音への“好き”が高じて個人のスタジオまで作ってしまった声優・小岩井ことり。さまざまな録音現場を経験し、積極的に知識を蓄積してきた彼女ならではの音へのこだわりには、音質改善のヒントが隠されているかもしれない。リモート取材で本人に話を聞いた。
構成・取材・文●佐伯千太
●VIDEOSALON 2021年4月号より転載
小岩井ことりofficialチャンネル
ASMR動画からゲーム配信まで多様なコンテンツを配信中。
https://www.youtube.com/channel/UClDfVHJxrsGTq61MJp55s3Q
声優 小岩井ことり
『のんのんびより』宮内れんげ役、『アイドルマスター ミリオンライブ!シアターデイズ』天空橋朋花役など人気作品の声優としてだけでなく、作詞家、作曲家としても活動。オーディオマニアとしても知られ、イヤホン・Owltech KPro01の監修やASMRレーベル・kotoneiroのプロデュースなども行なっている。ピアレスガーベラ所属。
声優さんの声の周波数とピッチを解析してました
——声優であり作曲家でもある小岩井さんに、今回はVIDEO SALON向けに映像と音にまつわるお話をしていただきたいと思います。
私も簡単な映像は作っていますけど、軽くプラグインをかける程度の簡易的なことしかできないので、全然ヘタだと思うんです。外注するとどうしてもコストがかかってしまうので、しかたなく自分でやっているという…(苦笑)。変えたほうがいいと分かりつつも編集ソフトはVEGAS Proを使っていて、VEGASユーザーのなかではかなり使い込んでいるほうかもしれないですけど、編集していて分からないことがあっても、ネット上でチュートリアルがあまり見つからないのでいつも対処に苦戦しているんです。でも逆に、映像をされている方でも音のことはあまり詳しくなかったり、苦手意識を持たれている方も多いみたいで、それはすごくもったいないなと感じます。個人的に、映像に比べれば音はそんなに難しくないと思うので、映像を作っている方の中で音を改善するだけで頭ひとつ抜ける人がいっぱいいるはずです。
——小岩井さんは機材や録音環境の知識を独学で身につけたそうですが、声優という仕事を始めてから興味が湧いたんですか?
私は音そのものが好きだったので声優を目指したという順番なんです。声優としても専門学校などで勉強していないので独学な部分も多いんですが、いろんな声をスペアナ(スペクトラムアナライザ)で周波数帯を見たり、ピッチモニターで波形を解析したりして…。自分の声でまったく同じような波形を作り出せればそれは技術を習得したと言ってもいいんではないか、と(笑)。
ただ、数値はほとんど同じでも感情面は違うということに気づいて、音の追求として声優という職業を生涯かけて研究していきたいなと思ったんです。あと、個人的に声優がすごくいい仕事だなと思うのは、ひとつのレコード会社さんだけじゃなくていろんなレコード会社さんに行けて、キャラクターソングや主題歌を歌わせてもらう関係でいろんなスタジオさんに毎日のように通えるんです。私は時間があればエンジニアさんたちと話すようにしていて、マイクとの適切な距離はどのぐらいなのか、どんな機材を使っているのか、吸音と防音の仕組みはどうなっているのか…と、たくさんアドバイスをもらって勉強させてもらいました。
最強の防音ルームを作るには質量を増やすしかない
——趣味の域を超えたスタジオをお持ちですが、作ろうと思ったきっかけを教えてください。
声優デビューした頃からDTMを始めたこともあって、自宅で軽く録音ができるような環境は少しずつ整えていたんです。なるべくいい音で録音できるように、吸音材を貼ったりしていろいろと工夫していたんですけど、どうしても防音には限界がありました。最近はありがたいことに作曲や編曲のお仕事が増えてきたこともあって、じゃあ自分のスタジオを作っちゃおう、と。ただ、音の遮断を突き詰めると質量を増やすしか方法はない。つまり地下室がないと最強の防音ルームを作ることができないんです。ということで、まずは地下室がある物件を探すところからスタートしました(笑)。
音にはもちろんこだわるんですけど、自分の知識や経験を活かして、いろんな面から作品の完成度を高められるようなスタジオを目指したつもりです。役者さんにいいパフォーマンスがほしいということもあって、エンジニアルームよりもレコーディングブースをなるべく広く取っているところも特徴ですね。もちろん予算が許す限りですが、自分の理想のスタジオが作れたと思います。最近ではいろんな方に使っていただけるようになって、自分でも予約が取れないという…本末転倒ですね(笑)。
——スタジオにある機材について、ここにも小岩井さんの知識や経験が反映されていると思いますが、それぞれ採用したポイントを教えてください。
私の趣味趣向はいったん置いておいて、業界標準というかいろんなニーズに対応ができるような機材を選んでいます。まずマイクですが、NEUMANN U87Aiはどこのスタジオさんにもあるマイクなので、絶対にひとつは置いておきたいなと。ソニーC-100はハイレゾマイクと呼ばれていますけど、高周波数域まで収音できるので、そういう需要に応えるために用意しました。コンプレッサー/リミッターはデジタルで完結しようか迷いましたけど、利用されるクライアントさんからリクエストがあったので、実機のUniversal Audio 1176LNとNEVE 33609を入れている感じです。
インターフェイスはエンジニアさんにお借りしていたRME Fireface UFXを以前使っていたんですけど、RME Fireface UFX+を買って導入しました。最初は少しずつ奮発して好きな機材を買っていただけなんですけど、ついつい勧められて購入しちゃうっていうのがあって、例えばTwitterで新しく機材を買ったよと投稿したら、いろんな人から「小岩井さん、これ試してみますか?」と興味のある情報や機材が自然と集まってくるという…。まあ、実際に試してみるとほしくなっちゃうから、それきっかけで買うことも多いんですけど(笑)。ひとつ機材を買い足すともともと使っていた機材が余っちゃったりするので、そういう時にエンジニアさんだったり、機材好きの皆さんと貸し借りをしています。
——そのほかこだわりのポイントはありますか?
