▲NHKエンタープライズの最新VR作品「カナシミの国のアリス」上嶋 萌監督作品。最新作のコンセプトは、“8K:VR Interactive”。

NHKエンタープライズとNHKテクノロジーズが制作した8K3Dによるインタラクティブ映像作品「カナシミの国のアリス」。同作は、観客が物語空間に入り込み、作品を楽しめる新感覚のエンターテインメント作品だ。ここではその上映システムや制作の裏側についてレポートしていく。

取材・文◎染瀬直人

 

 

VR映像の可能性~他人数の同時鑑賞と感動の共有

VRというと、ヘッドマウントディスプレイやVRゴーグルを装着して、一人で楽しむゲームやアトラクションのようなコンテンツを思い浮かべる方が多いかもしれない。しかし、その他にも様々な視聴体験のアプローチが試されている。近年、ヴェネツィア国際映画祭やカンヌ国際映画祭、釜山国際映画祭などでも、 VR部門が設定され、シネマティックVRと呼ばれるストーリー性を持った作品が注目されている。アメリカのオースティンで開催される世界最大規模のテックと文化のイベント・SXSW(サウス・バイ・サウス・ウエスト)のヴァーチャルシネマセクションでは、インタラクティブな展開を持った実験的なVRコンテンツが登場し、新しいメディアとして認知されている。

NHKエンタープライズ(以下、NEP)では、2015年よりNHKメディアテクノロジー(現NHKテクノロジーズ 以下NT)と共同で、”8K:VRプロジェクト”を開始。8K3Dの超高精細な立体映像、それに22.2ch立体音響を組み合わせた最先端の技術と演出により、新しい視聴スタイルのVRコンテンツを制作。”空間体験”としてのVRの在り方を追求してきた。それはヘッドマウントディスプレイに頼らずに、大勢の観客と共に空間とストーリーを共有できるVR動画の世界だ。

これまでに人気ロックバンドのサカナクションをフィーチャーして、8K3D(300インチ)と22.2chの立体音響で制作された「Aoi-碧-サカナクション」(SXSW 2016出品、コンセプトは、”8K:VR Theater”)。そして、世界初の「8K+ドーム型ワイドスクリーン+モーションライド+5.1ch」を実現、サザンオールスターズの楽曲をフィーチャーした「東京VICTORY」(SXSW 2017出品、コンセプトは、“8K:VR Ride”で、)が制作されてきた。(2作品とも田邊浩介監督作品)その精緻にオーサリングされた高品質の3D映像と音響は、高い評価を得ている。

▲田邊浩介監督作品「Aoi-碧-サカナクション」。8K:VR TheaterのWEBサイト(http://8kvr.net/theater/jp/

 

 

観客が物語に入り込み、冒険する! 8Kの超高精細映像による“物語空間体感型エンターテイメント作品”


▲「カナシミの国のアリス」

そして、NEPのVRコンテンツの最新作である“8K:VR Interactive”「カナシミの国のアリス」(監督:上嶋 萌氏)が、昨年、次世代映像アワードのMADD. Award 2019 screeningのExhibition上映を経て、オーストリアのリンツで開催されたメディアアートの祭典“アルスエレクトロニカフェスティバル 2019”などで披露された。筆者は12月に日本科学未来館・イノベーションホールにて行われた“WORLD CONGRESS OF SCIENCE & FACTUAL PRODUCERS”の関係者向け体験会で、この作品を視聴した。

▲主演のモトーラ世理奈と、演出中の上嶋 萌監督

 

「カナシミの国のアリス」は、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」をベースに、背景を今の東京に置き換えてストーリーが展開していく。現代の女の子のアイコンとして登場する「アリス」(主演:モトーラ世理奈)が、厭世的な逃避の果てに迷い込んでしまった”カナシミの国”を、観客がヒロインと共に擬似体験していく幻想的な作品だ。作中のCGは前述の「Aoi-碧-サカナクション」「東京VICTORY」同様にデジタル・ガーデンが手がけている。

 

詩的な映像をかたちにする最先端のテクノロジー


観客は提供された3Dメガネをかけて、映像を見る。前2作品同様、高解像度・高品質な映像の完成度と立体感、会場を包む込む高密度な音響の臨場感に、まずは圧倒されてしまう。正面には8K3D映像が、同時に床面には4K2D映像が投影され、空間音響は22.2chという構成だ。

 

▲上映会場の様子。正面と床面に投影された映像が、没入感を高める。(写真は“アルスエレクトロニカフェスティバル 2019”のExhibition上映の時の模様。)手前に飛び出す星屑は、リアルタイム3Dレンダリング。(Touch Designer)

▲観客に提供され、鑑賞の際に使用する3Dメガネ。

▲会場の正面の8K3D映像の投影には、アストロデザイン株式会社の8K/120p対応の低遅延、低ストロークのプロジェクターが用いられた。輝度25,000ルーメンと非常に明るいため、3Dメガネを使用しても輝度が損なわれることがない。立体視はフレームシーケンシャル方式(左目用の画像と右目用の画像を交互に表示し、再生時に専用3Dメガネなどで鑑賞する)である。ステージの底面の4K映像は、天井から設置された4Kプロジェクターから投映され、正面の映像とミックスされて、没入感を高めている。



