中・高・大と映画に明け暮れた日々。あの頃、作り手ではなかった自分がなぜそこまで映画に夢中になれたのか? 作り手になった今、その視点から忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に改めて向き合ってみる。

文●武 正晴

愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。最近の作品には『百円の恋』『リングサイド・ストーリー』、『銃』、『銃2020』、『ホテルローヤル』等がある。ABEMAと東映ビデオの共同制作による『アンダードッグ』が2020年11月27日より公開され、ABEMAプレミアムでも配信中。現在、NETFLIXでオリジナルシリーズ『全裸監督』シーズン2が配信中。

第91回 勝手にしやがれ

イラスト●死後くん

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原題: À bout de souffle
製作年 :1960年
製作国:フランス
上映時間 :90分
アスペクト比 :スタンダード
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
原作:フランソワ・トリュフォー
製作 :ジョルジュ・ド・ボールガール
撮影 :ラウール・クタール
編集 :セシル・ドキュジス/リラ・ハーマン
音楽 :マルシャル・ソラル
出演 :ジャン=ポール・ベルモンド/ジーン・セバーグ/ダニエル・ブーランジェ/ジャン=ピエール・メルヴィル/アンリ=ジャック・ユエ/ロジェ・アナンほか

ゴダール監督の長編デビュー映画で、1950年代のフランス映画界に起こった新しい波「ヌーベルバーグ」を代表する作品のひとつ。警察官を射殺してパリに逃亡中の自動車泥棒のミシェルは、新聞売りのアメリカ留学生パトリシアと共に逃避行することになるが…。

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9月13日、ジャン・リュック・ゴダール監督が、12月3日の92歳の誕生日を迎えることを望まず、91歳で終えることを選択した。僕はゴダール作品の全ては観ていないが、東京に出てきた19歳の時に『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』を初めて観た。 

映画狂の大学同級生達からはゴダールかタルコフスキーの名前が活発に発せられていた。『気狂いピエロ』は深夜のテレビシアターで放送され、『勝手にしやがれ』は東京のあらゆるミニシアターで定期的に上映されていて、流石、花の都大東京だと感じた。沢田研二の「勝手にしやがれ」を聞いて育った僕は、ヌーベルバーグから27年遅れでゴダールの洗礼を受けた。高田馬場のミニシアターで『勝手にしやがれ』を観た僕達新入生達は早速、主演のジャン=ポール・ベルモンドの煙草の吸い方を真似して唇を撫でながら、「俺は馬鹿だ、最低だ」という台詞を呟きあっては気取ってみた。

粋でシャレていると感じた

1960年に世界をアッと言わせた『勝手にしやがれ』は1986年の僕達若者にも未だ影響力を与えていた。粋で、シャレてんなと感じた。パリの街並みを歩いてみたくなった。ジャン=ポール・ベルモンドのとぼけたチンピラ伊達男とべリーショートカットのキュートなジーン・セバーグが詩的なウイットに満ちた会話を交わしながらパリのシャンゼリゼ通りを闊歩する様に魅了された。「シャン上げ? シャン下げ? するか」というジャン=ポール・ベルモンドの台詞が良かった。

僕は東京の表参道辺りをショートカットの女の子と粋な会話を夢みたが、未だ実現せず年老いてしまった。僕は2015年にパリを映画祭で初めて訪れた時、シャンゼリゼ通りをひとりシャン上げ、シャン下げしてふたりの歩いた道を闊歩して感激していた。新聞売り子役だったセバーグのヘラルド・トリビューン新聞の売り口上が聞こえてこないかと耳を澄まして期待した。