実はネット回線の速度にもこだわっています。44.1kHz/16bitのWAV音源だけじゃなくて、さらに上のサンプリングレートの96kHz/24bit FLAC音源だったり、これまでの標準よりも高音質で、重いデータのファイルのやりとりが必要になってきたので、そのデータのやりとりにストレスがないようにするためにはネットの速さはすごく大切です。このご時世でリモート収録やリモート生配信がすごく増えたこともあって、スタジオとしてはその需要にも応えられるようにしないといけないですからなおさらですね。あと、私はレコーディングスタジオ経営者でもなければ録音エンジニアでもなく、あくまで本業は声優なので、声優のお仕事をしながら別のことにも挑戦しようとすると、いろんなことの効率を高めないといけません。機材もネット環境も、効率化のために予算を使うのは仕方ない…と好きなものを買う言い訳にしています(笑)。
「趣味が高じて…」のレベルを超えたこだわりのスタジオ
▲こだわりの機材が並ぶ小岩井さんのDTM環境。声優デビューした頃からDTMを始め、機材は少しずつ奮発して購入していった。趣味の領域を超え、最近では作曲・編曲の仕事も増えてきている。
▲知識と経験を活かし、レコーディングブースとエンジニアルームを備えたスタジオが完成。防音性は譲れなかったため、地下室のある物件が絶対条件だった。
▲ナレーションブースを通常よりも広めに設計。「作品のクオリティを上げる」はどのスタジオでも共通の理念だが、いいパフォーマンスができるように…と、演者に細かく配慮されている点は小岩井さんならではかもしれない。
スタジオ使用機材リスト
●マイク
NEUMANN U87Ai、KM184 mt
オーディオテクニカAT4040、AT4080
ソニーC-100
●マイクプリアンプ
FOCUSRITE ISA430 mkII、ISA Two
●コンプレッサー/リミッター
Universal Audio 1176LN
NEVE 33609
●オーディオインターフェイス
RME Fireface UFX+
Universal Audio Apollo 8P
●モニタースピーカー
GENELEC 1032B、8010A
●モニターヘッドホン
ソニーMDR-CD900ST ほか
●マシン
マイクロソフトWindows10 64bit
アップルMacBook Pro 13インチ
●DAWソフト
Avid Pro Tools 12
Steinberg Cubase Pro11、WaveLab 10
●プラグインソフト
CELEMONY Melodyne 5 Studio
Waves Mercury Bundle
Universal Audio UAD
iZotope Everything Bundle ほか
スタジオ紹介のTwitterが話題に!
昨年4月、小岩井さんが「お役に立てれば…」と自身のスタジオ貸し出しをアナウンスしたTwitterの投稿が話題になった。紹介されている機材の“ガチっぷり”に改めて注目が集まったが、同時に、緊急事態宣言下で思うようにスタジオ収録ができなかった同業者や制作者から利用の依頼が相次いだそうだ。
ナレーションや台詞や歌など
自宅でも収録してお送り出来ます。マイクはNEUMANN U87Aiや
完全防音ブースもございます。48/24はもちろん
96kHz/32bit-floatなどでの納品も可能です。こんな時なのでスタジオ収録が難しい場合など
お役に立てる事が御座いましたら
所属事務所までご相談下さいませ。 pic.twitter.com/zxREfl2mKF— 小岩井ことり (@koiwai_kotori) April 2, 2020
音は良くても視聴者に褒められないのが悲しい
——小岩井さんご自身もスタジオから生配信をされていて、当然音にも気を遣われていると思いますが…。
生配信のマイクはNEUMANNのKM184 mtを最近よく使っています。声用に有名なマイクというわけではないですが、比較的小型で音もよいので、配信をされる方には試してみてほしいです。でも、配信で適正な音量を保つだけでも不慣れな方は大変ですよね。私も視聴者として配信を観ますけど、音においてトラブルが起きているものがけっこう多い気がします。あと悲しいのが、映像や照明がいいと視聴者の方から褒められるけど、音は悪いと指摘されて、良くても褒められることがほとんどないという(笑)。私は音が配信を支えているという意味でやりがいがあると思いますけど。
——生配信ではなく映像作品、特にナレーション録りの際に気をつけるべきポイントはありますか?
