の中の冷たい風に、いつも凍えていなければいけない、貧しい恋人達のために、どうか皆さんの温かい心で声援を送ってあげてください〜」
黒澤監督達の優しさ
黒澤監督達の優しさに胸が熱くなる。劇場に拍手は残念ながら起きなかった。僕も逡巡してしまった。劇中、雄造は立ち上がり未完成交響曲が奏でられた。ひとりでは挫けてしまうこともふたりいれば立ち上がることができることを証明してくれた映画。19歳の僕は勇気づけられた。
この映画がスクリーン上映されたら駆けつけて、今度は拍手を送りたい。劇場がきっと拍手に包まれるであろう社会に今日成熟していると僕は信じたい。この映画は決して失敗作でない。