▲22.2chの立体音響のためのスピーカー

さらに画期的なのは、TouchDesigner(ヴィジュアル・プログラミングツール)を用いて、ストーリーの中に数々のインタラクティブな仕掛けを盛り込み、会場そのものを物語を体感する空間へと変換させることに成功している点であろう。インタラクティブ設計をTHINK AND SENSEの松山周平氏が担当している。上映前に運営側から、希望者はスクリーン前の“舞台”に移動するように促され、数名の観客が床に座って鑑賞。観客の動きはDENSOの3DLiDAR(3Dセンサー)で感知され、マイクからは観客の拍手の音も検知できるようになっている。それらの反応をきっかけに3D映像がレンダリングされ、リアルタイムに作品に反映されていくという仕組みだ。従来の映画やテレビの鑑賞のように、ただ受け身で映像を見るだけではなく、観客のインタラクションが作品に作用していくので、一度限りのコンテンツが生まれ、それが現代的な表現となっている。

▲マイクで検知した観客の拍手を合図に、シャボン玉が花に変化する。(Touch Designer + マイク)

▲舞台上の観客をセンサーで感知して、その下にうごめく影を描画。観客の動きに合わせて、影が追随していく。(Touch Designer + DENSO 3DLiDAR)

▲マイクで検知した音を、波形としてリアルタイムに3D描画していく。(Touch Designer + マイク)

▲鑑賞者の上に降っているように感じる雨を、リアルタイム3Dレンダリングで生成した。(Touch Designer )

 

 

制作にはおよそ2年の月日を要している

 

2017年から開始された制作は、およそ2年の月日を要した。8K3D映像には、REDの8Kカメラ2台(正面の右目用と左目用)を投入、ハーフミラーを使用して撮影されている。現場ではHD3Dで立体感を確認しながら撮影。上映時のスクリーンのサイズと視聴距離から、NT開発のアプリで最適な立体設計を行った。また表参道ヒルズの吹き抜けで撮影された場面では、舞台の観客の足下にうごめく影が出現するエフェクトが施されるが、床のテクスチャーを記録して、正面と底面の映像がつながるように撮影されているので、上映時には1つの空間として感じられる。



▲カメラ機材はRED Helium8Kを2台(8K/30p)使用、NT自社開発の3Dリグで保持して撮影。

▲表参道ヒルズの吹き抜けのエリアで行われた撮影の模様。床のデティールを記録して、上映時に正面と底面の映像がつながるように設計された。

▲スタジオにおけるグリーンバック撮影。カメラの仰角も、立体設計に加味して撮影されている。

 

夜景の走行シーンを撮影した際には、ゆりかもめの先頭車両の下の窓にREDを設置。スペースの都合で1台のカメラしか配置できなかったため、この場面は2D撮影からポスプロで立体視に変換している。編集ではタイムラインはStereoscopic 3Dで扱われ、メインの映像の解像度は8K、プロキシをHDに設定して作業している。立体視の調整は、プロキシを3Dモニター(LMD-2451TD)で確認。カラーグレーディングは、4Kのマスモニ(BVM-X300)を見て調整した。実写映像・CG素材ともにデュレーションが長かったので、レンダリングには非常に時間がかかっている。また、22.2chのMAでは、立体映像を見ながら、3Dのオブジェクトが飛び出してくるタイミングと奥行きに合わせて効果音を配置するなど、3D映像と立体音響のコンビネーションには、細心の注意が払われた。そして、海外での上映を計画していたため、英語バージョンも制作されている。

 

 

映像とVRの新次元へ


今日では、YouTubeやVimeo、Facebookなども、360度動画に対応している状況であるが、中国のVR専門のプラットフォームのVeeRのように、オフライン環境でのシネマティックVRの制作を見直している動きもあることは見逃せない。NEPのVR最新作「カナシミの国のアリス」は、これまでの同社のプロジェクトで達成された8K解像度の3Dと立体音響が成せる高品質映像に、観客のインタラクションの要素が加味されて、新たなVR動画の可能性を感じさせる試みとなった。それは、フィクションの世界の中で、現実の人生のように人が行動して、それがストーリーに影響する。さらにはたくさんの観客が空間を体感しながら、同時にコンテンツを楽しむという、あらゆる角度において、映像とVRの新次元を切り開く挑戦であると思う。

 

 

筆者プロフィール:染瀬 直人

映像作家、写真家、VRコンテンツ・クリエイター
2014年、ソニーイメージングギャラリー銀座にて、VRコンテンツの作品展「TOKYO VIRTUAL REALITY」を開催。YouTube Space Tokyo 360ビデオインストラクター。Google × YouTube × VR SCOUTの世界的プロジェクト”VR CREATOR LAB”でメンターを、また、デジタルハリウッド大学オンラインスクール「実写VR講座」で講師を勤める。「4K・VR徳島映画祭2019」では、アドバイザーを担う。著書に、「360度VR動画メイキングワークフロー」(玄光社)など。VRの勉強会「VR未来塾」を主宰。