録り方とか、音量とか、もう少し改善できそうだなと感じる作品は確かにありますよね。すべての人に当てはまることではないかもしれませんが、音に関しては一気に高度なレベルの話は考えずに“一歩進むこと”が大事だと思います。私が独学で身につけてきたから余計にそう感じるのかもしれませんね。個人的にインターフェイスを導入してみるのはオススメで、インターフェイスを使った場合と使わない場合でどのぐらい違いが出るのか、それを体感するともうひとつ先のステップに進めるんじゃないかなと。いまならネットや楽器店でも手軽に入手できるので、まずはそこから始めてみるのはいいと思います。マイクは価格とのバランスもあるので難しいですよね…。これも先ほどの話と同じかもしれませんが、私もNT2AからU87Aiに変えたことで劇的に変わったと感じたので、段階はあると思いますけど違いを感じるために業界標準のマイクを使ってみるのもひとつの方法かもしれません。
——先ほど「理想のスタジオが作れた」というお話がありましたが、今後の展望はありますか?
融通が効くスタジオとして今後も声優さん、制作者さんの役に立つスタジオを目指したいなと思います。具体的には、生配信などこのスタジオで映像を扱うことが増えてきているので、新しいカメラの導入を検討しています。α6500を持っていて、近日中にα7S IIIを買おうかなと。ムービーカメラとして申し分ないんですけど、そうなるとレンズはどうしよう? と悩んでいる最中です。その一方で、いまのスタジオはいろいろとやりすぎていまして(笑)、もともとは音声収録だけを想定して構築したのに、コロナの影響もあって動画配信や映像撮影など用途が多岐にわたりすぎて、セッティングの転換がとても大変になってしまいました。予算があればですが、第2スタジオを作ってひとつのスタジオでは足りなくなってしまった部分を補うことが今後の目標です!
小岩井さんオススメの音質改善のファーストステップ
インターフェイスを使う
「個人的にはまずオーディオインターフェイスを使ってみることをおすすめします。もちろん直接USBで接続できるマイクも手軽でいいんですけど、インターフェイスを導入することで機材の接続の仕組みやルーティングの基本が学べると思うので。最初は安いモデルでもいいですよ。インターフェイスを使い始めたらどんどん音を追求したくなって、最終的にきっと買い換えますから(笑)」
マイク選びのポイント
「私はRODE NT2-Aという当時3万円ぐらいのコンデンサーマイクを最初に使っていたんですけど、いろいろ録音していくうちに、やはり定番のNEUMANN U87Aiがほしくなって…。変えてみたら一気に音が鮮明になったので買ってよかったと感じています。U87Aiは高価ですが、ずっと使っていけるマイクなので、『仕事としてやっていくんだ!』という心意気があれば損ではないと思います」
iZotope RXでノイズ除去
「ノイズを解消したいのであればiZotopeのRXシリーズがすごく優秀。ほとんどの録音スタジオさんで使われていて、ノイズ処理を一気にプロレベルに引き上げることができます。Adobeのソフトでもプラグインとして使えますし、直感的な操作性で画像処理みたいにノイズを消していくこともできるので、映像のクリエイターの方は抵抗なく導入できるんじゃないかなと思います」
スタジオでは自身のYouTubeチャンネルの動画やCM制作も
自作曲のMVやスタジオにグリーンバックを持ち込んだPRムービーまで、オフィシャルYouTubeチャンネルの撮影・編集も自身で手がけている小岩井さん。写真は広告クリエイティブパートナーを務めている「らしんばん」のサービス体験動画の撮影風景。「らしんばん」のCMでも企画・コンテ作成・声の出演・制作まですべて手がけた。
超高音質なAMSR動画もアップ!
カスタムイヤーモニターを提供するブランド・FitEarの社長からお借りしているというダミーヘッドマイク KU100を使ってAMSR動画の音声を録音。ASMRレーベル・kotoneiroのプロデュースも手がけるなど、ASMRにも力を入れている小岩井さんだが、YouTube上にはマイスタジオの完全防音室を活かしたバイノーラル実演映像や超高音質で録音されたkotoneiro試聴動画をアップロードしているほか、「ささやき生配信」と題した音声に特化した配信なども行なっている。
●VIDEOSALON 2021年4月号より転載