ハンフリー・ボガードを崇拝する自動車泥棒の常習犯、ミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)はマルセイユから金持ち老夫婦の車をかっぱらい、パリへの田舎道を疾走する。マルシャル・ソラールの軽快なジャズテーマに乗せて「俺はフランスが好きだ」と嘯く男は車を売っ払った金でローマへ高飛びしようとしている。スピードの出し過ぎで追いかけてきた白バイ警官を射殺して逃走犯となる。無一文でパリに戻って3日間付き合ったという元カノ、アメリカ人留学生パトリシアの家に潜伏する。このパトリシアが齢21歳のジーン・セバーグだ。僕は中学生の時、お昼のニュースにジーン・セバーグ訃報のニュースが流れた時の両親の落胆ぶりを覚えている。

美しいものを撮り重ねていけばそれが映画になる

この映画はジーン・セバーグのアップショットで終わるのだが、僕はゴダール監督から、美しいもの、愛しいものを撮り重ねていけばそれが映画になることを学んだ。パリ市内を車で疾走する車内のふたりの会話、パトリシアのうなじ方向からあまりにも美しい彼女の容姿にカメラを向け続けるゴダール監督。ベルモンドへの切り返しショットは一度もなく全てオフ。呆れるほどの徹底さが心地よい。おかげでそれ以来僕はショートカットと女性のうなじが弱点なのだ。

潜伏するパトリシアのアパートメントの一室は、ゴダール監督が愛でた小物に溢れている。雑誌、本、レコード、音楽、ポスター、絵画、タバコの銘柄…。僕自身もデビュー作『ボーイミーツ・プサン』を撮るときに『勝手にしやがれ』を見直した。アパートメントの室内シーンは繰り返し見てしまう。モノクロのコントラストのハイライトがいい塩梅で、ベルモンドが吐き出すタバコの煙の白がいい効果を出している。

アパートメントの長い会話のふたりの即興劇をワンショット、ワンショット巧みな構図で切り取っていくゴダール監督の手腕に魅せられてしまう。映画は画で語るのだと教えられる。

数多の手持ちショットが素晴らしい

撮影は戦場カメラマン出身のラウール・クタール。『勝手にしやがれ』から18本ゴダール映画を撮っていく。トリュフオー監督の『突然炎のごとく』、コスタ・ガブラス監督の『Z』も手がけた名匠だ。ジャンゼリゼ通りのふたりの手持ちショットに代表される、数多の手持ちショットが素晴らしい。手持ちパンニングからの人物の出入りは、黒澤明監督の『7人の侍』の人物配置とカメラワークを彷彿させる。長回しの手持ちがぶれることなく美しい構図を生み出している。

パリの街にカメラが飛び出しての撮影で、一般の通行人たちの戸惑う様や、カメラに気づいて振り向いたり、突然始まった撃ち合いの場面に戸惑っている様が映り込んでいて、かえって臨場感や生々しさを生んで上手く利用している。エキストラを仕込まずのゲリラ撮影の発想は随分とこの映画から学んだ。

あまりにも有名なベルモンド演じるミシェルの死に様を捉えた路上ショットの長回しは、路上の人々が本当に人が撃たれたときに見せるかのような戸惑いと呆然とする多様なリアクションが映り込んでいる。これが仕込んだエキストラの演技だとしたら、それは神技演出なのだが。

フランス映画が世界を席巻していく重要な人々がこの映画に集結している。僕の大好きな『まぼろしの市街戦』『リオの男』の脚本家ダニエル・ブーランジェがミシェルを追い詰める刑事役で出演。『サムライ』のジャン=ピエール・メルビル監督がパトリシアがインタビューする作家役で怪演している。フィリップ・ド・ブロカ監督他多数の映画人がカメオ出演している。

命を映画に使い切ったゴダール監督

40年後の今日デジタルリマスターされた『勝手にしやがれ』のモノクロの美しさ、撮影の素晴らしさに改めて気づかされる。ゴダールの死で、再び日本各地で劇場公開されている。ヌーベルバーグのフランス映画人が残してくれた映画遺産。「私は命を(映画に)使い切った」という言葉を遺したゴダール監督。この金言を糧に僕も残りの人生を映画に使い切れるよう精進したい。

●VIDEO SALON2022年11月号より転載